第106話 いつかの未来——ピリカ・ベルフォードの三つの革命
——さて、学期末の特別授業です。
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「今日は——ピリカ・ベルフォードが成し遂げたことを、改めて、振り返りましょう」
歴史教師が、教壇に立って、生徒たちを見渡した。
「と言っても——この人のやったことを、ぜんぶ数え上げるつもりはありません。……ひとつずつやっていたら、休暇が終わってしまいますからね」
小さな笑いが起きた。
「なので今日は、その中でも、後世の歴史家たちが『特に重要』と認める、三つに絞ります」
教師が、黒板に大きく三つの丸を描いた。
「皆さん、一年間の授業で、この人の名前は何度も出てきましたね。——バラバラに習ったので気づきにくいのですが、今日は、それをひとつに繋げます」
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「第一に。——『魔術の始祖』」
教師が、一つ目の丸の横に書いた。
「魔法が"才能ある者だけの特権"だった時代に、彼女は師グリモワルド・ヴァイツェンフェルトと共に、物事の仕組みを理解し、過程を指定することで、誰もが魔法に近い効果を得られる体系——『魔術』を打ち立てました」
「16ページの手書きの冊子『はじめての魔術』は、魔術を初めて文字にした文献であり、世界で最初の魔術の教科書です。当時の手書きの原本は——実は、この学院の資料室に保管されています」
「え、ここに!?」
「ここに、です。見学もできますので、興味がある人は、学期末に申し出てくださいね」
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「……先生。その、師匠の——グリモワルドさんって方は、どんな人だったんですか」
一人の生徒が、手を挙げた。
教師は、少し笑った。
「記録によれば——やる気がなく、人嫌いで、偏屈で、とても面倒くさがりだったそうです」
「え」
「ドラゴンを片手間で倒す程の魔法を、朝飯前にこなしたかと思えば、書類仕事は全部、親友に丸投げ。コーヒーを飲みながら一日中椅子に座っていることが多く——弟子にすら、進んで教えることは、ほとんどなかったとか」
「ええ……」
「聞けば、面倒くさそうに、結論だけをぽんと投げてよこす。『ま、そういうもんじゃ』——で、終わり。その先は、二人の弟子が食い下がって、食い下がって、ようやくぽつりと話してくれる。……世界を変えた知識の体系は、そうやって、少しずつ聞き出されたものだと伝わっています」
「……なんか、すごい人なのに、すごくなさそう」
「ふふ。——まるで、別の世界をひとつ生きてきたかのように、この世界のどこにもなかった知識の体系を、たった一人で持っていた人です。ピリカ・ベルフォードが学び、広め、体系化した知識の、すべての源。……そして、彼女自身の言葉が、記録に残っています」
教師は、黒板の隅に、ゆっくりと書いた。
——"世界で一番強くて、世界で一番面倒くさがりで、世界で一番やさしい人でした"
「彼女は生涯、師のことを聞かれるたび、そう答えたそうです」
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「第二に。——『魔道具の母』」
二つ目の丸。
「彼女が創業した『ピリカ・ピリーラ』は、現存する世界最古の魔道具ブランドです。王都の大通りに、今もありますね。皆さんのお家にも、灯火と円の印がついた品が、一つはあるんじゃないですか」
教室のあちこちで、頷きや小声が広がった。
「特筆すべきは、第三世代魔道具——いわゆる『ピリカ式』の発明です。魔道具の歴史は、大きく三つの世代に分けられます。第一世代は、魔法使いのための戦いの道具。第二世代は、魔力のある人のための、暮らしの道具。そして第三世代で初めて——魔道具の説明から、『魔力の量』という条件が、消えました」
「熱を、生み出すのではなく、移動させる。たったそれだけの発想の転換で、魔力の消費は、約八十分の一。——試作機が完成した日、工房の計測機は針すら振れず、親方が王宮納品用の精密測定器を持ち出して、三度も検算し直した。そんな逸話が、当時の職人ギルドの記録に残っています」
「『ピリカ式』というのは、品物の名前ではなく、仕組みの名前です。だから、なんにでも頭に付く。ピリカ式ドライヤーから始まって、冷風機、冷暖房、床暖房——そして、冷蔵箱。もちろん、皆さんのお家にもありますよね」
「あるある」
「あれが『ある』ようになって、世界に何が起きたか。——食べ物が保存できるようになり、値段が下がり、食中毒が減った。遠くの村の肉や魚が、傷まないまま王都の店先に並ぶようになった。魔道具の市場は貴族から平民へ一気に広がって、産業がまるごとひとつ生まれた。——魔道具は、貴族の贅沢品から、市井の日用品へと変わったんです」
教師は、窓の外を、ちらりと指した。
「ついでに言えば——大通りの、あの街路灯。昼の光を蓄えて、夜に灯す。あれもピリカ式の応用です。彼女は、人々の暮らしの温度を変えて、食卓を変えて、最後には、王都の『夜』まで変えてしまった。……『魔道具の母』という呼び名は、伊達ではないんですね」
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「そして——第三に」
教師は、三つ目の丸の前で、チョークを構えた。
教室が、静かになる。ペンを持つ手が、いっせいに止まる。
——が。
教師は、いたずらっぽく笑って、何も書かずに、チョークを置いた。
「これは、書かないでおきましょう」
「ええー!?」
「せ、先生、気になります!」
「ふふ。三つ目は、教科書に載っている言葉で覚えるより——自分で見つけたほうが、ずっといいものなので」
教師は、黒板を軽く叩いた。
「ヒントは、ひとつだけ。……答えは、皆さんの、いちばん近くにあります」
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キーンコーンカーンコーン。
「おっと。——では、これで学期末の特別授業を終わります」
黒板には、三つの丸。『魔術の始祖』。『魔道具の母』。そして——空白のままの、三つ目。
「長い歴史の話でしたが——皆さんが今ここで魔術を学べているのは、数百年前に、才能のない一人の少女と、面倒くさがりの一人の老人が、丘の上の家で出会ったからです」
教師は、にこりと笑った。
「よい休暇を。——ああ、それと」
教室を出ていきかけた生徒たちに、ひとこと。
「《《帰りは、中庭を通っていくと、いいですよ》》」
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放課後の校舎から、生徒たちが溢れ出していく。
廊下。階段。中庭。明日から休みという解放感で、賑やかな声が、あちこちに散っていく。
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「ねえ、結局、三つ目の丸って、なんだったんだろうね」
「わかんない。……てか、なんで中庭なの?」
二人の生徒が、ぶつぶつ言いながら、中庭を歩いていく。
その足が——中庭の一角で、止まった。
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銅像が、ひとつ、あった。
毎日、その前を通っている。あるのが当たり前すぎて、ちゃんと見たことのなかった、古い銅像。
——正確には、立って、いない。
座っているのだ。背もたれのない石の椅子に、ゆったりと。片手には、カップ。だるそうな猫背で、校庭のほうを、遠く眺めている——痩せた、老魔法使いの像。
「……ねえ」
「……うん」
今日の授業が、頭をよぎる。
——コーヒーを飲みながら、一日中椅子に座っていることが多く。
「え。……まさか、ね」
二人は、顔を見合わせて、台座に駆け寄った。
古いプレートに、こう刻まれていた。
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『グリモワルド・ヴァイツェンフェルト
——ここで教えることのぜんぶを、私に教えてくれた人
建立 当学院創設者 ピリカ・ベルフォード』
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「グリモワルドさんの銅像……うちの中庭に、ずっとあったんだ……」
「……ちょっと待って。下。——下の行、見て」
「建立……当学院、創設者…………」
二人の声が、揃った。
「「——ピリカ・ベルフォード!?」」
「うそ。この学校を作ったのって——今日の、授業の……」
「魔術の始祖で、魔道具の母の——あの、ピリカ・ベルフォード……!?」
二人は、あらためて、銅像を見上げた。
歴史を変えた、世界最強の魔法使いの像は——剣も、杖も、構えていない。玉座に座ってもいない。
ただ、石の椅子に腰かけて、カップを片手に、だるそうに校庭を眺めている。
「ふふ……偉人の銅像って感じ、ぜんぜんしないね」
「うん。……でも、今日の授業の、まんまだ」
やる気がなくて、人嫌いで、偏屈で、面倒くさがりで——。
「——『世界で一番やさしい人』、か」
しばらく、どちらも黙っていた。
「創設者ってさ、普通、自分の銅像を建てるよね」
「……建てなかったんだ。自分のは」
自分の像の代わりに、師匠の像を。この場所に、ずっと座っていられるように。
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銅像は、何も答えない。
カップを片手に、ただ、校庭を眺めている。
その視線の先では——放課後の生徒たちが、魔術の練習をしていた。ひとりが失敗して、ふたりが笑って、大勢が、芝生の上で騒いでいる。
むかし、膝丈の草が揺れるだけだった、いつかの空き地で。
空は、よく晴れていた。




