最終話 小さな灯火
後書きに重要なお知らせあるよ!
グリモワルドの家は、静かだった。
あの日から、ずっと静かだ。
ピリカは、窓辺の椅子に座っていた。お師匠様が、いつもコーヒー片手に座っていた場所。ここから、丘の下の空き地が見える。
私が失敗し続けた場所。雨の日に、拾われた場所。みんなに、魔術を教えた場所。
——お師匠様は、毎日、この景色を見ていたんだ。
テーブルの上では、アリサが淹れてくれたコーヒーが、湯気を立てている。
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「ピリカ」
向かいの椅子で、アリサが、コーヒーをふうと吹きながら、こちらを見ていた。
「なにか考え事?」
「うん。……お師匠様から教えてもらったこと、もっとちゃんと広めたいなぁ、って」
「教科書なら、進んでいるじゃない。ティナが章立てを整えて、お祖父様が監修について——あの16ページの冊子が、もうすぐ、ちゃんとした一冊になるわ」
「うん。……ボルトラン様が名前を貸してくださってから、風向きが変わったよね。学園の先生にも、授業で使ってみようっていう人が、出てきたし」
「頭の固い方々は、いまだに『魔術など邪道』と仰ってるけれど。……柔らかい人から、少しずつ、変わってきているものね」
「うん。だから、それだけでも全然ダメじゃないんだけどねぇ。……でも、まだ足りない気がして」
窓の外を見る。空き地の草が、風に揺れている。
本は、読める子のところにしか届かない。お店は、買いに来られる人のところにしか届かない。
今もどこかに、あの頃の私みたいな子がいる。才能がないと言われて、仕組みを何も教えてもらえなくて、一人で泥だらけになって、倒れているような子が。
「……何か、やりたいなぁ」
「何が、いいかしらねぇ」
アリサも、窓の外を見た。
二人分の湯気が、ゆらゆらと立ちのぼって、消えていく。
「参考までに私の話をするとね——魔法を、残していきたいのよね」
ぽつりと、アリサが言った。
「魔術の時代が来るのは、きっと、もう止まらないわ。それで、いいと思ってる。でもね、詠唱をして、世界にお願いして、応えてもらう——あの感じ。効率では、負けるのかもしれないけれど。……だって、きれいでしょう」
「……うん」
ピリカは、思い出した。
三人で稽古をしていた頃——お師匠様は、アリサの魔法を、よく褒めていた。「ほう」とか、「悪くないのう」とか、あの人にしては珍しいくらい、素直に。詠唱に応えて、世界が動く。その一瞬を、コーヒー片手に、目を細めて眺めていた。
(……あれ? そういえば私、魔法を褒められたこと……たぶん、一回も、ない……?)
(——いや、うん。今は、どうでもいいか……)
思い返せば、いつだって、そうだった。
雨の決勝の日、空を覆った、炎の鳥。怖くて、強くて——とても、きれいだった。
ドラゴンの森で見た、お師匠様のソーラーレイ。世界から光が消えて、真っ暗になった空から、白い柱が一本、まっすぐに落ちてくる。世界で一番怖くて——世界で一番、きれいだった。
それから、この家の庭で。アリサが詠唱するたび、応えるみたいに立ち上がった、炎や、水。稽古だってわかっているのに、私はいつも、ほんの少しだけ、見とれていた。
「魔法は、きれいだよ。なくしちゃ、だめだ」
「ふふ。じゃあ、私のやりたいことは、決まり」
「いいなぁ、アリサは。……私のは、何がいいのかなぁ」
「何が、いいかしらねぇ」
同じ言葉を繰り返して、二人で、ちょっと笑った。
急がなくても、いい気がした。
あの人がくれたものは、どこにも行かない。この家も、あの空き地も、私たちの中の知識も。——ぜんぶ、ここにある。
⸻
窓から、風が入ってきた。
空き地の草が揺れて、丘の上の家まで、草の匂いが届いた。
お師匠様が好きだった、晴れた日の匂い。
⸻
丘の下の広い空き地は、膝丈の草が風に揺れて——《《今はまだ》》、ただの草っ原だった。
——ここに、たくさんの小さな灯火がともるのは、もう少しだけ、先のお話。
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