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神籍のトワ  作者: 灯野 しおん
第五章 第四部『雨音の郵便配達人』

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第八十五話

八月も半ばを迎えた頃だった。


 朝、トワは新聞を読んでいて、不思議な記事に目を留めた。


「今年、星見町夏祭りは中止」


 理由は書かれていない。


 台風でもない。


 事故でもない。


 ただ一言。


「開催の継続が困難となったため」


「珍しいね。」


 トワがつぶやくと、スズが首をかしげた。


「星見町……でしょうか。」


「知ってるの?」


「はい。」


 スズは少し考え込む。


「……いえ。」


「知っていると思ったのですが。」


「思い出せません。」


 その言葉に、部屋の空気が変わった。


 レンも眉を寄せる。


「俺も聞いたことがある気がする。」


「だが、場所が浮かばない。」


 アオイは地図を広げた。


 しかし。


「ありません。」


「星見町という地名が、見当たりません。」


 その時だった。


 白紙の本が、ひとりでに開く。


 文字が浮かび上がる。


観測開始


 さらに、一文。


記憶地点・星見町


消失率 一二%


 老人は立ち上がった。


 その表情から穏やかな笑みが消えている。


「始まってしまいましたか……。」


 トワは本を見つめる。


「消失率?」


 老人はゆっくりとうなずく。


「人だけではありません。」


「場所も。」


「祭りも。」


「歌も。」


「風習も。」


「誰にも覚えられなくなれば、世界から少しずつ薄れていきます。」


 さくらが窓の外を見つめた。


「夏祭り。」


「なくなっちゃうの?」


「祭りそのものではありません。」


 老人は静かに言う。


「祭りに込められていた意味が消えるのです。」


「たとえば。」


 老人は湯のみを持ち上げる。


「誰も、この湯のみを大切に思わなくなれば。」


「器としては残ります。」


「ですが。」


「おばあさんから譲り受けた湯のみ、という意味は失われます。」


 トワは恒一の桜並木を思い出した。


 もし誰も美咲との約束を知らなければ。


 あの桜は、ただの木になってしまう。


 老人は静かに続ける。


「星見町では。」


「何世代も続いた祭りが、今、忘れられ始めています。」


 アオイが急いで端末を操作する。


「写真はあります。」


「映像も残っています。」


「ですが……。」


 画面を見つめたまま固まる。


「誰が写っているのか分かりません。」


 写真には提灯。


 浴衣姿の人々。


 屋台。


 子どもたち。


 どれも笑っている。


 けれど。


 顔を見るたびに、記憶が霧のようにぼやける。


「昨日までは普通に見えていたはずなのに……。」


 アオイの声が震える。


 白紙の本に、新たな文字が刻まれた。


依頼番号004


『祭りは、人を集めるためにあるのではない。


人が、帰る場所を忘れないためにある。』


 トワは本を閉じた。


 そして、まっすぐ仲間たちを見渡す。


「行こう。」


 レンが静かにうなずく。


「星見町へ。」


 スズは少し困ったように笑う。


「場所が分かりません。」


 その言葉に、語り部の老人がゆっくり立ち上がる。


 木箱から、一枚の古い絵葉書を取り出した。


 夕暮れの神社。


 石段。


 赤い提灯。


 そして夜空いっぱいの花火。


「地図にはありません。」


「ですが。」


 老人は絵葉書をトワへ手渡す。


「誰かが『帰りたい』と願った場所へは、道が生まれます。」


 その瞬間。


 絵葉書の裏に、細い道が淡く光り始めた。


 こうして、神籍管理局は初めて「依頼人のいない依頼」へ向かうことになる。


 救うのは、一人の人ではない。


 誰かの故郷として愛され続けた、一つの夏祭り。


 そして、この旅が「第零書架」へ続く道の最初の一歩になっていくのでした。

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