表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神籍のトワ  作者: 灯野 しおん
第五章 第四部『雨音の郵便配達人』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
83/88

第八十二話

夏の日差しが少し傾き始めた午後。


 応接室には、蝉の声が遠く聞こえていた。


 語り部の老人は、窓の外の若い桜を静かに眺めている。


「よく育っていますね。」


 その声は、孫の成長を見守る祖父のように優しかった。


 トワは老人の隣に腰を下ろした。


「一つ、お聞きしてもいいですか。」


「もちろん。」


「第零書架には、何があるんですか。」


 老人はすぐには答えなかった。


 風鈴が一度だけ鳴る。


 やがて、小さく笑った。


「それを知っていたら、私はここへ来ていません。」


 トワは目を丸くした。


「え?」


「私は庭師です。」


「木を育てることはできます。」


「実を守ることもできます。」


「ですが。」


 老人は空を見上げる。


「根の中までは、誰も見ることができません。」


 アオイが身を乗り出した。


「では、第零書架へ行った人はいないのですか。」


「いいえ。」


 老人はゆっくり首を振る。


「いたはずです。」


「……はず?」


「その記録だけが、残っていないのです。」


 部屋が静まり返る。


 レンが低い声で尋ねる。


「記録が消えた?」


「消されたのではありません。」


 老人は白紙の本を見つめる。


「世界そのものが、思い出せなくなっている。」


 その言葉に、さくらの肩がぴくりと震えた。


 トワは気づき、そっと声を掛ける。


「さくら?」


 彼女は額へ手を当てている。


「……また。」


「見えるの。」


「何が?」


 さくらは目を閉じる。


 苦しそうではない。


 けれど、遠い景色を見ているようだった。


「白い階段。」


 誰も口を挟まない。


「上じゃない。」


「下へ続いてる。」


 老人の表情が初めて変わった。


「……地下。」


 さくらは続ける。


「本がない。」


「静か。」


「でも。」


 ゆっくりと目を開く。


「泣いてる。」


「誰が?」


 トワが尋ねる。


 さくらは小さく首を振った。


「分からない。」


「でも。」


「ずっと一人。」


 その一言だけで、部屋の空気が変わる。


 老人は杖を握りしめた。


「そんな話は……。」


「伝承にも残っていない。」


 トワは白紙の本を見た。


 ページは静かなまま。


 しかし。


 表紙の大樹だけが、かすかに揺れたように見えた。


 その瞬間。


 ぱさり。


 一枚の葉が、本の間から落ちる。


 本物の葉だった。


 若葉でも、紅葉でもない。


 透き通るような白銀色。


 老人は息をのむ。


「記憶樹の葉……。」


「初めて見ます。」


 恐る恐る拾い上げる。


 葉脈が金色に輝いていた。


 その裏には、小さな文字が浮かんでいる。


庭師よ。


種は育った。


次は、根を見届ける者の時代である。


 老人は目を閉じた。


 そして、ゆっくりと微笑む。


「そうですか。」


「私の役目は。」


 窓の外のトワを見る。


「本当に終わるのですね。」


 トワは首を横に振った。


「終わりじゃありません。」


 老人が振り返る。


「あなたが育ててくれた木を。」


「今度は私たちが守ります。」


 老人は何も言わなかった。


 ただ、何度もうなずいた。


 その瞳には、長い年月を経てようやく次の世代へ託せる安堵が浮かんでいた。


 夕暮れ。


 庭では、ゆうととさくらが若い桜の木の下で笑っている。


 その姿を見ながら老人は静かにつぶやく。


「記憶樹は、木ではありません。」


 トワが耳を傾ける。


「人から人へ。」


「想いが受け継がれていく、その姿こそが記憶樹なのです。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ