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神籍のトワ  作者: 灯野 しおん
第五章 第四部『雨音の郵便配達人』

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第七十九話

依頼番号003が「完了」と記されてから三日。


 神籍管理局には、穏やかな時間が流れていた。


 大きな依頼は入っていない。


 職員たちは書類を整理し、庭ではさくらが紫陽花に水をやっている。


 ゆうとも遊びに来ていて、中庭でレンと紙飛行機を飛ばしていた。


 その笑い声を聞きながら、トワは局長室で一冊の本を読んでいた。


 ――白紙の本。


 最初は何も書かれていなかったその本は、今では何ページもの記録で埋まっている。


 依頼。


 名前。


 約束。


 別れ。


 笑顔。


 どれも神籍管理局が出会ってきた、小さな奇跡だった。


 トワはページを閉じようとして、手を止めた。


「……あれ?」


 まだ開いていないはずの次のページ。


 そこに、文字が浮かび始めていた。


 アオイも気付き、すぐに隣へ来る。


「局長。」


「何もしていません。」


「うん。」


 誰も本には触れていない。


 それでも、墨が水に滲むように、一文字ずつ言葉が現れる。


記録とは、過去を書くものではない。


 続いて、二行目。


未来へ残すために存在する。


 部屋が静まり返る。


 トワはその文字を見つめたまま、小さくつぶやいた。


「未来へ……残す?」


 その瞬間だった。


 白紙の本の表紙が、かすかに光る。


 今まで見えなかった模様が、ゆっくりと浮かび上がってきた。


 それは一本の大樹だった。


 太い幹から無数の枝が伸び、その枝の先には、葉ではなく――


 一冊一冊の本が実っている。


 まるで、世界中の記憶が一本の木に結ばれているようだった。


「これは……。」


 アオイが息をのむ。


「記憶樹。」


 その言葉に、レンが振り向く。


「知っているのか?」


 アオイは首を横に振った。


「知識ではありません。」


「見たこともありません。」


「ですが……この名前だけは、自然に浮かびました。」


 スズが静かに端末を確認する。


 しかし、神籍管理局のデータベースには何もない。


 検索結果は、該当なし。


 トワは表紙をそっとなでた。


「本が実る木……。」


「誰かの人生が、本になるのかな。」


 その言葉に、さくらが廊下から顔をのぞかせた。


 どうやら、お茶を持ってきたらしい。


 けれど、本を見た瞬間、その足が止まる。


「……きれい。」


 さくらは無意識に近づく。


 そして、表紙の木にそっと指を触れた。


 その瞬間。


 部屋いっぱいに、柔らかな光が広がった。


 窓の外の桜。


 紫陽花。


 庭の草花。


 すべてが一瞬だけ、淡い金色に輝く。


 誰も声を出せない。


 やがて光は静かに消え、本は何事もなかったように閉じられた。


 残されたのは、最後の一文だけだった。


第零書架は、記憶樹の根に眠る。


 アオイはその文字を何度も読み返す。


「根……。」


 レンは腕を組んだ。


「書架じゃない。」


「世界そのものの秘密かもしれないな。」


 トワはゆっくりと本を胸に抱いた。


 神籍管理局が守ってきたものは、ただの記録ではない。


 人の想い。


 人生。


 そして、世界が忘れてはいけない記憶。


 そのすべてが、この一冊へ繋がっているのかもしれない。


 局長室の窓から吹き込んだ風が、本のページを一枚だけめくった。


 そこには、まだ何も書かれていない。


 けれどトワには、不思議とそんな気がした。


 この白紙は、世界がまだ語っていない物語を待っている。

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