第七十四話
八月。
昼間の暑さがようやくやわらぎ、夜風が心地よく感じられる頃。
神籍管理局の車は、都心を離れた小高い丘へ向かっていた。
「ここなら街明かりが少ないので、星がよく見えます。」
運転席のスズが穏やかに言う。
後部座席では、ゆうとが窓の外を見つめていた。
「本当に見えるかな……。」
その声には期待と不安が混ざっている。
「見えるよ。」
トワは優しく答えた。
「曇ってないし、今日はきっと大丈夫。」
レンも夜空を見上げる。
「風も穏やかだ。」
「いい星空になりそうだな。」
◇
丘の上には、すでに何組かの家族がシートを広げていた。
虫の声。
草の匂い。
遠くで鳴くフクロウ。
夏の夜だけが持つ静けさが、辺りを包んでいる。
トワたちもレジャーシートを広げた。
ゆうとは、少し緊張した様子で空を見上げる。
「まだかな……。」
「焦らなくていいよ。」
トワは水筒のお茶を紙コップへ注いだ。
「流れ星も、人も。」
「急がせると来てくれないことがあるから。」
ゆうとは小さく笑った。
「トワさんらしい。」
その一言に、みんなも笑顔になる。
◇
やがて夜は深まり。
空いっぱいに星が広がった。
「わあ……。」
さくらが思わず息をのむ。
都会では見ることのできない星の数。
白く流れる天の川。
夏の大三角。
北斗七星。
ゆうとは夢中で星座図鑑を開いている。
「トワさん!」
「見つけた!」
「あれがデネブ!」
「本当だ。」
「すごいね。」
トワは笑いながら双眼鏡をのぞく。
そのとき。
「……あ。」
レンが空を指さした。
一筋の光が夜空を横切る。
すうっと。
静かに。
流れ星だった。
「見えた!」
ゆうとが立ち上がる。
続いてもう一つ。
また一つ。
夜空に光の糸が幾筋も流れていく。
「すごい……!」
ゆうとの瞳が、星の光を映して輝いていた。
そして。
胸の前で、そっと手を組む。
「お父さん。」
「約束、守れたよ。」
「今年も一緒に星を見られたね。」
その声は夜風に乗って、静かに空へ溶けていった。
トワは何も言わない。
慰めの言葉も。
励ましの言葉も。
今は必要ないと思った。
約束は、ちゃんとここにあったから。
◇
帰り際。
ゆうとが一枚の折り紙を取り出した。
星の形に折られている。
「これ。」
「神籍管理局に飾って。」
「どうして?」
「約束を忘れないように。」
トワは両手で受け取った。
折り紙の裏には、小さな文字でこう書かれていた。
また来年も、見ようね。
トワは目を細める。
「もちろん。」
「来年も、その次の年も。」
「神籍管理局のみんなで見よう。」
ゆうとは、安心したように笑った。
◇
東京支部へ戻ると、アオイが静かに白紙の本を開く。
新しい文字が浮かび上がる。
依頼番号002 完了
『約束は、失われた時間を取り戻すものではない。
これから先の時間を、大切に生きる勇気をくれるものである。』
ページを閉じた、その瞬間だった。
本の奥から、一枚の古い紙片が滑り落ちた。
誰も触れていないはずなのに。
そこには、今まで見たことのない文字が記されていた。
記憶庫 第零書架
アオイの表情が変わる。
「……局長。」
「この名前は、資料にもありません。」
トワは紙片を手に取る。
白紙の本が、かすかに光を帯びた。
神籍管理局の日常は続いていく。
けれどその穏やかな日々の先で、記憶庫のさらに奥深くに眠る秘密が、静かにトワたちを待ち始めていた。




