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 ナイジェルに案内された部屋を一目見た感想は、「何かの間違いではないのか」だった。見るからに高価と分かる調度品に、美しい壁紙、重厚な窓帷カーテン。物置の隅で暮らしていた身としては息をするのも恐れ多いほどだ。祖母とともに離れの建物に住んでいたときも、こんな立派な部屋ではなかった。

「君には母の侍女として、伯爵令嬢として、この部屋に住んでもらう。不満や疑問があれば聞く。訴えが妥当なら部屋を移すことも検討する」

「え……あの……」

 本当によろしいのですか、何かの間違いではないのですか、と聞きたくなったが堪えた。また同じ文言を繰り返させては申し訳ない。

「あの……ありがとうございます……」

「給金も出すから、好きに整えていけばいい。なにか汚したり壊したりしたら執事に言え。理由があれば咎めん」

「はい……」

 セレスティナは夢見心地でぼうっとしていたが、はっと我に返って部屋の物を確認し始めた。手を触れるのが恐れ多いなどと言っている場合ではない。

「何をしているんだ……?」

「恐れながら、確認をさせていただいております。最初から汚れたり壊れたりしていないかどうか。言いがかりをつけられても私にはお支払いできるものがありませんから、どうか失礼をご容赦ください」

「…………。……私が君を嵌めるとでも?」

「閣下を疑うことなどしません。私を連れ出してくださった恩人ですから。ですが、他の方はどうか分かりませんので」

 執事など、別の人が間に挟まるとなると注意が必要だ。セレスティナは伯爵邸でさんざん苦い経験をしてきた。やっていないことまでセレスティナのせいにされ、誰からも虐げられた。なにか言いがかりをつけられそうなことがあれば、先んじて潰しておくべきだ。被害を少なくできる。

「………………。分かった。しばらくは何でも直接、私に言え。すぐには対応できないかもしれないが」

「え……そんなつもりでは……。……いえ、ありがとうございます」

 固辞しようとしたが、考え直して頷く。なるべくナイジェルの手を煩わせないようにすればいいだけだ。他の人を介するのは……やはり、怖い。

「君は本当にいったい、どんな経験をしてきたんだ……」

 ナイジェルは重い溜息をついた。


 セレスティナとしては、部屋を確認したらすぐにでも働き始めるつもりだったのだが、ナイジェルは首を横に振った。

「母に会ってもらうと言ったのは私だが、撤回する。君はまずきちんと休むべきだ」

「道中で充分に休ませていただきました。こんなにゆっくりしたのは七年ぶりです」

「……だからこそだ。七年間で蓄積した疲労はすぐには取れまい。体ではなく心もな」

「そうでしょうか……。……あの、お心遣いをありがとうございます……」

 心も体も軽くて絶好調なのだが、ナイジェルが言うのならそうなのかもしれない。この七年間、自分の心に気を向ける余裕などなかった。なんとか死なないように体を生かすだけで精一杯だった。

「食事も今夜は一緒に取ろう。普通なら他の侍女や執事などと一緒に食事をしてもらうのだが、歓迎を示すためにもそうしよう。それかこの部屋で一人でゆっくりと取ってもいい」

「……ご一緒させてください」

「分かった。ではまた後で」

 ナイジェルは言い、部屋を出て行った。時を置かずメイドが入ってきてセレスティナの意向を伺う。

「何かあればご遠慮なくお申し付けください。お茶をお出ししましょうか。それともこのお城を案内しましょうか」

「……では、お茶をお願いします。その後で案内していただければ……」

「かしこまりました。お嬢様、メイドにまでそんなお気を遣われることはありませんよ」

 いくつか年下と見えるメイドは人懐こく笑い、お茶の用意をしに行った。ほどなくトローリーを押して戻ってきて、目の前でお茶の支度を整えてくれる。一礼して出ていこうとした彼女を引き留め、朗らかな年下の少女が相手だということに力を得てセレスティナは思い切って聞いてみた。

「あの……私の痣が怖くはないの? それとも、このお城の教育が厳格なのかしら。私を見ても避けようとしないなんて……」

 メイドは目を丸くした。

「痣なんて珍しいものでもありませんのに。むしろ誇らしいものではありませんか? 魔物につけられた傷が回復したことの証ですし」

「……普通はそうかもしれないけれど……私の痣は生まれつきなの」

「そうなんですか? だったら余計に、怖がる理由がなくないですか?」

「……伝染するとは思わないの……?」

「伝染するんですか?」

「……しないけれど……」

「だったら問題ないじゃないですか」

 メイドは笑い、セレスティナの手を取った。

「他所のことは分かりませんが、ここには痣を恐れるような者などおりません。どうぞ安心してお過ごしください! ……っと、失礼しました!」

 言われた言葉に呆然としていたセレスティナは、メイドが慌てたように離した手を掴み返した。

「あの……ありがとう……」

 他に言葉が出てこない。気を抜けば涙が零れてしまいそうで、うかつに顔も動かせない。そんなセレスティナの手を、メイドは再びそっと取った。そのせいでとうとう涙腺が崩壊してしまったが、メイドはもちろん笑ったりしなかった。セレスティナが落ち着くまでそこにいてくれていた。

「……お茶を淹れなおしますね」

 セレスティナの涙がようやく止まったあたりでメイドは申し出たが、セレスティナは首を横に振った。

「このまま頂くから置いておいて。でも、あなたには温かい方がいいわね」

「ご一緒させていただけるのですか!? 私は別に温くても凍っていても構いません!」

「凍っているのはまずいと思うけれど……」

「意外と美味しいですよ? 旦那様は氷の魔術がお得意で、小さい頃は夏によくシャーベットを作っておられたとか。私はその頃のことを存じませんが、今でも夏に私たちに作ってくださったりします。紅茶味も美味しいですよ」

「…………!? 旦那様って、閣下のことですか……!?」

 本当にそれは「人嫌い公爵」と呼ばれている人のことなのだろうか?

 内心の思いはしっかり顔に出ていたらしい。メイドは少し憤慨して頷いた。

「皆様、旦那様のことを誤解しておられます。確かに愛想の良いほうではありませんし、城の外の方に対しては警戒が過ぎるところもおありですが……何というか、すごく義理堅い方です」

「……そうなのですか……」

 にわかには信じがたいが、たしかにセレスティナも噂以上のことを知らない。否定する根拠もない。それどころか色々と気遣ってもらっているし、それに……

(……私をあの家から救い出してくださったのも……あれももしかして、何かの義理、とか……?)

 初対面の彼がセレスティナに対して義理を感じることなどあるとは思えないが、何かしら理由があるのかもしれないとは思っていた。セレスティナほどひどくはないだろうが痣を持つ母親に侍女として付けたいと言っていたから、一応は納得していたが。

 セレスティナは考えつつ、お茶に手を伸ばした。だいぶ冷めてしまっているが、泣いた後のせいか、飲みやすい温度がむしろ嬉しい。メイドも向かいに座ってちゃっかり茶菓子に手を伸ばしている。

「……あの、あなた」

「はい!? すみません、一つくらいならいいかと思って……!」

「全部食べて構わないけれど、そうではなくて。お名前を聞きたいわ」

「うわあ、ありがとうございます! 私はアンといいます。どうぞよろしくお願いします!」

 こちらこそよろしく、と返しながらセレスティナは、ここでの生活が楽しいものになるだろうと予感していた。

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