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ナイジェルは公爵家当主として、長く城を空けていた間に積み重なったあれこれを処理するのに忙しそうだったが、晩餐の時間はきちんと取ってセレスティナと共にしてくれた。本来なら公爵家の者しか使えない食堂に招かれたのだが、今はちょうど他の者がいないからということだった。先代の当主夫妻、ナイジェルの父母であるウォルターとオリヴィアは知人の晩餐会に招かれており、ナイジェルの祖父にあたる先々代当主ハロルドはしばらく別邸に滞在中だそうだ。ナイジェルの妹クレアもそちらにいるらしい。
ナイジェルとは道中でも食事を共にしていたので、さすがに慣れてきた。最初は緊張と長年の粗食のせいでまともに食べ物が喉を通らなかったのだが、少しずつ食べられる量が増えていっている。歴史のある城の立派な食堂で豪華な晩餐を供されて緊張しないと言ったら嘘になるが、それよりも味や雰囲気を楽しめるようになってきた。伯爵家の食堂は掃除の時しか入ったことがないし、ここほど大きくもなかった。
十歳以前に身に着けたマナーをなんとか思い出して使おうとしたのだが、当然ではあるが、まったくなっていなかったらしい。食事の時は何も言わなかったナイジェルが、食後に提案をした。
「君には侍女になってもらうが、それは良家の子女の行儀見習いという面もある。あの家で充分な教育を受けられなかったのなら、今から学ぶというのはどうだろうか。妹のための教師もいるし、城に出入りする知識人に教えを受けるのもいいだろう」
「よろしいのですか……!? でも、お金がどれだけかかるか……。そんなことまでしていただく義理もありませんのに……」
「義理は……あるかもしれない」
ナイジェルは小さく呟いた。「え?」と聞き返したセレスティナに「何でもない」と首を振る。
「基礎的な学びなら教師への報酬もそれほど高額にならない。君が気になるなら、城の図書室で学んでもいい」
「……ありがとうございます……!」
セレスティナは感激して思わず涙ぐんだ。本に手を触れると穢れると怒られたので、十歳以降は触ることさえできなかった。教師をつけてもらって学ぶ機会も当然なかった。今になってそれらが望めるなんて、夢のようだ。
教師の人選は色々と大変だし、たとえばどこそこの夫人にマナーを教えてもらえば良い結婚ができるなどという評判があったりするのも知っている。だがセレスティナが望むのは基礎的な知識やマナーだ。この条件で教えてくれる人なら探すのにも困らなさそうだ。公爵令嬢と一緒に学ぶのは恐れ多いが、二人まとめて教えてもらえれば安上がりだ、などと考えるのは俗っぽすぎるだろうか。
「……そんなに喜ばれるとはな。……まあ、少しこちらで見繕っておく。マナーなどは侍女として勤めるうえでも必要になるし、働きながら身につくことも多いだろう。母や先輩の侍女から教わることもあると思う」
「はい、ありがとうございます!」
お礼の声が思いがけず元気で、セレスティナは自分で驚いた。自分の声はもっと陰気にかすれているものだと思っていたが、これも生活が変わってきたからだろうか。
ナイジェルは少し目を瞠り、苦笑した。
「心意気は買うが、令嬢としては少し元気すぎるかもしれないな。おいおい教えてもらえ」
分かりました、と肩をすぼめて答えたセレスティナに、ナイジェルはまた少し笑った。
そして翌日、ゆっくりと休んで朝食を取った後、セレスティナはこれから自分が侍女として仕えることになる相手、ファルカンド公爵夫人オリヴィアに初めてお目通りをした。
ナイジェルの母親である彼女は、息子とそっくりの黒髪に凛々しい美貌を持つ女性だった。先々代のファルカンド公爵の一人娘で、彼女の夫が入り婿として公爵家当主になったということだった。その家督は息子ナイジェルに受け継がれているが、先代の当主夫妻も城に同居し、広い公爵領の管理を補佐しつつ魔物の討伐もしているそうだ。
「どうぞ入って。ナイジェルから話は聞いているわ。あなたがセレスティナね」
「お初にお目にかかります」
マナーを知らないなりに丁寧に頭を下げる。オリヴィアは鷹揚に頷き、近くに控えていた二人の侍女を紹介した。
「背の高い方がティルダ、小柄な方がネリー。二人ともあなたより年上だから、いろいろ教えてもらったらいいわ」
オリヴィアの言葉を受け、二人がそれぞれ「ティルダです」「ネリーです、よろしく」と挨拶をした。ティルダは二十代前半くらい、栗色の長く真っ直ぐな髪が美しい。ネリーは二十に届くかどうかといったところ、くるくるした赤毛が特徴的だ。セレスティナも二人に挨拶を返した。
「あなたには侍女として、私の補佐をしてもらうわ。おいおい覚えていってね」
「頑張ります」
セレスティナが伯爵邸で行ってきたことは、侍女ではなくメイドや下男の領分だ。頭脳労働よりも肉体労働、主家の機密に触れることはなく、意見を求められることもない。そういった労働が良いとか悪いとかなどということではないが、ぜんぜん違うものであるのは確かだ。どこまで自分がやれるのか分からないが、頑張ろう、とセレスティナは心の中で拳を握った。
「そうだわ、これを見せておくわね」
オリヴィアは首元のスカーフを外した。




