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「…………君は」

 男性の声だ。びくりとして振り向いたセレスティナは、目を見開いて固まった。驚くほど美しい青年だ。月光に照らされて艶めく黒髪、白皙の美貌、宝石のような青い瞳。繊細な刺繍が施されたコートを纏っているが、その下の体つきが完璧なバランスをしていることが見て取れた。

 しかしセレスティナが驚いたのは、その美しさよりも青年の身分のことだった。

(人嫌い公爵……!?)

 ファルカンド公爵家の若き当主ナイジェル。彼の噂は使用人の間にすら広まっていた。二十三歳の彼は去年家督を継いだばかりで、公爵としてはもちろん、公爵令息としても社交界にあまり出ることをせず、人嫌いと噂されていた。

 その公爵がなんとソレム伯爵家のパーティに参加したということで、セレスティナの父母も弟妹も喜び、なんとかお近づきになろうとしていたが、なかなか難航しているということを使用人が噂していた。もちろん、彼の並外れた美貌とともに。

(誇張ではなかったのね……)

 姿を見たのは初めてだが、噂にたがわぬ美しさだ。彼ほどの立場と美貌を持つ者がソレム家のパーティに来る理由が分からないが、伴侶を求めてのことなのだろうか。そういえばマリーがわざわざパーティを抜けて化粧直しをしていたが、彼の目に留まるためだったのかもしれない。

 ナイジェルがさらに一歩近づく。セレスティナは狼狽えた。痣だらけの顔を隠すものもないうえに、白い髪にはべったりと口紅がつき、泣いていたこともあってひどい顔だろう。ごみを運んでいたせいで、ただでさえみすぼらしい服も汚れている。目に入れるのも汚らわしいと激昂されることを予想し、セレスティナは平伏した。

「…………!?」

 ナイジェルが驚く気配が伝わってくる。だが、セレスティナは何を喋るつもりもなかった。なるべく早く嵐を過ぎ去られたいなら黙っておくべきだと、過去の経験から痛いほど学んできている。セレスティナの言葉など誰も聞いてくれないことも。

「顔を上げろ」

「…………」

 言われた通り、セレスティナは顔を上げた。髪を掴まれて無理やり顔を上げさせられる可能性も考えていたが、その手を汚したくなかったのかもしれない。

 ナイジェルはセレスティナをつくづくと眺め、端的に尋ねた。

「君は、ソレム伯爵家の娘か?」

「!? …………そう、です」

 セレスティナは目を見開いた。どう答えればいいのか、答えていいのかすら分からなかったが、嘘をつくのはまずい。……肯定の答えが嘘に聞こえかねないことは理解しているが。

「………………なぜだ……?」

 ナイジェルは小さく呟いた。セレスティナは俯いた。美貌を誇るソレム家の娘として、なぜ自分のような存在が生まれたのか自分にも分からない。

 俯いたせいで、セレスティナはナイジェルの表情の変化を見逃していた。彼の表情が嫌悪ではなく、予想もしなかった現実を突きつけられたものであることに気づかなかった。

「まあいい。立てるか?」

 セレスティナの視界にナイジェルの手が差し出された。おそらく非常に高価だろう手袋を嵌めている。

(!?!?!?)

 セレスティナの脳内は大混乱だ。こんななりの自分に、人が手を差し出している? それもあの、人嫌い公爵が?

 がくがくと震える足を叱咤してセレスティナは立ち上がった。手を借りるなどとんでもない。ナイジェルはその様子を見ると、無造作に懐に手を入れ、手巾ハンカチを取り出した。押し付けるようにセレスティナに渡す。

「とりあえず頭を拭け。拭い切れはしないだろうが、ないよりはましだろう」

「!?!?!?!?」

 セレスティナは首を大きく横に振った。手袋もだが、手巾に触れるのすら恐れ多い。固辞しようとしたが、ナイジェルが手を離したので慌てて掌に受け、その質感のよさに慄く。

(どうしよう……! 洗って返せばいいの!? 私が触ってしまったものを返す方が失礼……!?)

 手巾の扱いもだが、人嫌い公爵と呼ばれているナイジェルが、誰からも嫌われているセレスティナにこれほど親切にしてくれる理由も分からない。状況の訳の分からなさと、思いがけず親切に触れた温かさとで、涙が勝手に溢れてくる。

「……頭よりも涙を拭う方が先だな。自分で拭わないなら私が拭うが」

 そう言ってナイジェルは手袋を嵌めた手を伸ばした。その手袋を汚してしまうことを思えば、すでに渡された手巾で拭う方がまだましだ。セレスティナは慌てて後ずさり、手巾を目元に当てた。それでいい、と言うようにナイジェルは軽く頷いた。

(なんで!? どうして!?)

 何もかも、訳が分からない。混乱の極みにいるセレスティナに、ナイジェルはさらに混乱させることを言った。

「セレスティナ・ソレム。ファルカンド公爵家に来い」

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