34
セレスティナの意識が浮上した。そこは、あまりにも見慣れた場所だった。使われていない物置の片隅……セレスティナが七年近くを暮らした場所だ。
痛む頭を押さえて、セレスティナは周りを見回した。近くには誰もいない。体の節々が痛むが、一応まだ生きている。致命傷になるような怪我もないが、これは幸運というよりもソレム家の人たちの力が弱っていたからだろう。万全の体調のときにあの勢いで暴力を振るわれていたら今頃どうなっていたか分からなかった。
西日が差し込み、埃が舞っているのが見える。しかし埃っぽさなど比較にもならないような問題がこの城館を覆っている。瘴気だ。
(何とか逃げ出して……ファルカンド公爵家に連絡を取らないと。でも王女殿下に繋がってしまうといけないから、ナイジェル様かオリヴィア様に直接つながる方法を選ぶ必要があるわ。……そこを考える前に、とにかくここを逃げ出さないと……)
手足を戒められてはいない。そして、最低限だが手当された形跡がある。おそらくは監視役の男性たちが行ったのだろう。王女の護衛か、それとも汚れ仕事を引き受ける役か、ともかくも武力要員であることは明らかだ。セレスティナを責め殺させたいのかと思ったのだが、少なくともまだ生かしておくつもりはあるようだ。
「そういえば……ソレム家の人たちから『なんとかしろ』とか『治せ』などと言われたわ。もしかしてそのために連れてこられたの……?」
「そのようだな」
「!?」
無自覚に零れてしまった独り言に、返答があった。セレスティナは弾かれるように身を起こした。いきなり動かされた体が悲鳴を上げたが、構っている場合ではない。今の今まで、この部屋には誰もいなかったはずだ。
瘴気が漂っているとはいえ夏の午後なのだが、その明るさが急に翳ったように錯覚する。室温が下がり、重ささえも加わったかのような奇妙な感覚に襲われる。
そういった空気は、部屋の中に忽然と現れた一人の青年から発されるもののようだった。輝く銀髪を背に流す、どこか人外めいた美貌の青年だ。不意に記憶が蘇った。
「あなた、ファルカンド公爵家のパーティにいらした方……!?」
「その通りだ。久しいな、私の呪いを断ち切った娘よ」
「…………!? どういうこと……!? あなた、いったい誰なの……!?」
「バルタザール。呪術師だ」
青年は簡潔に名乗った。
「呪術師? 解呪師とは違うの?」
「解呪師とは解呪をする者だろう。私は呪いの術を知る者。だから呪術師だ。お前は呪いを自分の身に移すことができるが、私は他者の身に移すこともできる。呪いの形を変えることもできる。そういう者だ」
「…………!?」
淡々と語る青年の様子に、尋常ならぬ気配に、彼が嘘をついていないことを否応なく理解させられてしまう。
(そんなこと……本当に可能なの……!? そんな人が本当にいるの……!?)
そういえばカレドは話していた。セレスティナの魔力は特殊で、呪いを払うだけではなく移すこともできると。ただしセレスティナの場合は他者から自分への一方向に限るが、バルタザールの場合は自分から他者へ、あるいは他者から他者へ、そういった形も可能なのだろう。
「あなたの呪いってどういうこと!? 断ち切ったと言ったわね。私が解呪した……オリヴィア様と私の痣のことを言っているの!?」
「その通りだ。だが、痣など表層だけの問題に過ぎぬ。呪いの本質はその奥底にある。心の闇に繋がるものだ。お前はそれを見たのではないか?」
「……黒くわだかまる大きいものを見たわ。あれが、心の闇……」
「そうだ。まさか簡単に断ち切られるとは思わなんだ。それも一回で」
「簡単ではなかったわよ……」
「充分、簡単に行っていた部類だ。心のどこも損なわれておらぬ」
恐ろしいことをさらりと言い、バルタザールはくつくつと笑った。
「その健闘に免じて、真実を教えてやろう。あの王女に歪められたままでは癪でもあるのでな。お前も自分の呪いについて正しいことを知りたいだろう?」
「……知りたいわ」
恐れをねじ伏せ、セレスティナはバルタザールの目をまっすぐに見返した。何色ともつかない、月の面のような瞳だ。知りたくない、逃げ出して目をつむり耳をふさぎたい、そんな弱気を振り捨てる。
「いい目だ。では聞け、『呪い子』よ――」
バルタザールは口を開いた。




