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お隣さんは人気アイドル?!  作者: いゆ


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肉じゃが


 久しぶりに、ちゃんと自炊をした。

 仕事が少しだけ早く終わったご褒美に、スーパーで手頃な牛肉とジャガイモを買ってきたのだ。甘辛い醤油の匂いが部屋中に広がっていく。煮込んでいる間、ふと隣の部屋のことが脳裏をよぎったが、私はすぐにその考えを振り払った。……気にしすぎだ。これはただの、私の夕飯。


 出来上がった肉じゃがは、どう考えても一人分にしては多すぎた。

「……また、作りすぎた」

 独り言をこぼし、保存容器に分けようかと考えたその時、インターホンが鳴った。


 この時間に珍しいな、と思いつつドアを開けると、そこには宅配業者の姿があった。

「あ、すみません。隣の方、いらっしゃらなくて……こちらのお部屋、ご存じないですか?」

 業者の手には、隣の部屋宛ての荷物がある。ちょうどその時、タイミングよく隣のドアが開いた。

「……あ」


出てきたのは、瀬名湊だった。

 キャップも帽子もなし。少し寝癖のついた髪に、縁の細い眼鏡。ヨレたTシャツにスウェットという、あまりに無防備な格好。

 完璧なアイドル像とはかけ離れた、ただの「生活に疲れた二十代の男」がそこにいた。


「……瀬名様、お荷物です」

「あ、すみません……ありがとうございます」


彼が荷物を受け取ろうと手を伸ばすが、思ったよりも重かったのか、腕がカクンと沈む。とっさに私が手を添えた。

「わっ……」

「……すみません、これ、結構重い」

「大丈夫ですか」

 私が段ボールの底を支える。至近距離で見る彼の顔は、テレビで見るよりもずっと色素が薄く、どこか儚げだ。彼が慌てて荷物を抱え直す拍子に、指先がふわりと触れ合った。

 

 私はすぐに手を引く。

「……ありがとうございました」

 彼は少しだけ困ったように笑い、荷物を室内に運び込もうとして――中身が少しだけ見えた。


 隙間から覗くのは、大量のレトルトパウチ、栄養ゼリー、そして水。

 これ、食料?

 私が呆然としていると、彼が重い箱を置いた拍子に、クゥウゥ……と情けない音が廊下に響いた。


 静寂。

 ……今の音は、明らかに彼の腹の虫だ。


 彼は固まった。顔がじわりと赤くなるのが見て取れる。私もまた、どう反応すべきか迷って口を閉ざした。

「……今のは、その」

「聞こえました」

「忘れてください」

「無理です」


私がバッサリと切り捨てると、彼は力なく壁に頭を預けた。

 昨日まであんなに張り詰めていた彼が、空腹のあまり子供みたいにしょんぼりしている。そのギャップに、胸のどこかが変な音を立てた。

 この人、本当に何食べて生きてるんだろう。


「……作りすぎたので、食べます?」

 自分の口から出た言葉に、私が一番驚いた。


「え」

「肉じゃがです。多すぎて。……また倒れられて、後処理させられるのは勘弁なんで」

「いや、そこまでしてもらう理由が……」

「お節介ですから、気にしないでください」


私は自分の部屋に戻り、タッパーに多めに盛り付けた肉じゃがを持って戻ってきた。

 彼は戸惑いながらも、それを受け取る。

「……本当に、いいんですか」

「栄養ゼリーばかりじゃ身体が持ちませんよ。……いい大人なんですから、ちゃんと人間らしいもの食べてください」

「……否定できません」


彼は少しだけ口元を緩め、申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに容器を受け取った。


 部屋に戻り、私は自分の分を食べる。

 いつもなら静かな食事の時間なのに、壁の向こうから微かな物音が聞こえるたびに、意識がそちらに持っていかれる。

 おいしいと思ってくれているだろうか。

 そんなことを考えている自分に気づき、私は思わずため息をついた。

 何やってんだ、私。


 食事を終え、片付けをしていると、再びインターホンが鳴った。

 ドアを開けると、そこには空になったタッパーを持った彼が立っていた。しかも、きれいに洗われている。

「……おいしかったです」

「もう食べたんですか? 早いですね」

「はい。……こういうの、久しぶりで」


彼は淡々と、けれど真っ直ぐに私の目を見て言った。

 彼の言う「こういうの」が、家庭料理を指しているのか、それとも誰かに差し入れられたこと自体を指しているのかは分からない。でも、彼の言葉には嘘がないことだけは分かった。


「ごちそうさまでした。……また、作りすぎることがあれば」

「……いえ、別に催促じゃないですよね?」

「そう聞こえるなら、訂正はしません」


彼は少しだけ悪戯っぽく口角を上げた。

 私が呆れて返す言葉も見つからずにいると、彼は「おやすみなさい」と短く言ってドアを閉めた。


 私は玄関に立ち尽くしたまま、空の容器を握りしめる。

 壁の向こうで、彼が動く音がする。

 ただの隣人。そう言い聞かせているのに、さっき触れた指先の熱と、「また」という言葉が、胸の奥でいつまでも波紋を広げていた。


 この男は、とんでもなくずるい。

 私は少しだけ緩んだ頬を隠すように、自分の部屋のドアを閉めた。

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