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月明かりの精霊舞  作者: ふぇんねる
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22/28

8-8

 敵と味方が激しく入り乱れる前線地帯に馬は突入する。

 危険も顧みず全力で馬を疾走させる者には、ばらけた隊列の敵兵では簡単には手が出ない。下手に近づいては馬に蹴倒される。

 間もなく、目的の場所をティジットの目は捉えた。

 皇子が勇猛な森の兵を一人斬り伏せたところだった。その厚い唇に、余裕の薄ら笑いが浮かぶ。戦を楽しむ獣の顔だ。

 優美な眉をひそめたティジットは、より速度を上げると皇子に急接近し、いきなり馬上から斬りかかった。

「!?」

 皇子が驚愕に顔を歪める。襟足の巻き髪が、ぱらぱらと宙を舞って落ちる。

 砂埃上げ、馬を急停止させたティジットは皇子と対面した。

「……っ。さすがは皇子です」

 不意打ちにも関わらず、剣は首には届かなかった。苦々しげに口元を固く引く。

 即座に慌てた皇子の護衛たちが陣を組み直した。疲弊しきったこの状況で、わざわざ孤立しにやって来る愚かな森の者がいるとは夢にも思わなかったのだろう。またそれが、確かに不可能な状態でもあった。

 体勢を整えるのと同時に皇国の弓兵が馬を射り、その主を、ティジットを乾いた大地へと転がり落とす。馬はいななくと、そのままどこかへ駆けて行った。

 間髪入れず、今度は護衛のうちの豪腕の剣士がティジットに走り寄った。重量のありそうな大剣を振り上げる。が、真っ二つになる寸前で、なんとそれを皇子が抑えた。

「この間の優男か。不意打ちとはずいぶん姑息な手を使うものだ。まあいい。面白いから少し相手してやろう。ただ斬るのにも飽きてきたところだ」

 皇子は戸惑う護衛たちを当たり前に纏わりつかせながら、こんな劣勢のうちでも殺気を消さないティジットに近づく。

「術士が、それも将軍が、護衛も連れずに単身敵陣に乗り込んでくるとは。気でも触れたか? まあ、それも仕方がないな。さすがに精霊が現れた時は肝を冷やしたが……森の軍は今や風前の灯だ。こちらも相当な痛手を被ったが、この戦は我が皇国の勝利で飾られる。そして森の奥方の館もそう間を置かずにな」

 皇子の高笑いが響く。護衛たちも倣うように嫌な笑みを浮かべた。しかしティジットに怖気づく様子はない。

「司令官がいなくなれば分からないでしょう? それに……侵攻を強引に推し進めているのはあなたなのだと聞きます。それが無くなれば……森も……」

 皇子さえ亡き者にすれば、戦争そのものが終わるかもしれない。そう考えると嬉しかったのだ。ティジットは少し笑っていた。

 それを不気味がって、皇子は眉をひそめた。

「何を言っている? お前に俺を倒すことはできん。周りを良く見ろ」

目だけで、ティジットは言われたようにあたりを確認する。

 護衛ばかりか、一般兵にすら取り囲まれていた。ティジットがやって来たことで、先刻より皇子の周りの防備が厚くなっていた。

 状況を把握したティジットを見て満足げに鼻を鳴らした皇子は、おもむろに、手に持った重厚な剣を振り上げる。黄金色の柄に皇国の紋章が入った装飾豊かな両刃のものだ。

「さあ、我々を散々苦しめた森の術士の剣技がどれほどのものか……、暇つぶしに見せてもらおうではないか」

 そう皮肉っぽく言うが早いか、鎧を着込んだ体とは思えぬ速さでティジットとの間合いを詰め、振り下ろす。剣と剣がかち合う、きんと張った音が鳴り響く。

「くっ……」

 ティジットの声が苦痛で漏れる。なんとかしのぎはしたが、その両腕は、たったの一撃でしびれて硬直した。

 皇子が呆れ、だが楽しそうに笑う。

「おいおい……貧弱だな。よく今まで生きていられたな。これでも加減したんだぞ?」

 そしてティジットが動けるようになるのを待って、また皇子は剣を振りかぶる。

「……っ!」

 この優男が、どこまでの力に耐えられるのか試しているように、皇子は剣の強さを変えて撃ちこんでくる。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……。

 完全に遊んでいる。

「はっはっはっ……はーっはっはっはっ!!」

 歓喜に震える狂気の笑みが皇子の満面を覆う。

 その間中ずっと、激しい剣撃を受けながら、長い癖のある髪に時折隠れるティジットの口元が僅かに動いていた。

「どうした? 神への祈りか? そうだな、祈っておくがいい! 苦しまずに死ねますように。とな!!」

 ついにティジットは後が無い所まで追い込まれた。

 戦場となった平原に、ひとつ、小山と呼んでいいほどの大岩がある。昔の断崖の欠片かもしれない。そこに追い詰められたのだ。もう後ろは無い。

 間合いはまだいくらかありながらも、皇子の剣先がティジットの喉元を捉えた。

「終わりだな。思ったよりつまらん余興だった」

 周囲を皇子の護衛たちがティジットを逃がさぬように壁となって並んでいる。

 窮地だ。

 ところが急に、うつむき加減のティジットの口から含み笑いが漏れた。

「ふっ……ふふふふふ……」

 皇子が顔をしかめる。護衛たちもざわめいた。

「……本当に気でも触れたか?」

 ティジットが顔を上げ、何かをはらんだ紅瞳で皇子を見つめる。

「慢心ですね」

「なに?」

「あなたは私をいたぶり、追い詰め遊んでいたつもりなのでしょうが、……あなたこそ誘い込まれたんですよ」

「なんだと!?」

 しかし状況は最初となんら変わりは無い。ティジットは大岩を背にして独り。皇子の護衛ばかりか、数多の皇国の兵士に囲まれている。

 岩に何か仕掛けでもあるのかと疑う視線を向けた皇子だったが、見つからずティジットを睨んだ。どう見ても、勝機がない。

 皇子がまた平静さを取り戻した。

「はっ。たとえ誘い込んだとて、こんな所でどうするつもりだ? お前が取り囲まれていることには変わりは無い。渓谷の際ならまだ俺を谷底にでも落とすことができただろうに。まあ、そもそもそんな場所には行かないがな。くっくっ……。どの道、何をするにも不可能だ。満身創痍のひ弱な術士のお前に、今更なにができる?」

 心底可笑しいという様子で、豪奢な金髪を振り回しながら、皇子は笑う。

 息こそ切らしていたが、それを見るティジットは冷静だった。

「お忘れではなかったんですね。私が術士であることを」

「術を使おうというのか? 昏倒寸前に見えるが? どちらにしろ無駄だ。たとえお前に術を使う力が残っていようと、俺には強力な防護魔法が……」

 ティジットはそれを無視して語る。

「……イーシュ……ああ、とある少女が言っていました。この大岩の辺りに水の精が潜っていると。半信半疑でしたが、近づいてみて私にも分かりました。精霊を感知することはできませんが、術士ですから、そばに寄れば物質に宿る気は感じます。やはり、地下水脈があるようですね。それもごく浅いところに巨大なものが」

「……だからなんだ? 水脈など珍しくもなかろう」

「しかし、こんな乾燥した脆い大地に、術で着雷させたらどうなるでしょう? 兵士を狙うのではなく、地面を破壊するように意図して近距離で落としたら……」

 ティジットが、自らと皇子の間のわずかな範囲の地面を指差す。

 皇子の顔がさっと青くなった。

 想像がついたようだ。地下水脈に落ち、流される、と。

 皇子が何か言う間もなく、すでに詠唱を終えて準備していたらしい術を、ティジットは片手で印を結ぶことで発動させ、雷雲を呼び寄せる。

 斬りかかられながら呟いていたのは、もちろん呪文だったのだ。

 たちまちに、ティジットと皇子の頭上にだけ小さいが分厚い妖しい黒雲が現れる。そこから幾多の放電が起こる。雲の奥に、今にも溢れ出しそうに稲光が走る。

 手を伸ばせば届きそうなほどの空に、雲というより雷の塊と表現したほうがよさそうな、危険極まりないものが出来上がった。

 皇子の目は驚愕に見開いた。

 こんな近距離で発動させることは、普通は推奨されない。術士の身にも危険が及ぶ可能性があるからだ。

 それでもティジットは遂行する。

 額からは無数の汗が噴出し、体中の血管がどくどく脈打って浮き出る。

 一瞬、その身がぐらついた。

 だが、すぐさま片手で腰の小剣を抜き、自らの太ももに深々と刺し込む。その切っ先が、刺した反対側から顔を出す。

 いまいましげにティジットが舌打ちをした。

「……今、昏倒するわけにはいかないんです……」

 激痛によって、ティジットの虚ろな目は、かろうじてまた開いた。

「馬鹿な! や、やめろ!」

 あまりに瞬時のことで目を奪われていたが、皇子はやっと我に返る。すぐさま、なりふりかまわず叫びながら後退を始めるが、足がひきつっているのか動きがぎこちない。たかをくくったのが運の尽きだ。

 それを眺めたティジットが目を細め、どこか悟り顔で笑う。

 そして余韻を楽しまずに、即座にいかずちを真下の地面に落とした。

 爆薬のような轟音を立てて、雷が光を放ちはじけ飛ぶ。閃光が走る。

 百人の兵士をなぎ倒すような大術ではないが、昏倒しかかった体で短時間にこれほどのものを使うことができるとは。修練を積んだ術士のなせる技だ。ティジットに剣技を求めるなど、愚かしい。

 着雷の衝撃波、地鳴り、そして皇子とティジットの足元が焼け焦げ、砕け散る。

 人も大地も無く、全てが一度吹き飛ばされる。

 大きな濃い土煙が舞い、あたりが見えなくなった――。

「皇子!! ご無事ですか!?」

 砂にむせながら護衛たちが叫んだ。

 晴れてきた煙をさらに掻き分けてみれば、雷によって現れたいびつな大穴の断崖の遥か下、谷底の激流のような水の流れが、大地のまん真ん中に突如現れていた。

 本当に、ティジットの狙い通りに地下水脈まで穴が開いたのだ。

 しかし、その術士も皇子も姿がない。

 護衛の声が切羽詰ったものに変わる。

「皇子!!」

 微かな声が地上に届いた。

「……ここだ。げほっ……」

 なんという悪運だろう。

 着雷でティジット共々吹き飛ばされたのにも関わらず、皇子は穴の内側の岩のとっかかりに、すんでで掴まって命を繋いでいた。

 しかしそこは、とても鎧を着た者が上って来られるような傾斜ではない。垂直に近い。こんな脆い地層で、そこに引っかかっていられたのですら幸運だ。

 互いの頭が握った拳ほどに見える距離から、穴を覗き込む護衛たちに皇子が怒鳴る。

「早く引き上げろ!」

 そうは言われても縄など持ち合わせているはずがない。護衛たちが右往左往する。

 そのうちに機転の利いた一人が自らの外套を縦に長く裂き、結び合わせ始めた。慌てて他の者もすぐにそれに倣う。

 皇子は苛々と待ちかねる。その耳に、後ろからぞっとするほど冷静な声がかかった。

「逃がしません」

 ティジットだった。

 ティジットもどこかにしがみついていたのだろう。皇子の斜め下からよじ登り、その輝く金髪をむんずと掴むと、我が身ごと水脈に引きずり落とそうとする。体格の全く違う、こんな筋肉質な男を落とそうとするなら、全体重をかけるしかない。

 もうティジットの体力どころか、気力も尽きようとしているからだ。

 驚愕と恐怖に、皇子の顔は再び引きつる。

「よ、よせ! こんな地の中を行く水流に流されたら貴様も無事では済まないぞ!?」

「あなたを亡き者にするためなら、命などいといません。……馬上から剣を振るったはなから、そのつもりですよ」

 執念が漂う。言葉面は綺麗だが、それを語るティジットの周りには黒いオーラすら浮かぶようだ。心の根底にはこれほどの憎しみが流れていた。

 裏返せばその憎悪は、幼い頃失った親兄弟、そして共に戦場を渡った者達への想いだ。責任感、というのもその感情を増幅した。

 皇子の顔が、恐怖に硬直する。

 のたうち、暴れるが、掴まっている岩場の崩落を助長するだけで、すでに逃げようもない。護衛たちはただ手をこまねき、大穴の上からてんやわんやと騒ぎ立てる。

 その喧騒をよそに、ティジットが幻を相手に微笑んだ。

「すみません、イーシュ……。待っていてと言ったのに、約束させておきながら、それを果たせそうになくなってしまいました。……私はあなたを愛して良かったのでしょうか? これで本当に、全て失わせてしまうのでは……。全てを与えるつもりでいたのに……」

 その目には、明け方まで腕に抱いていた人の姿が映る。

「しかし私の力ではもうこうするしかできないのです。もう盾になる者を見るのもうんざりなんです。……ここを破られれば館も間もなく落ちるでしょう。森をこの荒野のようにはしたくはないのです。私の命ひとつで済むなら安いものです。どうせこの戦に負ければ同じことなのですから。勝手ばかりですが、どうか許してください。森は守られるでしょう。そこにきっと、これからも幸せはあります」

 ティジットの禍々しい雰囲気が、言葉を紡ぐたび、いつしか溶けるように消えた。最後には、あの少女に見せていた穏やかで至福に満たされた微笑が戻る。

「……もう伝えることもできませんが、これは私のあなたへの愛の証でもあります」

 そうして、きっとまた皇子を見据えると、ティジットは低い声で囁いた。

「さあ、皇子。ともに堕ちましょう。付き合いますよ。……地獄までもね」

 人を一人、憎しみを込めてその命を奪うのなら、それなりの代償が必要なことをティジットはよく分かっていた。

 髪を引く力が強くなる。

「やめろ! やめ……」

 重い鎧を着込んだ体だ。均衡を崩せばいとも簡単だ。皇子の手が岩から離れて、欠片が落ちた。

「う、うわああああああああ!!」

 絶叫が大穴にこだまする。

 そうして大きな飛沫の音と共に、消えた。

 急流が全てを飲み込んで、また何事も無かったように荒々しく流れる。二人の影すらもう見えない。

 砂埃上げて馬が数頭、駆け込んできた。

 エイクだ。その遥か背後には皇国の敵将の姿も見える。異変を聞きつけ駆けつけたのだろう。術士が全て伏したはずの戦場で、あの着雷の轟音は凄まじかった。

 エイクは護衛の操る馬の背から降りると、付き添われながら手負いの体を引きずりあたりを確認する。

 戦場が停止していた。

 大穴の周囲に立つ皇子の護衛たちも、他の一般兵たちも、彫像のように固まったままだ。突然の主の消失に唖然としている。

 エイクは目を見開き眉間の皺を深くした。

「……嘘だろ? だって、帰るんだろ? もういいから上がって来いよ、ティジット! ……ティジット!!」

 しかしその大穴からは、当然誰一人として出てこない。

 エイクがいくらか、よろけながらその方向に駆け出す。けれど見えるものは変わらなかった。

「馬鹿野郎!! 帰るって約束しただろうが! お前だって笑ってたじゃねえか!!」

 その足が止まった。行き場ない憤りに震えながら、左手に持っていた大剣を天に掲げた。それを勢いよく地面に投げつける。

 土くれを吹き飛ばし、剣は深々と地面に突き刺さった。衝撃で刀身が振るえ、剣鳴りが響く。そのそばでエイクが膝をつき肩を激しく上下させ、乾ききった大地の砂を握った。

「俺ぁ……イーシュや奥方様になんて言えばいいんだよ……。なんて……言えば……」

 皇国の者も、森の者もなく、戦場は静まり返り、ただその跡地を見つめるだけとなった。




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