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月明かりの精霊舞  作者: ふぇんねる
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21/28

8-7

 内臓をも震わすほどの進軍の銅鑼が双方の陣地に響き渡る。

 術でもかけられたように鼓舞された森の兵は、数では勝るはずのアンデルア軍を蹴倒す勢いで進み、押した。

 アンデルア兵には、どこか迷いが垣間見える。『精霊が本当にいるのなら、それが護っている森を侵略しても良いものなのだろうか?』と。不可解な存在に対しての、途方も無い畏怖だ。

 戦場では、そんな心の隙間に剣は刺さるものだ。皇国の鎧を纏った幾多の豪腕な戦士たちが次々と地に伏せる。森の民の猛攻で兵士数の差は徐々に狭められていった。

 それでもやはり、アンデルア皇国の軍力は隔絶だ。

 白藍色の月が落ちる夕闇迫る頃、圧倒的な兵力の差に森の軍はついに勢いを失い始めていた。互いに負傷者、そして死者は多数。この勢いでは、日が落ちたとて戦闘は終わらないだろう。皇国の方も将を揃えてきたのだ。これを決戦の場に選んだのに違いない。

 混沌が降りてくる。



 かろうじての様子で伝令が走り込んできた。

「ティジット様! 先ほどエイク様率いる部隊が、敵将の一人と直接に交戦を始めたとの知らせが入りました!」

「そうですか。分かる範囲での確かな現況は?」

「……被害は甚大だと……エイク様も利き腕に傷を負ったとの話です」

 ティジットの顔に浮かんだ笑みのようなものも、わずかで引きつりに変わった。

 目が険しく荒野を睨む。その上で、一人、また一人と、森の勇敢な戦士たちが動かなくなっていく。

 元々、体格的に、大柄で筋肉質なアンデルア人に比べ、森の民はひ弱な人種だ。最後の戦いとなるだろうと分かってはいても、さすがにもう体力の限界か。

 森の軍は八割が削げ落ち、今や前衛部隊も後衛部隊もなく、陣形は完全に崩壊していた。

 敵味方入り乱れての乱戦状態の中ではティジットもまた、それを客観視してはいられなかった。術を使い果たしうずくまる術士と、未だ爛々とした眼光を保ちながらも疲労に顔を歪めた護衛に囲まれた中央で、汗にまみれ、荒い呼吸を繰り返す。

 錫杖を持つその反対の手には、むき出しの短刀の刃が握られていた。気を失わないためにだ。とっくに術を使うような力は尽きている。今、ここに立っているのは気力だけでだ。

 返り血ではない血痕が、戦装束のいたるところを染める。赤い液体が、また肘まで垂れては滴った。

 その時、将軍の首を狙わんと、皇国兵の猛者数人が隊をなして突進して来た。

 即座にティジットの護衛たちが戦う壁となるが、長時間の交戦により普段よりはるかに薄い。

 一人がそれを突き破った。

 その使い込まれた血塗られた槍がティジットを襲い来る。

 ティジットは杓丈と短刀を捨てた。腰から剣を抜き、金属音を鳴らしてかろうじて受け流す。その剣はすでにいくつも刃こぼれをしていた。戦が始まってから初めて抜いたわけではない。

 すぐに護衛たちが取り囲み、皇国の槍兵を始末する。しかしティジットは放った杖を拾おうとはしなかった。

「ティジット様。よろしいのですか……杖は……」

 杖は、そのものの材質や埋め込まれた石などの発する波動の効果で、術者の集中力を補佐する。だがティジットは言う。

「ええ、構いません。到底、もう大技は繰り出せませんから」

 今、術を使うような精神力の尽きたティジットの身を護るのは自身の頼りない刃と、護衛の力によってしかない。

 それはほぼそのまま森の軍にも当てはまった。術士のほとんどが力尽きた。動いているのは剣士や槍士のような武器を扱う者たちだ。

「すぐそこに皇子の姿が見えているというのに……」

 ティジットが唇を噛む。

 その臨む向こう、そう遠くはないところに皇子とその護衛たちの集団がいる。

 それはティジットと術士たちの功労だ。こちらも相当な痛手を被っているが、しかし、その働きによって、アンデルア軍の前衛部隊はほぼ滅され、残った兵たちもばらけた。

 しかしそれを再び纏め上げる者がいる。アンデルアの皇子だ。

 間近に見る皇子は凄まじい。配下の将軍たちの影を感じさせないほどに。開戦直後から前線近くに立ち剣を振るうその前に立つものは即座に倒れた。

 そして今、新たな陣を作り上げながら森の兵を斬り倒し、一歩一歩、ティジットとの距離を狭める。

 こんな男と剣と剣で対峙することができるのは、森一番の剣豪、エイクくらいだろう。しかし、配下の将と相まみえるその男はここまで辿り着くことができるだろうか。もうティジットたちの部隊には力が残っていない。非常に不本意ではあるが、死なぬよう、のらりくらりとかわしているだけに等しかった。

 だが、いつまで経ってもその一隊が現れる気配はない。

「手傷を負ったと聞きましたが……よもや……。いやまさか、彼に限って」

 どちらにせよ利き手をやられたのでは期待ができない。

 ティジットは悔しそうに小さく舌打ちをした。恐らく皇子を押さえれば、戦局が変わる、いや戦が終わるのに違いないのに。しかし、そのたった一人が最大の障害だ。

 ふと、ティジットが身動きを止めた。

 睨むようだった目が感情を宿さないものに変わる。風が癖のある灰色の髪をなびかせた。

 幾戦場も付き添った護衛たちだ、すぐに主の変化を察知した。

「ティジット様! 今、ティジット様に盾が必要だというのなら、私たちは喜んで盾にでも何でもなりましょう! どうか勝利の為にご命令を!!」

 護衛一同が鎧を鳴らし、敬礼をする。

 ティジットは『盾』という言葉に一瞬目を剥く。しかし無言のまま一人頷いた後、この血しぶき舞う戦場にはおよそ似合わない静かな微笑を浮かべた。

「盾、ですか。それもいいかもしれませんね」

 その言葉は護衛たちに向けられてはいなかった。

「ティジット様……?」

 護衛たちが主を怪訝そうに、そして不安そうに見つめる。

「馬を貸してください」

 ティジットはそう言うと、奪うようにして護衛の一人を馬から降ろし乗り込んだ。そうして有無を言う間も与えず、馬を駆って単身そこを発った。それは前線の方角だ。

「えっ!?」

「ティジット様!!」

 護衛たちの声が、もう届かないほど遠くへ行ってしまった主の背中を追いかけた。




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