第57話 花火大会③
そんなちょっとしたハプニングもありつつ。
人が減って少し快適になった会場で祭りを堪能した俺たちは、有識者たる橋本の先導で"花火鑑賞の穴場"に向かっていた。
どうやらなにがなんでもサプライズにしたいらしく、橋本に何度目的地を聞いてもはぐらかされるばかり。
結局打ち上げ開始の直前まで場所取りもせず遊び呆けてしまったのだが、本当に大丈夫なのだろうか。
橋本の意図を承知しているであろう篠原さんがなにも言わない辺り、杞憂に過ぎないのだろうが……そこはかとなく不安だ。
「なに微妙そうなツラしてんだよ、俺を信じろって! ほれ、こっちこっち」
「……うーん。橋本、僕の記憶が正しければ……この先にあるのは駐車場だったと思うんだけど」
怪訝そうな森山の言葉に、橋本は「もうバレたのかよ」と不満げに唇を尖らせた。
言われて進行方向に目を凝らせば、確かに公園利用者専用の駐車場への案内板が目に入った……同時に、夏祭り期間中の関係者以外の立ち入りを禁じる旨の看板も。
どうやらこの駐車場は、関係者専用の駐車スペース兼簡易の資材置き場として活用されているらしい。
「関係者以外立入禁止らしいけど?」
「つまり関係者なら問題ねぇってことだな! いいからついて――ぐへっ」
「ここまで来たらもういいでしょ……ごめんなさい。実はおじさん――このバカのお父さんが、夏祭り実行委員会の設営班長をされてるの」
……なるほど。篠原さんの言葉と、駐車場内にちらほらいる家族連れの姿に大方の事情を察する。
それを確かめようと橋本の方に視線をやれば、駐車場の前に佇んでいた法被姿の大柄な男性に大声で話しかけていた。
「おーい親父ー! 来たぜー!」
「やっときたか大翔。もう打ち上げ始まっちまうぞ」
どうやら彼が橋本の親父さんらしい。橋本がそのまま大きくなったらこうなるだろうという印象そのままの風貌で、血の繋がりを強く感じる。
ともあれ、俺たちもまずはご挨拶をしなければ。並んで頭を下げると、橋本の親父さんは笑って首を振って、
「そういう堅苦しいのはいらんいらん! 君らのことは大翔から聞いてるよ、こっちこそ息子が世話になってるようで……特に勉強面とかな! おい大翔、お前からもちゃんと礼は言ってるんだろうな?」
「言ってるし、今日のこれもその一環だっての」
「はっはっは、そうだったな。まぁそういうわけだ……関係者特権ってことで、心置きなく特等席で楽しんでくれや」
「あ、ありがとうございます」
豪快に笑う橋本の親父さんの言葉に、とりあえず俺たちも頭を下げて謝意を示す。
一人平然としていた橋本は近くの軽トラに歩み寄り、荷台からいくつかの折り畳み椅子を運び出していた。
「おーい、濱崎か森山ー。椅子運ぶの手伝ってくれや」
「あ、了解っす」
橋本の呼びかけに足早に向かう濱崎。笑顔で手を振る親父さんにもう一度頭を下げて、俺たちもそちらへ合流する。
「……穴場って言うからどんな場所かと思えば、こういうことか。俺らは関係者ってわけでもないのに、本当によかったのか?」
「いーんだよ。俺とシオでちょっとだけ設営手伝って、実行委員会のおっちゃんから友達連れてきていいって許可もらってるしな」
「へぇ……意外と入念に準備してたんすね」
「それにしても8人は多くないかしら?」
「別に厳密に人数決まってるわけでもないし、騒ぎまくって周りに迷惑かけるようなことがなきゃ大丈夫だろ」
「慣例としてそういうものがあるってだけで、厳密な決まりがあるわけじゃないの。あたしからも運営委員の方に話は通してあるから、安心して楽しんでいって」
高宮さんの疑問に、橋本と篠原さんは安心させるように微笑んで答えた。
「まぁ、篠原さんがそう言うなら……」
「志緒ちゃんありがとねー!」
「おぉい! 何でシオの言葉だけすんなり受け入れられてんだよ! 俺も頑張ったんですけどぉ!」
「日頃の行い……冗談だよ。ありがとう、ちゃんと感謝してる」
「色々考えてくれてありがとう、橋本くん、志緒ちゃん!」
「お、おぉ……わかってんならいいんだよ」
俺と陽華が笑顔で礼を言うと、橋本は照れたように頬をかいた。
後ろめたいことがあるわけでもなく、俺たちが快適に花火を楽しめるように尽力してくれたというのなら、素直に感謝するほかない。
さて……花火の打ち上げ時間まではもう少しだ。
早いところ腰を落ち着けようと全員で歩き出したのだが……何故か、俺と陽華だけ橋本に呼び止められてしまった。
「何だよ橋本、まだ何かあるのか」
「お前と明瀬さんはあっちな」
あっち、と橋本が指差す先は、駐車場の裏手にある林の方。
……まさかこうも堂々とハブられるとは思ってもみなかったな。それも祭りに誘った張本人に。
「先に言っとくがハブりとかじゃねぇからな? 純粋な善意による提案だから安心しろよ」
「そりゃあよかった、割と本気で落ち込むとこだったよ。……で、その提案ってのは?」
「この公園のランニングコース、そこの林の中まで続いてんだけどさ。その道をちょっと歩いたとこに休憩用のちっせー屋根付きの……あー、何て言うんだっけ、小屋みてぇな」
「東屋、かな?」
「そうそれ! 東屋が建ってんだよ!」
陽華の補足に大きく頷く橋本。
「俺らが子供の頃は、知る人ぞ知るカップル御用達のデートスポットだったんだけどなー……詳しくは知らねーけど、何年か前の夏祭りでトラブルがあったらしくてよ」
そのトラブルとやらが原因で、夏祭り期間中は林ごと立ち入り禁止になってしまった、と。
シチュエーションからトラブルの内容について察してしまうところはあるが……俺たちは立ち入ってもいいのか?
「駐車場と同じだよ、許可もらったら入れんの。実際去年も俺とシオで使わせてもらったし、なんならそこでファースト――」
「ちょっとヒロ! あんた何話してんの!?」
「やっべ聞こえてた!」
……急に目の前で惚気られた。若干鼻白みつつも、普段の俺たちも似たようなものかと思い至る。
同じことを思ったらしい陽華と苦笑し合って、とりあえず話を進めるように促した。
「それで……そんな絶好のデートスポットを、俺たちに提供してくれると?」
「いえーす。お前らなら変な問題起こすとかもないだろうしな」
「嬉しいけど、本当に私たちだけでいいの? 志緒ちゃんと橋本くんは……それこそ美樹と濱崎くんを呼んであげた方が」
「俺もそう思って最初に濱崎に声かけたんだけどなぁ……『二人きりとか絶対無理っす!!』って断られちまった。ヘタレ野郎め」
小声で尋ねる陽華に、同じく声を潜めて答える橋本。
話に上がった当人の方を見れば、椅子の用意を向井さんたちに笑顔で労われてたじたじになっているところだった……まぁ、流石に荒療治か。
「俺とシオはもう何度も来てるし、森山たちはそういうのじゃねーし。……一応聞くけど、そういうのじゃねぇよな? なんかあからさまに訳アリっぽい感じだけど」
「お前が知らないのに俺が知るわけないだろ」
「うぅーん……まぁ、仲が悪いってわけじゃないと思うけど。そういうのはまだ早い、かも?」
……なんとも含みのある言い方だ。親友の高宮さんから何か聞いているのかもしれない。
あまり個人のプライベートを詮索するのもよくないし、これ以上踏み込むのは――待てよ、そう考えると濱崎たちの関係に干渉しすぎるのもよくないのか? あれは濱崎からSOSを出されてのことだし流石にノーカンか。
そんな益体もないことを考えていると、橋本が話を切り上げるように手を叩いて、
「ま、とにかくだ。俺と、あとシオからの二人への個人的なお礼ってことで、心置きなく二人きりの時間を楽しんでくれや! 」
「お礼?」
「……シオに料理を教えてくれるお礼、いつかするって言ってただろ?」
「あぁ――」
そう言えば、前に俺の家で勉強会をした時にそんなことを言っていたな。
まさかこんな形でお返しをしてくれるとは、何とも粋な話だ。
これ以上あれこれ言うのも野暮だし、ありがたく二人で楽しませてもらおう。
「――ま、友達と遊びに来てんのに二人で抜け出していちゃつこうなんて図太いカップル、お前らぐらいしか居ないだろうしな」
「……お前は本当に素直に感謝させてくれないな」
「あはは……あんまり反論できないかなぁ」
決して俺たちが友人関係を軽視しているわけではない、ということは改めて明言しておきたいところだ……ただ少しだけ周りのことが見えなくなりがちというだけで。
軽口を叩く橋本に重い一撃を叩き込んだ篠原さんが、苦笑交じりに声をかけてくる。
「ごめんなさい、こいつなりの照れ隠しなの……改めて、私からも二人にお礼を言わせて。本当にありがとう」
「どういたしまして。こちらこそ、志緒ちゃんと一緒にお料理できて楽しかったよ!」
悶絶する橋本と、笑い合う陽華たちを横目に、椅子の設置を終えてこちらを眺めていた濱崎たちの方へ歩み寄る。
不思議そうな顔の濱崎の肩を軽く叩き、その耳元で、
「――来年は向井さんと二人で来れるように頑張れよ、応援してるぞ」
「ぅぇ゛っ……!? ちょ、師匠……っ!?」
「ははは、いいね。ちょうどいい目標じゃないか……君たちみたいなカップルがもう一組増えると思うと、独り身は少し肩身が狭いけどね」
慌てる濱崎に、すぐ近くに居た森山が冗談っぽく肩を竦めてみせた。どうやら聞こえていたらしい。
一応周囲を確認するが、女性陣は四人で集まって談笑していたようだ。小さく胸を撫で下ろす。
思っていたより随分長く話し込んでしまった。そろそろ俺たちも目的の東屋に向かわなければ。
「陽華、そろそろ行こうか」
「はーい! みんな、また後でね~」
「えぇ、また後で。人目がないからって羽目を外しすぎないようにね」
「いってらっしゃーい! いいなー、青春っぽいなー」
「おーいてて……あ、そうだ。虫除けスプレーとか持ってるならちゃんと使っとけよー」
「はいよ」
橋本のありがたいアドバイス通り、持参した虫除けスプレーをお互いに振りかけて準備は万端。
友人たちの見送りに手を振って応え、少し足早に林の中へと踏み入っていく。
ランニングコースに沿って進むこと数分。祭りの歓声が掻き消え、木々のざわめきと虫の鳴き声に取って代わられた頃、俺たちは足を止めた。
目の前には、暗がりに溶け込むようにして、古びた東屋がひっそりと建っていた。
すっかり年季の入った木の屋根の下に、大人数人が腰掛けられる程度のベンチがひっそりと据えられている。
「おぉ……何と言うか、雰囲気があるな」
「ほんとだね……。ここだけ別世界みたいって、ちょっと大袈裟かな?」
「気持ちはわかるよ」
そう笑い合ってベンチの方へ歩み寄り、座面の砂埃を軽く手で払う。浴衣が汚れないよう陽華の座る場所にハンカチを敷いて、並んで腰掛けた。
スマホで時間を確認すれば、打ち上げまであと僅か。間に合ってよかったと安堵の息を吐いた、その直後――。
ひゅぅぅぅぅ――どぉぉぉんっ!
並んで空を見上げる俺たちの《《背後》》から、腹の底を揺らすような轟音が鳴り響き、周囲がパッと明るくなった。
「……逆側だったか」
「一発目は見逃しちゃったね……どんなのだったか、あとで皆に聞いてみよっか」
「そうするか」
苦笑しつつ、反対側のベンチに座り直して夜空を見上げる。
生い茂った木々は高さはそれほどでもないようで……おかげで、夏の夜空を鮮やかに染め上げる花火を、余すところなく一望できた。
文字通り花のように咲く球形の花火、ハートや惑星の図を描く型物の花火、枝垂れ柳のように弧を描いて降り注ぐ花火。
不規則に光の帯が飛び散るような花火や、いくつもの小さな花火が一斉に始める花火など――色も形も千差万別の花火が、広大な黒いキャンパスに咲き誇っていた。
最初は少し喧しく感じていた炸裂音も、何度も聞いている内に耳に馴染んでくる。
視界を埋め尽くす美しい光景と耳朶を揺らす壮大な音楽に浸っていると、くいくいと袖を引かれる感覚。
ちらりと視線だけを傍らに向ければ、悪戯っぽい笑みを浮かべた陽華がゆっくりと唇を動かして、
「好きだよ、辰巳くん。大好き♪」
「……俺も好きだよ、陽華」
「あれっ、聞こえてた!?」
自分から仕掛けてきたのに、何故びっくりしてるんだこの娘は。
「ラブコメとかでよくあるじゃない? 勇気を出して告白したけど花火の音で遮られて、みたいな。せっかく彼氏と来てるんだし試してみようと思ったんだけど……」
「この距離だと流石にな。そういうのってもっと離れてやるもんだろ」
……ラブコメのお約束みたいな認識はあるけど、具体例を探そうとすると意外と出てこないな。
苦笑しつつやってみるかと尋ねると、陽華は笑顔で首を振って、むしろぴったりと寄り添ってくる。
「そういうのって付き合う前の男女がやるものでしょ? 私たちはもう付き合ってるし、こうして二人でいちゃいちゃする方がお得だよ!」
「陽華がそれでいいならいいが……暑くないか?」
「ちょっと暑いけどこれがあるし……あ、もしかして私、汗臭かったり……?」
「いやいや、それはむしろ俺の方が心配なんだが」
「んー? 私は辰巳くんの匂い好きだよ?」
「……汗臭いの自体は否定してくれないのか」
一旦離れて制汗シートを使わせてほしいんだが、ダメか? ダメか。なら仕方ない。
そんな風に軽口を言い合いながらも、俺たちの視線は花火に釘付けになっていた。
こうして現地で花火鑑賞をするなんて何年ぶりだろう。夏祭り自体、まだ母さんが居た頃に家族で行ったのが最後かもしれない。
思い出に浸っていると、傍らの陽華が小さく笑い声をあげた。
「ふふ、今日楽しかったねぇ。こんなにたくさんの友達とお祭りに来たのなんて初めてだよ。辰巳くんはどうだった?」
「俺はそもそも友達と祭りに来たのが初めてだな……まぁ、楽しかったよ。楽しくて、ついはしゃぎすぎた気がする……」
全身を包むどこか心地いい疲労感に、思わず溜め息を吐く。
陽華と二人きりという慣れ親しんだ環境に腰を落ち着けたことで、どんどん気が抜けていくのを感じる。うっかり欠伸が漏れてしまいそうだ。
……慣れ親しんだ環境、ね。少し前まではあり得なかった自分の思考に、つい笑い声が漏れた。
「どうしたの?」
「いや……こういう時間が、俺の中ですっかり当たり前になってたことに今更気付いてさ。好きな女の子と二人っきりで花火を見るなんて、もっと舞い上がったり緊張したりしてもいいのにな」
「……確かに。私も今、すっごく落ち着いてる。ちょっと前まで、一緒に居るだけであんなにドキドキしてたのに」
「一か月弱も一つ屋根の下で生活してたらそうもなるか」
俺は自分の理性とか自制心みたいなものに、もっと自信を持つべきなのかもしれない。色々と麻痺しているだけかもしれないが。
……改めて口にすると絶対におかしいよな。
どうして付き合いたての高校生カップルが、いきなり半同棲を始めることになってしまったんだ? それに加えて、付き合って早々お互いの家族にご挨拶まで済ませて……なんて明らかに展開が早すぎる。
決して嫌だったわけじゃない。陽華のご両親に受け入れてもらって、陽華が俺の家族と打ち解けてくれたのは嬉しかったし、短い間とはいえ二人で生活を営む時間は間違いなく楽しかったのだ。
――そんな激動の夏休みも、もうすぐ終わる。
「今年の夏休みももう終わりか。長かったような、短かったような……何と言うか、今までの人生で一番濃密な夏休みになったなぁ」
「あはは、私もおんなじこと思ってたよ! はぁ……辰巳くんとの同棲もこれで終わりかぁ。寂しくなっちゃうな~」
「半同棲な。まぁ、別にこれで会えなくなるってわけでもないんだからさ」
軽い調子で答える俺に、陽華は不満そうに頬を膨らませて、
「それはそうだけどぉ……なんか冷たくない? 辰巳くんは寂しくないの? 辰巳くんは私なしでぐっすり眠れるの!?」
「語弊が怖い言い方はやめてくれ!」
「ふーんだ」
……そうならないようにどうにかしなければ、という思いがあったのも事実だが。
ふいっとそっぽを向いて、分かりやすく頬を膨らませる陽華。
その子どもっぽい仕草に頬を綻ばせつつも、お拗ねになられたお嬢様の機嫌を取るために、少しトーンを落として語りかけた。
「……悪かったよ。俺だって、明日から家に帰っても陽華が居ないと思うと寂しい。これで満足か?」
「言葉だけじゃ足りないなー? まだ私の寂しさメーターは満タンのままです」
「寂しさメーターとは……じゃあ、何をすれば機嫌を直してくれる?」
重ねて尋ねると、陽華は「待ってました」と言わんばかりにニヤリと口元を緩めた。
そして、人差し指でトントンと自分の唇を叩いてみせる。
「寂しさが吹き飛ぶくらいのを一発、お願いしまぁす♪」
「お前なぁ……」
どこか挑発的なその態度に苦笑しつつも、断る理由なんてどこにもない。
周囲には誰も居ない。夜空に咲く大輪の光が、東屋の中にいる俺たちの影をきれいに二つ、重ね合わせていく。
徐に顔を近づけると、陽華は少しだけ驚いたように目を瞠り、ゆっくりと瞼を閉じた。
期待と羞恥に染まった頬に指を滑らせると、彼女の肩がピクリと震え……薄い唇が小さくわなないた瞬間に、そっと唇を重ねる。
ハンディファンから送られてくる微風に乗って、彼女の甘い匂いが鼻腔を擽る。汗臭さなんて微塵もない。
「ん……」
ほんの数秒。けれど、どこか永遠のようにも思える時間を経て身体を離すと、陽華の顔は花火の光よりも赤く染まっていた。
「……ソースの匂いがする」
「さっき食べた焼きそばだな。夏祭り限定の特別仕様、ってことで……ご満足いただけましたか?」
「うん。……ちょっと、チャージされすぎちゃったかも」
さっきまでの大胆さはどこへやら、急に恥ずかしくなったのか、陽華は俺の胸元に顔を埋めて大人しくなってしまう。
まぁ……おかげで同じぐらい赤くなった顔を見られずに済んだようだし、正直助かったか。
綺麗に整えられた髪型が崩れないよう、優しく撫でていると……不意に、それまで絶え間なく響いていた轟音がピタリと止んだ。
視線を上げれば、夏空に残るのはうっすらと漂う白い煙だけ。
キスに夢中になるあまり、最後を締め括る特大の連発花火が打ち上がったことすら気付かなかったらしい。
「どうやら花火も終わったみたいだな」
「……ほんとだね。なんだか、あっという間だったなぁ」
胸元から顔を離した陽華が、名残惜しそうに夜空を見つめる。
楽しかった夏祭りの終わりを告げるような静寂に、少しだけ切なさが胸をよぎるが、不思議と寂しさはなかった。
「……花火も終わったし、一旦あいつらのところに戻るか」
「うんっ♪ そうしよっか!」
「上機嫌だな?」
「だってぇ……花火を背景に、好きな人とキス……みたいな。そういうのも憧れだったから……ありがとう、辰巳くんっ。辰巳くんと来れて本当によかった!」
「どういたしまして。俺も陽華と来れて、本当によかったよ」
今日一番の、満開の花火にも負けない輝くような笑顔を咲かせた陽華に目を奪われながら、しっかりと頷く。
彼女が一緒に居てくれること……出会ってくれたこと。
その喜びを感じる度に、陽華への愛情と感謝を深くして……きっとこれから、ずっとそれを繰り返していくんだろう。
どちらからともなくベンチから立ち上がり、しっかりと繋いだ手を一度だけ強く握り合う。
「また来よう。それで、来年の花火は皆で観ようか」
「いいね! ……もしかしたら、来年は別のカップルがあの東屋を使うことになるかもね?」
「それは当人の努力次第だなぁ……」
激動の、そして俺の人生で最も特別になった夏休み。
その終わりを惜しむように、俺たちはゆっくりと、祭りの余韻が残る夜の林道を歩き始めた。
大変お待たせいたしました。
次話から新章:体育祭&文化祭編に入ります、よろしくお願いいたします。




