第103話-B:このような事が許されてもいいのでしょうか
隼人VS静香。
六花が本部長からの指示で稲北高校バドミントン部のマネージャーを務める事が決まった際、美奈子や本部長と充分に話し合った上で取り決めをしておいた事がある。
それは六花はあくまでも『マネージャー』であり、部員たちの普段の練習や試合を裏方として支援する『脇役』であるという事だ。
表舞台に立って部員たちを本格的に指導するのは、あくまでも監督である美奈子の役目であり、六花は美奈子の指導方針には一切合切全く口を出さないという事を、本部長と美奈子に快く同意して貰ったのだ。
その理由は、3つある。
まず1つ目が、美奈子の指導者としての有能さを六花は全面的に認めており、今更自分が口を挟む必要など微塵も無いと判断した事だ。
その分かりやすい例が、楓だ。
全国大会に出場経験があるとはいえ、楓は平野中学校時代は、全国レベルではほとんど無名の選手だった。
その楓を美奈子は稲北高校において、県予選大会準決勝で隼人をあそこまで苦戦させる程までに立派に育て上げてみせたのだ。
いや、楓だけではない。
かつてはウンコより存在価値が無いとまで呼ばれ、六花がJABSの仕事で視察に訪れた際にも、特に目立った選手が1人も居なかったと前支部長に報告していた稲北高校バドミントン部を、美奈子はここまで立派に底上げしてみせたのだ。
これ程までに美奈子が監督として結果を残してくれている現状において、今更六花が部員たちに対して余計な指導をする必要性など微塵も無いだろう。
2つ目の理由は、自分が美奈子の指導に口を出す事で、部員たちに対して無用な混乱を招きかねないと六花が判断した事だ。
美奈子が部員たちに対して指導をしている最中において、下手に六花が出しゃばって部員たちに余計な横槍を入れて技術指導をしてしまうと、部員たちは混乱して
『え!?じゃあ俺達は須藤監督と藤崎マネージャーの、一体どっちの指示に従えばいいんだよ!?』
という事になりかねないからだ。
だからこそ六花は部員たちに対して、六花からの指導を何度も受けた経験のある隼人と、普段から六花が指導をしている彩花以外には、技術的な指導は一切しないし一切応えるつもりも無い。
何か技術的に気になった点があったら、マネージャーの自分ではなく監督である美奈子に聞いて欲しいという事を、六花は自らの考えと共に部員たちにしっかりと伝え、部員たちも笑顔で快く了承してくれたのだ。
3つ目の理由が、この短期間の間に指導者がコロコロコロコロ代わってしまうと、折角部員たちが今まで美奈子の下で築き上げてきた頑丈な土台が、一気に瓦解する事になってしまいかねないからだ。
もし今ここで六花が美奈子の代わりに監督にでもなってしまおう物なら、美奈子と六花の指導方針の違いから、部員たちに対して余計な不安や混乱を与えてしまう事になりかねない。
この件に関しては六花も美奈子もシュバルツハーケンでの現役時代に、何回か経験している事でもあるのだ。
実は本部長からは六花が監督に、美奈子がマネージャーになって欲しいという要請があったのだが、それを六花も美奈子も丁重に断っている。
本部長は美奈子の監督としての手腕を高く評価した上で、それでも話題性という観点から日本のバドミントンを盛り上げる為に、美奈子ではなく六花を監督にしたがっていたようなのだが。
それでも六花はシュバルツハーケンでの自らの経験を踏まえた上で、
『部活動の主役は私や美奈子さんではなく、あくまでも選手たちです。』
『選手ファーストという観点から考えれば、やはり美奈子さんがこのまま監督を続ける事がベストな選択だと、そう私は考えています。』
と本部長に伝え、本部長も六花と美奈子の意志を尊重して、快く了承してくれたのだ。
こうして彩花と静香、六花が新しく加わった、新生・稲北高校バドミントン部が本格的に始動。
右肘を痛めている静香は彩花との県予選準決勝で見せつけた、隼人と全く遜色のない左打ちで練習に参加する事になったのだが。
美奈子の指導を受けた静香は、これまで碌な指導者に恵まれなかった鬱憤を晴らすかのように、コート上で思う存分躍動していた。
小学校時代に所属していたバドミントンスクールの講師も。
平野中学校でのマッチョも。
聖ルミナス女学園での黒メガネも。
誰もが静香の実力と才能を持て余してしまっており、静香に対して適切な指導が出来ず、これまで静香は随分と窮屈な思いをさせられていた。
先日、日本のバドミントンからの永久追放を言い渡された黒メガネに至っては、指導者としても人間としても完全に論外だ。
だが美奈子は違う。静香の才能を充分に理解し、静香の実力を存分に引き出してくれている。
静香はこの稲北高校において、ようやく巡り合う事が出来たのだ。
心から『師』と呼ぶ事が出来る、須藤美奈子という最強の指導者と。
そして2日後の、2024年7月24日の水曜日。
静香の右肘が完治して医師からの許可も得たという事で、これまで左打ちで練習をしていた静香が、本格的に右手にラケットを持って練習する事になった。
そしてシングルスの実戦形式の練習において、静香は隼人と1セット5ポイント制で試合をする事になったのだが。
「ワンセット、ファイブポイントマッチ、ラブオール!!1年A組、朝比奈静香、ツーサーブ!!」
「さあ、油断せずに行きますよ!!」
1セット5ポイント制という事で、高台に上がった六花のコールと同時に、隼人も静香もいきなり神衣を発動したのだった。
黒衣と違って身体に相当な負荷が掛かる、まさにハイリスクハイリターンな神衣ではあるが、1セット5ポイント制ならば10分もあれば終わるので負荷もクソも無い。
県予選決勝での隼人VS彩花の試合同様、互いに神衣を纏った者同士の試合。
一体どんな凄まじい試合になるのかと、部員たちは固唾を飲んで見守っていたのだが。
「よ〜し、皆!!隼人と朝比奈のどっちが勝つか賭けねえか!?ひと口んまい棒1本(15円)な!?」
そんな中で駆が物凄い笑顔で、こんなとんでもない事を言い出したのである。
「俺、須藤。」
「じゃあ私は朝比奈さんで。」
「1−0!!」
部員たちがとても興味深そうに、ホワイトボードに自分の名前を次々と記入する最中、静香の黄金の月光が隼人のラケットを空振り三振させた。
「藤崎はどうだ!?」
「うええ、天野君、この2人のどっちが勝つかなんて、そんなの私には決められないよぉ(泣)!!」
「1−1!!」
彩花が駆に対して目をうるうるさせる最中、隼人の黄金のスマッシュが静香の黄金の天照をぶち破った。
「2−1!!」
そのお返しと言わんばかりに、静香の黄金の維綱が隼人のラケットを吹っ飛ばす。
静香と隼人。この両方と戦った経験があるからこそ、彩花には簡単には決められないのだ。
この両者互角の実力の持ち主の、一体どっちが勝つかなどと。
「2−2!!」
「どうだ!?里崎も乗らねえか!?まだ受け付けてるぞ!?」
そんな中でただ1人、腕組みをしながら試合を凝視している楓に対して、駆が物凄い笑顔で声を掛けたのだが。
「天野くん、賭けだなんて…!!神聖なバドミントンをやってるのに、そんな不埒な真似をするなんて!!」
「え(泣)!?」
駆と違ってクソ真面目な楓は、駆に対してマンボウみたいに頬を膨らませながら、めっちゃ不機嫌そうな表情で駆を睨みつけたのだった。
まさかの楓の予想外の態度に、駆は戸惑いを隠せない。
バドミントンは、紳士のスポーツだ。
それ故に他の競技以上に『礼節』という物が厳しく要求されるスポーツであり、賭博など到底許されるはずがない。
ひと口んまい棒1本(15円)だからとか、そういう次元の話では無いのだ。それを楓は駆に対して怒っているのである。
「須藤監督!!このような事が許されてもいいのでしょうか!?」
「3−3!!」
マンボウみたいに頬を膨らませながら、楓が美奈子に対して抗議したのだが。
「じゃあ私は朝比奈さんに賭けちゃおうかしら(笑)。」
「ええええええええええええええええええええ(泣)!?」
美奈子がニヤニヤしながら、自分の名前をホワイトボードに記載したのだった…。
まさかの美奈子の行動に、楓は目をうるうるさせながら、ポカ~ン( ゜д゜)とした表情になってしまっている。
こういう状況では監督である美奈子が率先して、駆たちを「めっ!!」と叱らなければならないのではないのか。
それなのに美奈子の方が、こんなにもニヤニヤしながら静香に賭けるなんて。
いや、と言うか。
「て言うか須藤監督!!貴女は隼人の母親なんですから、どうせ賭けるなら息子の隼人に賭けて下さいよぉ(泣)!!」
「4−3!!」
いよいよ静香のマッチポイントとなり、部員たちが一斉に充実した笑顔で隼人と静香に声援を送る。
このまま静香が得点を奪って、一気に勝利を決めるのか。
それとも隼人が意地を見せて、逆転勝利を決めるのか。
「勝てよ隼人!!お前の勝利に俺のんまい棒1本(15円)が掛かってるんだからな!?」
「はいよ!!」
互いに楽しそうな、そして真剣な表情で、プロレベルの超高速ラリーを繰り広げる隼人と静香。
だがそんな駆の願いも虚しく、静香の黄金の涼風が隼人のコートのネット際に、ポトリと力無く落ちたのだった。
「ゲームセット!!ウォンバイ、1年A組、朝比奈静香!!ワンゲーム!!5−3!!」
「よおしっ!!」
穏やかな笑顔の六花のコールに、笑顔でガッツポーズを見せた静香。
対称的に隼人は苦笑いしながら、思わず天を仰いでしまう。
静香に賭けた部員たちは大喜びし、逆に隼人に賭けた部員たちは残念そうな表情になってしまったのだった。
この後、隼人に賭けた部員たちは、静香に賭けた部員たちに対して、んまい棒1本(15円)を稲北高校のすぐ近くにあるスーパーで購入して、奢らなければならないのだから。
「お互いに、礼!!」
「「有難う御座いました!!」」
それでも六花に促されて、神衣を解除して握手をした隼人と静香に対して、部員たちが目一杯の声援を送る。
んまい棒1本(15円)は抜きにしても今回の隼人と静香のハイレベルな試合は、部員たちにとって色々と得る物があったに違いない。
そんな愛しの教え子たちを美奈子が、とても慈愛に満ちた笑顔で見つめていた。
「…はい、藤崎です。…はい、お疲れ様です…はい。」
試合を終えた隼人と静香が笑顔で談笑する最中、高台から降りた六花がスマホを耳に当てながら、何やら真剣な表情で話し込みながら体育館から出て行く。
そんな中で部員たちの誰もが、心の底から思う。
こうして『神童』隼人に勝利した『天才』静香が、愛知県代表としてインターハイに出場出来ないというのは、本当に理不尽かつ残念な事だと。
だがそれこそが、学生スポーツの残酷な掟なのだ。
静香がどれだけの実力を有していようが、それでも結果として静香は県予選大会準決勝で彩花に敗れており、決勝まで残った隼人と彩花が愛知県代表として出場する事が既に決まっているのだから。
クジ運に恵まれなかった…と言うか準決勝で彩花と静香を対戦させる為に、エ~テレの前ディレクターが不正にクジを操作していたのだが。
これが勝負の世界である以上は、それをも含めて静香の実力なのだ。
その後、美奈子の指示で整理体操と後片付けを済ませた隼人たちは、美奈子の前に一斉に整列し、美奈子からのありがた〜い言葉に耳を傾けていたのだが。
「皆、ちょっと聞いてくれる?さっき支部長から私のスマホに電話が来たんだけど、中止になっていた楓ちゃんと朝比奈さんの3位決定戦が、名古屋金鯱もこもこスタジアムのプレオープンマッチとして行われる事が決まったそうよ。」
そこへスマホを手にした六花が穏やかな笑顔で体育館に戻ってきて、隼人たちに対してこんな事を言い出したのである。
楓VS静香の3位決定戦。
本来ならばバンテリンドームナゴヤで行われる予定だった物が、様子の余計な横槍のせいで中止になってしまっていた代物だ。
まさかの事態に楓と静香は驚きの表情で、互いに顔を見合わせてしまう。
「それで急な話で本当に申し訳ないんだけど、試合は明日の14時からの予定よ。」
「明日の14時からって…本当に急な話ですね、六花さん。」
「そうね。隼人の言う通りよ。だけどインターハイも迫ってるし、スタジアム側のスケジュールの都合で、どうしてもその日しか空けられなかったらしくてね。こればかりは本当に仕方が無いわ。」
六花が言うには他の日はスタジアムにおいて、アイドルのコンサートや名古屋市主催のフリーマーケットなどの様々なイベントが予定されており、インターハイ開催前日までとなると、どうしても明日の14時からしか都合が付かなかったのだそうだ。
当日はバンテリンドームナゴヤでの県予選大会の半券を持っていればタダで入場可能とし、持っていない者でもスタジアムで当日券を1000円で購入出来るとの事らしい。
本当に急に決まった試合なので、今からJABS名古屋支部の新支部長が大慌てで、マスコミやSNSを通じて試合の開催を大々的に宣伝するらしいのだが。
何しろ明日は、平日の昼間だ。
学生は夏休みの期間中だが社会人の多くは仕事なので、バンテリンドームナゴヤの時のような15000人もの客足は期待出来ないかもしれない。
それでも支部長の尽力によって、ようやく実現したのだ。
2人にとって一生の思い出として残り、掛け替えの無い財産になるであろう、楓VS静香の3位決定戦が。
楓も静香も、それだけで充分に満足だった。
「なら明日の練習は10時までで軽めに済ませて、その後に皆でバスでスタジアムまで移動してから、昼食を食べるという流れにしましょうか。六花ちゃん、バスと食事の手配をお願い出来るかしら?」
「はい、分かりました。美奈子さん。」
「それじゃあ皆、今日はこれで解散。里崎さんも朝比奈さんも、明日の試合は後悔だけはしないように全力でね?」
穏やかな笑顔で自分たちに語りかける美奈子を、静香と楓が神妙な表情で見つめていたのだった。
日本では公営ギャンブル以外の賭博行為は違法だからね?




