三十五話 授業中の暇つぶし
天井から吊り下げられた扇風機がぐるぐると回って風を送ってくれている。
冷房と合わせて幾分か涼しくはあるが、机の左端ぎりぎりを掠めるように差し込む日差しがこの空間の温度をじんわりと押し上げる。
「ふぁ...」
教師から顔が見えないように下を向いてあくびを一つ。
朝の元気はどこへやら、退屈な授業はすっかり華を眠れる森の少女に仕立て上げようとしていた。
「この問題はー...町田、そっから右に流れて問六までよろしく。終わったら前に書きに来いよ。」
それでもかろうじて聞き耳だけは立てていると聞き馴染みのある名前が呼ばれた。
どうやら町田が当てられたようだ。
...暇だし町田でも見て時間潰そう。
残念ながら町田は左後ろの席でこちらから直接様子を伺うことはできない。
さりとて長時間後ろを向いていれば流石に教師の目につくだろう。
「うーん...」
いや、まてよ?本当に町田の様子を見れないのか?
確かに今後ろを振り返ればなんというかこう、いかにも様子が気になっちゃいましたという野次馬に見られるかもしれない。
しかし見たことを悟られなければ問題ないはずだ。
そしてそれは町田が考えている今の間にこなさなければならない。
難しいミッションだが、失敗の二文字は華の辞書にはなかった。
そうと決まれば前のめりになって目の前の華奢な背中へと声をかける。
「ゆーか、ちょっと右いって。」
「?いいけど...」
これまでも黒板が見えなかったりあるいは当てられたくないがために背中に隠れたりとゆーかには手伝ってもらっていた。
そのためゆーかは不思議そうにしながらも指示の通りに少し右に動く。
これで教師からはそう簡単に華の手元は見えまい。
「とはいえどうしよ。...鏡とかいけるかな。」
例に漏れず華とて鏡の一つや二つ、三つや四つや五つ...あ、これはゆーかに借りたままのやつだ。
ごそごそとポッケの中から比較的鏡面の大きいものを取り出して肩越しに様子を伺う。
きらきらと眩しい光を反射させた手鏡は正確に背後の景色を映し出してくれたが、とはいえこのサイズでは限界がある。
うまいこと中心に捉えなければ町田の顔を映し出すことはできず試行錯誤していると、教科書に釘付けだった町田の顔がふと上がる。
「あ。」
鏡越しにぱちりと目が合った。
「何だ町田、解けたのか?」
「...いや、なんでもないです。」
ぽつりとあげた声に集まった視線をしっしと追い払った町田は鏡の中をぎろりと睨み込む。
「うひっ!」
星になるのはお前だと言わんばかりの形相に思わず悲鳴を上げて首をすくめる。
「今度は何だ?」
「何でもありません!」
再び次は華に集まった視線を大声で威嚇して退けると鏡の中の町田と顔を合わせた。
「(なにしてんの?)」
音を出さずにぱくぱくと動かした口を読み取るかぎりではそう言ったはずだ。
しかしなにしてるのと聞かれても困る。
単に暇だから町田観察でもしようとしただけである。
「(なにもしてない)」
手を横に振って伝えるが自分でも無理があるとは分かっている。
「(???)」
眉間に皺を寄せて怪訝な表情をした町田は指を鏡へと向ける。
じゃあその鏡はなんなんだと言いたげだ。
まさしく言い訳の出来ないところなので気づいてほしくなかったが、当たり前に突っ込まれた。
「(ちょっと身嗜みのチェックをね?)」
「(ふーん?)」
嘘だ。
町田の前でどころかそもそも気にしたことなどないので速攻で気づかれてしまっている。
しかし華が鏡を見ていないという確たる証拠もないので、ぎりぎりのぎりで怪しまれるだけに留まっていた。
「(まあいいけど、じゃあもうしまいなよ。)」
「(はーい。)」
胸ポケットをトントンと指差す町田に大人しく従い鏡をなおす。
授業中の課題もやらなければならないし、これ以上町田に付き合って遊んでいられないのだ。
「(ふむふむ...)」
この華様にかかればこの程度はちょちょいのちょいで片付けてしまえる。
むにっとほっぺたにペンの頭を当ててひんやりとした感覚を楽しみながら目で文字を追っていく。
華の手でも握れる小さなオリーブ色のシャープペンシルは頭の中を表すかのようにゆらゆらと振られている。
「(ん?)」
こんこんと机をノックした音に反応して顔を上げると黒板に向かって遠ざかる影があった。
顔を見るまでもなく町田だと分かった。
「(はやあ。)」
ついさっきまで一緒に遊んでいたはずだというのにいつのまに終わらせたのか。
ひどい裏切りであり、全くもって許されない。
町田は他の人たちと並んで黒板に白いチョークでさらさらと答えを書き込んでいく。
全員が書き終えてしまえば答え合わせが始まるのでそれまでには終わらせたいところだが、しかし華にも秘密兵器というものがある。
手札の切りどきは今まさにこの瞬間だと判断た。
「ゆーか!」
「...なに?」
椅子をぐっと引いて前のめりになってゆーかの頭の後ろからひそひそと呼びかける。
半分だけ振り返ったゆーかは無表情にそう返した。
「教えて!」
「...ッフ、まあいいけど。」
もはや何の捻りもないド直球な要求に一瞬鼻で笑ったゆーかはくるりと後ろを向いて華のノートに目を落とす。
「まっしろ。」
そう一言呟いたゆーかだが流石に聞き逃せない。
華だってこれでも一応授業は聞いていたのだ、何も書いていないということはない。
「問題文は書いてます。」
「...あそう。」
さらに呆れが深まった気もするがいずれにしても一からゆーかに教えてもらうことには変わりない。
静寂に包まれていた教室も一人、また一人と解けていくにつれて少しずつ私語が増えていたので今更前後で話していたところで何かを言われることもないだろう。
「とりあえずやり方だけ教えるからページ戻って。」
「はーい。」
ページをぺらりと戻して指差ししながら手取り足取り教えてもらっていると、片手にノートを持った町田が優雅に現れる。
「あれ?まだ終わってないの?」
「うるさいなあ。」
ゆーかと話し込んでいるところをわざわざ割って入るあたり明らかに何らかの意図があってのことである。
まあしかし何か言い返したところで発端は誰であるかを確認されただけで轟沈するが。
単に鏡で見られていたというだけで何の害もなくただの気分の問題なのだが、だからこそこうして今気分の問題を返されているのだ。
「ふんだ。どうせ間違えてるよ町田も。」
なにも早くできているからいいというわけじゃない。
むしろこと黒板に答えを書かされるという状況においては速さよりも正誤の方がよっぽど大事だ。
町田はそんな考えにちっちと指を振る。
「間違えることで皆んなに気づきを与えてあげてるんだよ。」
クラスを見渡しながらそう言い放つ。
言っていることは確かに間違ってはいないのだが言い方が間違っている。
「だいたい華こそ"町田も"とか言って、自分も間違える気満々じゃん。」
町田はも、の部分に力を込めて強調して言う。
言われて自分が間違えている前提に立っていたことに気がついたが、しかし今の華は一人ではない。
「いーや!こっちには大先生がついてるからね。間違えるわけないじゃん!」
ばばんと手を振った先のゆーかは迷惑そうな顔で言った。
「なんでもいいんだけど聞く気ないならやめるよ?」
「すみませんでした。」




