三十六話 直行便は無い
時は来た。
「じゃあ気をつけて帰れよー。」
そう言って教室の外へと消えていく担任の姿を見送ると跳ねるように立ち上がった。
「さあさあさあ行くよ二人とも!」
早く早くと帰り支度をするゆーかと町田の横で騒がしく急かし始める。
二人が迷惑そうな表情を隠そうともせずに黙々と作業を続けるその間にも華の動きは止まらない。
「いやあ、初めて見るよ流星群なんて!」
天井を見上げまだ見ぬ夜空に思いを馳せてくるくるとその場で回ったかと思えば、ばしんとゆーかの机に手をついて止まる。
「わくわくが止まらないね!」
「はいはい。」
ね?、とゆーかの顔を覗き込んでまで尋ねる華に流石に反応せざるを得ずに生返事だけが返ってくる。
その適当加減にぷくっと頬を膨らませると、踵を返して教室の後方へと向かった。
今度はターゲットを町田に変えたらしい。
「どう?楽しみでしょ?」
「そりゃね。」
一言だけの似たり寄ったりな返事ではあったが、望んでいた反応が返ってきたことで余計に喧しさは増していく。
「え、そうだ、カメラとか無いの?どうせなら写真撮ろうよ!」
当然華は星を撮るに足るような良いカメラなどもっていない。
しかしせっかくの機会なのだから、せめて星とは言わずとも夜空を見上げる三人が映るぐらいのカメラは欲しかった。
「えー、あったかな。」
顎に手を当てて首を捻る町田だが、心当たりがなければそもそも思い出すようなこともない。
つまりどこかにはあるはずだ。
「探してね!」
「はいはい。」
再びの軽く受け流すような返事はあいにく有頂天の華の耳には届いていなかったが、他人事のような態度は町田だけでなく華もである。
まさか人に頼み事をして自分だけ何もしないなんて事が許されるわけも無く、町田は華がきたら本人に探させれば良いやと考えていた。
「んもう、今から楽しみでしょうがないんだから!」
「どんだけ楽しみなのさ...」
ぱちんと指を鳴らしながら言う様子に、もし急に雨でも降って見えなくなろうものならどうなるのかと思ってしまう。
山の天気は急に変わることだし、雨とまではいかずとも雲の量が多くなるだけでも夜空を遮られることだろう。
よいしょと右肩にカバンをしょい、決めポーズのまま止まっている華をスルーしてゆーかの元へと向かう。
「ゆーか、行くよ。」
「うん。」
両肩に背負い直して二度ほど跳ねて位置を調整してから歩き始めると後ろからばーんとぶつかられた。
「ちょいちょいちょい、置いてくなんて酷いよ!」
「だってうるさいもん。」
町田が一歩左にずれるとゆーかとの間に華が入る。
狭い廊下でも三人並んで歩き始めた。
「今日は何時集合?」
右端を歩くゆーかが顔を左に向けて尋ねる。
真ん中にいる華からはちょうど顔の左側面だけが見える。
「そりゃもちろん今からでしょ!」
このまま行けばいいじゃないと華が元気よく答えるとすぐさま町田の否定が入った。
「なわけないでしょ。」
「えー。」
つまんないとばかりに語尾の下がった感嘆詞で返す。
「いや、何も持ってないじゃん。」
学校に持ってきた荷物にはお泊りの準備はない。
このまま家に行ったところで着替えやら何やら取りに行かなければならないことを忘れているのだろうか。
しかし華には考えがあった。
「町田の使えばいいから大丈夫!」
ぶいっとピースで答えると、立った人差し指と中指を握って閉じられた。
「どこが大丈夫なのさ。」
「それに華がよくても私がよくないし。」
呆れて言う町田と同時にゆーかからもストップがかかる。
「そもそも服どうすんの。」
じっと着ている制服を見つめて聞かれるが、そんなものは簡単だ。
「町田の着ればいいじゃん。」
町田の部屋にはいっぱい服が眠っている事だろう。
...いや、もしかしたら部活着ばっかりかもしれないがこの際そんな贅沢は言わない。
とにかく着て家に帰れさえすればそれでいいのだ。
「多分だけどでかすぎて着れないよ。すごいぶかぶかになる。」
思わず左の町田を頭のてっぺんから靴まで見る。
そして自分の制服と見比べると確かに一回りでは効かないぐらいには大きそうである。
「でも着れればいいし...」
例え妖怪ぶかぶかになったとしてもどうせ家までの間だけのこと。
誰に見られても別に気にならない。
「上はそれでいいにしても下は?」
「あ。」
上はシャツでも何でも自分より大きいのだから困ることもないが、下はウエストが留まってくれなきゃずるずると落ちていってしまう。
いくら見た目を気にしないといえどもずっと引っ張りあげながら歩くのは流石に気にせざるをえない。
「ぐぬ。」
「まあ大人しく一回家に帰ってからおいで。」
階段の手前で立ち止まった華とは対照的に町田はとんとんと軽快に階段を降りていく。
左側に寄って片手で手すりを握りながら降っていると、右側では同じようにゆーかが手すりを握っているのが見えた。
「...へへ。」
ひょいひょい降りていった町田は既に踊り場を折り返して姿が見えないが、ゆーかとなら勝負になる。
しかも右巻きの階段を下るのだから、左側に陣取る華の方が圧倒的に有利である。
そうとなればリードは広げておかねばと一歩を踏み出そうとしたところで怪訝な顔をしたゆーかが呟く。
「なんか考えてそうだけど怪我しても知らないからね。」
下ろそうとした足がぴたっと止まる。
慎重に着地させて両手で手すりを握り直す。
「ここで怪我して病院行くとかなったらすごいバカだよ。」
「...別にそんなこと考えてなかったけど安全に降りようかな。」
階段で足を滑らせて病院送りになってしまえば今日の予定がはちゃめちゃになる。
華に包帯まみれのミイラになって流星群を見る願望はないので、普通に下ることにした。
「でも町田は絶対何も考えてないよね。」
今頃は昇降口についているだろうか。
一段飛ばしどころか二段飛ばしも交えて降りていった町田に慎重という文字はない。
あの調子で降りていったのか...
「下で怪我してないといいけど。」
「不安になること言わないで!?」
華の脳裏にも足を抱える町田の姿が浮かんでいたがあまりにもな景色なので何も言わなかったというのに、平気で言ってしまった。
もしこれで町田が怪我していたら延期は間違いない。
さしもの華といえど怪我人の家に押しかけてお泊まり会をしようとは言えないし、何より包帯まみれの町田を見て笑わないでいられる自信がない。
「町田の身体能力を信じようよ!」
「身体能力の問題じゃないと思うけどね。スポーツ選手でも怪我はするじゃん。」
「余計なこと言わないの!」
怪我しないように慎重に、でも気にはなるのでえいえいと階段を降りて昇降口へと向かう。
金属製の手すりの頑丈さがとても心強かった。
「町田ー。」
呼びかけながら下駄箱の並ぶ昇降口の中を覗く。
「おー。ようやく着いた。」
壁にもたれかかってひらひらと手を振る姿にこれほどまでに安堵を感じたことはない。
「よかった無事だった。」
「?」
たかだか階段を下るだけにしては不思議な感想に首を傾げた町田にも説明してあげるとけらけらと笑い出す。
「いやいやそんなことなるわけないじゃん。」
確かに滅多にないことかもしれないが、なぜだろう町田がそんなことを言えば言うほど不安になる。
「なるかもしれないじゃん。」
警戒心のない町田に代わって華が気をつけなければならないだろう。
「とにかく安全に帰るからね。」
断歩道では手を挙げて渡るし、歩道にいても車が突っ込んでこないか見ておく必要がある。
緊張感のあるミッションが始まった。
「心配性だなあ。...あ、寄り道してお菓子買ってく?」
「絶対買わない!」




