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『失恋した完璧令嬢は、歯車仕掛けの蒸気都市で恋と謎を解き明かす』  作者: かあまる01


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第八話 失われた絵

 蒸気機関が発達した都市グラン・ロア

そこで暮らす政府高官の一人娘、アリシア・フォン・ベルクは、大企業の御曹司に失恋してしまいました。


 失恋の傷も癒えないまま、アリシアの周りには様々な事件が巻き起こります。


 そんな彼女の前に現れたのは、御曹司と顔がそっくりな従兄弟のレオン・アシュフォード。


 顔は瓜二つなのに、性格は正反対。自由奔放なレオンに振り回されながらも、アリシアは少しずつ世の中を知り、成長してゆきます。


 そしていつしか彼のことを……。


 蒸気都市グラン・ロアを舞台に、謎と事件を解き明かすスチームパンク物語、開幕です!


 感想・ブックマーク・評価をいただけると、とても励みになります。よろしくお願いいたします。


※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。

 父の絵の下から密かに重ねられていたもう一枚のキャンバス。それを取り外した瞬間、さらにその下に隠されていた絵が姿を現した。


 その絵を見た瞬間、アリシアの目が大きく見開かれる。


「……っ」


 息を呑んだ。その絵は見間違えるはずがない。


 そこに描かれているのは、蒼穹と夜の狭間、まだ世界が目覚める前の、荒涼とした崖の上に佇む、一人の名もなき女性の背中。


 間違いない『朝靄の聖光』だ。


 それは単なる美術品ではなかった。


 今や歴史の表舞台から消え、現存する多くの作品が所在すら明らかになっていない。旧ミラベル公国の名画だった。


「……どうして?」


 思わず声が漏れる。


 なぜ、この絵が父の絵の下に隠されているのか。渦巻く疑問と困惑の中、アリシアは顔を伏せるエレーヌに向き直った。


 その瞳に宿るのは、罪人を責め立てる冷たさではなく、目の前の女性が抱える痛々しさに胸を痛める戸惑いだった。


「エレーヌさん……」


 アリシアの呼びかける声は小さく震えていた。視線を向けられたエレーヌの肩が、びくっと跳ね上がる。


「二重に重ねられたキャンバスなんて、決して偶然でできることではありませんわ。……お願いです、何があったのか説明してください」


 エレーヌは血の気が引いた顔で固く唇を噛み締め、うつむいたまま答えることができない。その姿は、悪事を暴かれて逃げ場を失った者ではなく、大切なものを庇おうとして追い詰められた弱者のようだ。


 部屋を支配する重苦しい沈黙を見かねて、横にいたレオンが静かに一歩前へ出た。


 彼の眼差しには詰問するような厳しさはなく、エレーヌの苦しげな様子から裏にある悲劇を察したような、柔らかで温かなトーンが滲んでいた。


「ただ盗み出そうとしたのなら、わざわざ絵を二重にして隠すような手間はかけないはずだ……そうですね、エレーヌさん?」


 レオンの声が、静まり返った室内に穏やかに響く。エレーヌが弾かれたように視線を泳がせた。


「あなたにとって、これはただの高価な絵画などではない。……あなたはこれを、持ち去るためではなく守ろうとしたのですか?」


 レオンの理路整然としながらも思いやりに満ちた追及が、エレーヌの心に固くかけられていた鍵を揺らした。


「私……私は……」


 声にならない掠れた息が漏れる。時計の針が刻む音だけがやけに大きく聞こえる沈黙の中、エレーヌは必死に感情を抑え込もうと肩を揺らした。


 だが、レオンの優しい言葉がかえって、彼女の中で限界まで張り詰めていた心の糸を断ち切ってしまった。やがてエレーヌはまるで全身の力が抜けたかのように床へ膝を突き、顔を覆って伏せた。


「これは……私の父が描いた絵なんです」


 エレーヌの口から漏れた悲痛な事実に、アリシアは胸を突かれた。そうだ、この絵に書かれていた署名はルシアン・ブラン。


「……あなたは、ブラン氏のお嬢様だったのですね」


 やがてエレーヌは震える声を絞り出しながら、少しずつ話し始める。


「そうです……。国が失われた混乱の中、父の作品は散り散りに持ち出されてしまいました。病床で痩せ細りながらも、父は最後まで絵の行方を気に病み、奪われた故郷を悲しんでいた……」


 エレーヌは絵を見つめる。その瞳に映っているのは、今ここにある『朝靄の聖光』だけではない。その向こうにある、遠い故郷だった。


 エレーヌの脳裏に、病床で痩せ細りながらも、失われた絵のゆくえを気に病み続けていた亡き父の姿が蘇る。エレーヌの頬に涙が伝い、ぽつりと床に落ちてゆく。


「絵の具の匂いがする部屋で、父はいつも楽しそうに筆を動かしていた……。私は、それを見るのが大好きだったんです」


 エレーヌは涙を拭いながら、かすかに笑った。けれど、その笑みはすぐに崩れた。


「なのに……国がなくなって、父の絵も、故郷も、全部なくなってしまった」


 拳を握り締め、言葉を吐き出すように続ける。


「私にとってあの絵は、単なる高価な美術品ではありません……亡き父の生きた証であり、幼い頃の私と父を繋ぐ記憶そのものなんです!」


 エレーヌの声が震えている。


「父は最後まで、この絵のことを忘れませんでした……。だから私は……目の前に父の魂があるのに見過ごすなんて、私にはできなかった……」


 エレーヌは言葉が詰まるたび、何度も息を吸おうとする。やがてその場にうずくまり、抑えきれない嗚咽を漏らし始めた。涙とともに溢れ出すのは、幼い日の温かな記憶と、残された者の深い無念だった。


「レイウッド公爵に恨みはありません。あのときは……公爵様に気に入っていただく必要がありました。絵を預かるためには、公爵様の絵を褒めるしかないと思ったんです」


 アリシアは胸を締め付けられた。父を想う娘の切痛な叫びは、同じように父を愛する自分にとっても、痛いほど理解できるものだったからだ。


 アリシアはそっと腰を落とし、震えるエレーヌの手の上に自分の手を重ねた。


「あなたの深い愛情と苦しいお気持ちは、よく分かります。ですが……どれほど愛おしい思い出であっても、不当な方法で取り戻せば、あなたが罪を背負うことになってしまう。そんな悲しい形を、お父様が望むでしょうか」


 悲哀と理性の間で揺れながらも、彼女を思って紡がれたアリシアの静かな声。その言葉に応えるように、背後から澄んだ声が響いた。


「……その通りですわ」


 振り返ると、ヴィクトワール・ローランが、慈愛と憂いを帯びた瞳で優しくたたずんでいた。



 蒸気都市グラン・ロアの物語、第二幕。アリシア・フォン・ベルクの新たな物語が始まりました!


 各章は十話前後、一話あたり二千文字程度を予定しています。前作を読んでいなくても楽しめる内容になっておりますので、初めての方もお気軽にお読みください。


 更新は月・水・金曜日を予定しています。


 評価・感想・ブックマークなどをいただけると、とても励みになります。


 どうぞよろしくお願いいたします!

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