第五話 母の肖像画
蒸気機関が発達した都市グラン・ロア
そこで暮らす政府高官の一人娘、アリシア・フォン・ベルクは、大企業の御曹司に失恋してしまいました。
失恋の傷も癒えないまま、アリシアの周りには様々な事件が巻き起こります。
そんな彼女の前に現れたのは、御曹司と顔がそっくりな従兄弟のレオン・アシュフォード。
顔は瓜二つなのに、性格は正反対。自由奔放なレオンに振り回されながらも、アリシアは少しずつ世の中を知り、成長してゆきます。
そしていつしか彼のことを……。
蒸気都市グラン・ロアを舞台に、謎と事件を解き明かすスチームパンク物語、開幕です!
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
朝早くから、静寂を重んじるはずの邸宅から、普段なら聞こえるはずのない音が響いてきた。がたん、ごとっ、と何か重いものを運んでいるような音がする。
「……何をしているのかしら?」
朝の準備をしていたアリシアが何ごとかと廊下を覗くと、使用人たちがあたふたと、せわしない様子でキビキビと動いている。
そうだ、今日はヴィクトワール社長が来て、父が所有する『朝靄の聖光』を美術館に貸し出す日だ。
「こんな朝早くから準備するのですか?」
社長の来訪に間に合わせるため、父が所蔵する名画をアトリエに運び出している。それと共に、父が描いた母の肖像画が一緒に運び出されるのを見て、そばにいた父を問いただす。
「まさかお父様、このお母様の絵まで展示するおつもりではないでしょうね」
「この絵はぜひ……多くの人に見てもらいたいんだ」
父の発言に納得がいかない。アリシアはつい、語気が強くなってしまう。
「お父様は、お母様を見せたいのですか。それとも……お母様を失った自分を見てほしいのですか?」
「それは……先方からの要望でもあってな、この絵も是非拝見したいとのことなんだ」
と言うと、父はすぐアトリエに戻ってしまう。
ひとまず、湧き上がる感情を抑え、朝食をいただいていると、蒸気自動車の音が屋敷に近づいてくる。どうやら来客らしい。
父の衣服は片付けで汚れており、とても来客の対応ができる状態ではないようだ。忙しく立ち働く使用人に代わり、アリシアが玄関ホールで出迎える。
扉を開けると、そこには ヴィクトワール社長と、社員たち。社長の横には、小柄で丸眼鏡の女性が並んでいた。
「あら、アリシア様、おはようございます。お話が行っていると思いますが、本日は絵画をお預かりに伺いました」
「おはようございます。ヴィクトワール社長。父は今、お貸しする絵の準備をしておりますけど、呼んできましょうか」
「そうですか。なら、お願いいたしますわ」
父に社長が来たことを告げると、父は手早く身なりを整え、駆け寄ってくる。
「よく来てくれましたね。お約束通り、『朝靄の聖光』を梱包してお持ちしていましたよ」
「レイウッド公爵、本日はよろしくお願いします。今日は美術館の主任学芸員を連れてきたので紹介しますわ」
ヴィクトワールは、隣にいる女性へ手を向けた。
「こちらはエレーヌ・ブランさん。今回の美術館で主任学芸員を務めていただきます」
「初めまして。エレーヌ・ブランと申します」
ヴィクトワールに紹介されたエレーヌは、柔らかな笑顔を見せてから、静かに頭を下げた。
「彼女は以前、ミラベル公国の国立美術館に勤めていたこともあるのですよ。そのため、今回はぜひ来て頂きたいと思い、お願いすることとなりました」
紹介されたエレーヌは、笑顔を絶やさず話し始める。
「レイウッド公爵様、この度は当美術館へのご出資と、さらに『朝靄の聖光』を提供して頂き、ヴィクトワール社長と従業員一同、深く感謝いたしますわ」
エレーヌの物腰は柔らかく、安心させる話し方だが、瞳の奥の静かな目に違和感を感じ得ない。社長が会話を引き継ぐ。
「では、レイウッド公、準備がお済みでしたら、早速、絵画の方を拝見してもよろしいでしょうか」
父は社長と学芸員をアトリエに案内する。私も母の絵のことが気になるため、同行する。
エレーヌが中心になって査定が始まると、父の動きが明らかにせわしなくなってきている。やがて、父はこらえきれないようにエレーヌに尋ね始める。
「しかし、『朝靄の聖光』はともかく、この肖像画も一緒に展示してもよいものかね」
レイウッドが疑問を口に出すと、エレーヌはすぐに満面の笑みを浮かべて説明する。
「その件に関しては、これから選定させて頂きます。ただ、芸術とは名画だけではなく、様々な絵を多角的に鑑賞することも必要だと思っています」
母の肖像画を見て、エレーヌは話し続ける。
「レイウッド公の絵には、この女性への大いなる愛が感じられます。主任学芸員を務めるこの私が保証しますわ」
「ああ、そうかね。主任学芸員の貴方が保証してくれるなら、私も自信が持てるよ」
父の顔が明るくなったのを見た瞬間、アリシアの胸が少し痛んだ。
(……やっぱり、素直には喜べませんわ。何でしょう、この気持ちは)
父の絵を褒めちぎるエレーヌを見て、アリシアには、それが演技に思えてならなかった。
(目の肥えた学芸員が父の素人絵を褒めちぎるなんて……どう考えてもおかしい。お父様は自分の絵が展示されることで舞い上がって、何も気づいてないようだけど。まるで……褒めることそのものが目的みたい)
「ではレイウッド公爵、査定が終わりました。『朝靄の聖光』と、こちらの公爵様の絵をお預かりさせて頂きますね」
父が所蔵する『朝靄の聖光』と、母の肖像画が梱包され、運ばれてゆく。絵を見送る父を横目に、私は彼女らに対して疑惑が消えなかった。
蒸気都市グラン・ロアの物語、第二幕。アリシア・フォン・ベルクの新たな物語が始まりました!
各章は十話前後、一話あたり二千文字程度を予定しています。前作を読んでいなくても楽しめる内容になっておりますので、初めての方もお気軽にお読みください。
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