第四話 ミラベル公国の絵
蒸気機関が発達した都市グラン・ロア
そこで暮らす政府高官の一人娘、アリシア・フォン・ベルクは、大企業の御曹司に失恋してしまいました。
失恋の傷も癒えないまま、アリシアの周りには様々な事件が巻き起こります。
そんな彼女の前に現れたのは、御曹司と顔がそっくりな従兄弟のレオン・アシュフォード。
顔は瓜二つなのに、性格は正反対。自由奔放なレオンに振り回されながらも、アリシアは少しずつ世の中を知り、成長してゆきます。
そしていつしか彼のことを……。
蒸気都市グラン・ロアを舞台に、謎と事件を解き明かすスチームパンク物語、開幕です!
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
社長と会談した次の日。
アリシアは父と朝食を摂るときに、所蔵品の中に、ミラベル公国の絵画はないか聞いてみる。
「ああ、ミラベル公国の絵画なら、今度の美術館の開館に合わせて展示することになった」
父はアリシアが絵のことを聞くなんて、珍しいと言わんばかりに聞いてくる。
「ミラベル公国の絵画かどうかしたかね? あれは、ミラベル公国が併合されたとき、私が引き取ったものだよ。エレノアたっての願いでね」
「お母様が?」
「ああ、ミラベル公国が併合されたとき、エレノアは随分気にかけてて『貴重な絵画がなくなってしまいます』と、私に詰め寄るものだから、私が買い取ったのだよ」
父はふと思いついたように聞く。
「アリシアも、子どものころ見たことがあるはずだ。もう忘れたかな」
それを聞いたアリシアが、あごに手を当て、思い出そうとしているとき、
「私はそろそろ外出するよ。もし絵が見たければ、ギルバートに言って鍵を開けてもらいなさい」
父は午後の外出に遅れないように、いそいそと準備を始めたので、礼を言って部屋に戻る。
昼食後に玄関で父を見送ると、早速、書斎におもむき、ミラベル公国について調べることにする。絵を確認するのはそのあとでも良いだろう。
◇
ミラベル公国
芸術の国として栄えた小国。約十年前、後継者争いをきっかけに内乱が起き、その混乱に乗じて我が国に併合された。
ーー今はもう、存在しない国ーー
◇
アリシアが思考を巡らせていると、ギルバートが扉をノックして、サンドイッチとコーヒーを持ってくる。そして机に置かれた資料を見て、アリシアに問いかける。
「ミラベル公国のことを知りたいのですか? あの国は、表向きは穏便に併合されたことになっておりますが、裏ではかなり強引な手段でことが進んだようです」
「やはり……では、ミラベル公国の人たちは、我が国のことを恨んでいると……」
「そう考える方も多いかと思います。では、私はこれで。あまり無理をなさりませんように」
ギルバートが部屋を出たあと、アリシアが再び思考を巡らせると、ふと、レオンが言ってたことを思い出す。
『ヴィクトワール社長は、ミラベル公国の絵を執拗に欲しがっているように見えます』
ミラベル公国の絵……。一度見てみれば、何か分かるのかも。
アリシアはギルバートの元へゆき、父から許可をもらっていることを伝えて、アトリエの鍵を借りる。アトリエの鍵を開けると、軋む音と共にゆっくりと扉が開く。
アトリエの書庫から、父が自ら作成した目録を手に取り、ミラベル公国から来た絵画を探す。父の細やかさが、このときはありがたい。
探し物はすぐに見つかった。ミラベル公国の絵が一点、このアトリエの奥、北側の納戸に保管されているらしい。
納戸に入ると、窓はなく暗闇に包まれた空間が広がっていた。室内に置いてあるランタンに火を灯すと、暖かな橙色の光が、波のように部屋の隅々へと広がる。
ランタンを持ち、部屋の奥まで進みミラベル公国の絵、父が付けた番号「M-017」を探してゆくと……あった。黄袋に同じ番号が貼ってある。
額縁を棚から抜き出し、黄袋から取り出して画架に架ける。名画の全貌が露わになった瞬間、アリシアの唇から、小さな吐息がこぼれ落ちる。
そこに描かれているのは、蒼穹と夜の狭間、まだ世界が目覚める前の、荒涼とした崖の上に佇む、一人の名もなき女性の背中だ。
題名は『朝靄の聖光』描いた画家はルシアン・ブラン
キャンバスを覆うのは、夜の残り香である深い紫紺と、水平線から滲み出る繊細な黄金色の対比。荒々しいペインティングナイフの跡が、風の冷たさと潮騒の湿度を、そのままキャンバスへ刻み込んでいる。
◇
幼い頃、母に手を引かれてこの絵の前に立った。
「綺麗でしょう?」
母はそう言って笑った。
当時のアリシアには、絵の意味など分からなかった。ただ、母がこの絵を見るときだけ、少し寂しそうな顔をしていたことだけは覚えている。
◇
「そんなこともありましたね……」
アリシアは母との記憶を思い出し、その懐かしい感情と、絵の中の美しい静寂に引きずり込まれ、時間も忘れてただ見つめていた。
幾分時が流れて、名画を黄袋に仕舞おうとしたとき、中から羊皮紙の破片がでてきた。アリシアが拾い上げると、そこには短い文が書かれていた。
『どれほど深い夜であっても、朝は必ず訪れる』
(……意味ありげな文章ですね。覚えておきましょう)
◇
アリシアは書庫から出て、ギルバートに鍵を返すと、自室で一人、頭の中でこれまでの情報を整理する。
父の所蔵しているミラベルの名画『朝靄の聖光』それを借りるために、ヴィクトワール社長は自ら父のモデルになった。
ただ絵を貸してほしいと頼めば、それで済んだはずだ。なのに、なぜそこまでして父に近づいたのか。
「……やっぱり、何か隠していますわね」
アリシアは机の上に置いた羊皮紙へ視線を落とした。
『どれほど深い夜であっても、朝は必ず訪れる』
この言葉は、誰が何のために残したものなのだろう。そして、なぜ母はこの絵を大切にしていたのか。考えれば考えるほど、疑問は増えていく。
そのとき、廊下から父の声が聞こえてきた。
「アリシア、いるか?」
「お父様、どうされました?」
「明日、ヴィクトワール社長が屋敷に来るそうだ」
「明日……ですか? 随分と急ですね」
「ああ。ヴィクトワール社長から連絡があってね。美術館に展示する絵の最終確認をしたいそうだ」
アリシアの胸に、あの嫌な違和感が蘇った。
ミラベルの名画『朝靄の聖光』
ヴィクトワール社長。
そして、あの意味深な言葉。
ばらばらだったものが、少しずつ一本の線につながっていく。偶然なのだろうか。それとも――。
アリシアは胸の奥に広がる、言いようのない不安を押し殺した。
――美術館で、何かが起こる。
そんな予感だけが、消えずに残っていた。
蒸気都市グラン・ロアの物語、第二幕。アリシア・フォン・ベルクの新たな物語が始まりました!
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