第十話 母の面影を越えて
蒸気機関が発達した都市グラン・ロア
そこで暮らす政府高官の一人娘、アリシア・フォン・ベルクは、大企業の御曹司に失恋してしまいました。
失恋の傷も癒えないまま、アリシアの周りには様々な事件が巻き起こります。
そんな彼女の前に現れたのは、御曹司と顔がそっくりな従兄弟のレオン・アシュフォード。
顔は瓜二つなのに、性格は正反対。自由奔放なレオンに振り回されながらも、アリシアは少しずつ世の中を知り、成長してゆきます。
そしていつしか彼のことを……。
蒸気都市グラン・ロアを舞台に、謎と事件を解き明かすスチームパンク物語、開幕です!
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※本作は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しています。
アリシアは屋敷に帰ったあと、父に名画が盗難未遂にあった件をすぐに報告するべきか迷っていた。ヴィクトワール社長とエレーヌが罪に問われる可能性を思うと気が引ける。
「それでも、隠すべきではありませんわ」
アリシアの報告を父は黙って最後まで聞いた後
「……そうか。事情は分かった。この件については、私から彼女たち責めるつもりはない」
と言って、奥の書斎にこもってしまった。
◇
夜の帳が下りる頃、真相を知ったレイウッドはバルコニーで一人、物思いに耽っていた。
エレノアが亡くなったあと、ただひたすら彼女の絵を描き続けた。だが、亡き妻にとらわれるあまり、そばにいた娘を見ていなかったことに気づく。
「私は、何を見ていたのだろうな……」
レイウッドがふと横を見ると、バルコニーの端に誰かがいることに気づく。バルコニーに近づくと、そこにいるのはエレノアのドレスを身に纏い、髪を結い上げた女性がいた。
「エレノア……?」
レイウッドの足が止まった。
エレノアと同じように結い上げた銀髪。エレノアと同じドレス。一瞬だけ、時間が巻き戻った。かつての幸せな思い出がよみがえる。
「エレノア!」
レイウッドが駆け寄り、抱きしめようとすると、女性は髪を解いた。
銀色の髪が、肩へ落ちる。
「……アリシア」
父の目が見開かれる。
「アリシア……何故……」
「お母様と見間違えましたか? 私ももう大人ですもの、お母様と似て当然ですよ」
母のドレスを着ることには抵抗があった。それは、母になりたいわけではないから。けれど今だけは、父に自分を見てほしかった。母の格好をしてでも。
アリシアは父に諭すように、語りかける。
「私はずっと、お父様がお母様を想い続けることを、黙って受け入れようとしてきました。でも……なぜですか。どうして、そんなにしてまで、お母様の面影を追い続けるのですか!」
声が震えた。父を責めたいわけではなかった。
母を失った悲しみが、父にとってどれほど深いものだったのか。それを、アリシアも理解しているつもりだった。
だからこそ、今まで何も言わずにいた。けれど、もう、言わずにはいられなかった。自分の目の前にいる父が、亡き母の面影ばかりを追い続けていることに。
「アリシア……」
レイウッドの声が、かすかに震える。
「違う。私は……エレノアを忘れたくなかったのだ」
その言葉とともに、レイウッドはゆっくりと視線を落とした。
「だから、エレノアに似た面影を追いかけて……自分から逃げていた」
その瞬間、張りつめていたものが切れたように、レイウッドの膝から力が抜けた。
「お父様……!」
崩れ落ちそうになった父の身体を、アリシアが思わず支える。
「だが……それがお前を、これほど苦しめていたとは」
レイウッドは俯いたまま、震える息を吐いた。
「いや……気づいていながら、私はエレノアだけでなく、お前にも甘えていたんだな……」
その言葉に、アリシアの胸が締めつけられる。
ずっと欲しかった言葉だった。
一人の娘として、自分の存在を見て欲しかった。
アリシアは父の前に膝をつき、その顔をまっすぐに見つめた。
「私は……母の影を追うお父様に、生きている『私』を見て欲しいのです」
声は震えていた。それでも、今度は目を逸らさなかった。
レイウッドはしばらく何も言わなかったが、やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「ああ……」
その瞳には、これまで見たことのないほど深い後悔が滲んでいた。
「すまない……アリシア」
その一言を聞いた瞬間、アリシアの目から、堪えていた涙が一筋こぼれた。
本当は父を責めたかったわけではない。ただ、父にきちんと、自分を見てほしかった。その願いが、ようやく届いた気がした。
『どれほど深い夜であっても、朝は必ず訪れる』
ふと、以前耳にした言葉が胸をよぎる。
母を失ってから、ずっと続いていたように思える夜。けれど今、ようやくその闇の向こうに、小さな光が差し込んだ気がした。
アリシアは涙を拭い、父を見つめる。
そこにいたのは、母の面影を追い続ける父ではない。昔の父の姿だった。
アリシアは小さく微笑んだ。ようやく、二人の時間が動き始めたような気がしたから。
◇
数日後。
グラン・ロアには、いつもの朝が戻っていた。
美術館では展示品の再確認が行われ、レイウッドはミラベル公国の絵画を正式な手続きで寄贈した。
そして、レイウッド公爵家にも穏やかな時間が戻っていた。
「お父様、朝食が冷めてしまいますわよ」
「ああ、分かっている。今行く」
以前なら、父はアトリエからなかなか出てこなかった。けれど今は違う。
アリシアが振り返ると、父はアトリエの扉を閉め、こちらへ歩いてくる。その表情には、以前のような憂いが少しだけ薄れていた。
アリシアも、小さく微笑む。父と自分は、もう一度、家族として前を向き始めていた。
◇
その日の午後。
「アリシア様」
外出するために屋敷の門を出たところで、聞き慣れた声がした。振り返ると、壁にもたれかかるようにしてレオンが立っている。
「……レオン?」
「お迎えに上がりました」
「頼んだ覚えはありませんけれど」
「それは残念。せっかく格好よく登場したのに」
「相変わらずですね」
アリシアは呆れたように息を吐く。けれど、不思議と嫌ではなかった。
「それで、今日は何の御用ですの?」
「事件も片付いたことですし、お嬢様に一つ聞きたいことがありまして」
「何です?」
レオンはいつもの軽い笑みを浮かべる。けれど、その瞳はいつになく真剣だった。
「アリシア様は父君のために、そこまで怒れるんですね」
「それは……どんなお父様でも、家族ですもの」
レオンはしばらく黙っていた。
「……そういうところ、僕は嫌いじゃないですよ」
「何ですの、その言い方は」
「さあ?」
レオンは楽しそうに笑った。屈託のないその笑顔を見つめながら、アリシアは小さくため息をつく。
相変わらず、この人が何を考えているのかはさっぱり分からない。呆れと、少しの悔しさと、それ以上の拍子抜け。
以前なら拒絶していたはずのその『不可解さ』が、いつの間にか彼女の心を静かに揺らしていた。
蒸気都市グラン・ロアの物語、第二幕。アリシア・フォン・ベルクの新たな物語が始まりました!
各章は十話前後、一話あたり二千文字程度を予定しています。前作を読んでいなくても楽しめる内容になっておりますので、初めての方もお気軽にお読みください。
更新は月・水・金曜日を予定しています。
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