宿
窓を開けると、日が海の方へ落ちかけていた。
港の明かりが点きはじめている。夜の漁に出る船が、日没に合わせて舫いを解く。桟橋のあたりだけが人でざわついて、町の他は静かだった。
ミトは寝台に腰かけて、ヤシッチョを放り投げて、足を組んだ。人目がないので控えいない。
「で、どうだった?」
「重りに細工がしてありました」
カシが壁際に立ったまま答えた。
「量りに使う分銅が、刻んである目方より重うございます。ですから漁師の側は、一カン分の札を受け取るために一カンより多く渡していることになります」
「へえ」
「数え方も適正ではありません。壺を数える際、はじめ、と言ってから一つ、と数えておりました。最初の一つが数に入っておりません」
「毎回?」
「私が見ていた間は、毎回でした」
ミトはヤシッチョの耳をつまんで、少し考えた。
「上手だね」
「は」
「怒られないやり方だもん。間違えましたで済むでしょ、それ」
スケが窓枠に腰を預けていた。靴はまだ乾いていない。
「昼のうちに、岬の向こうの漁村まで行ってまいりました」
「歩いて?」
「船を降りた爺さんがおりましてね。網も船も、漁師のものではないそうです。ギルドから借りている。代金は水揚げから引かれる」
「借りてるだけならいいじゃない」
「買値を決めるのもギルドです」
ミトが顔を上げた。
「引く額を決める側が、渡す額も決めております。ですから、手元にいくら残るかを漁師は決められません。四十年払い続けて、爺さんの代では終わらなかったそうです」
「じゃあ息子が」
「息子が払っております。船が担保に入っているので、やめることもできません。やめれば船を取られて、借りだけが残る」
ミトは窓の外を見た。
船が一艘、明かりを引きずるように港を出ていくのが見えた。
「そのギルドの人は」
「ヌレッティーニ。当代は町におりません。西の領地に行っておるそうで」
「じゃあ会えないね」
「今夜戻ります」
スケが窓枠から背を離した。
「事務所は港の東手、石造りの二階建てです。荷揚げ場の突き当たり」
ミトは膝の熊を持ち上げて、目の高さで向かい合わせた。
それから立ち上がった。
「いこう」
「お嬢さん」
ウッカリーノが寝台の端から言った。彼はさっきから瓶を握ったまま、一口も飲んでいなかった。
「お待ちなさい。あっしぁ止めますよ」
「うん」
「うん、じゃありません。この五日、あっしが何度言いました。検問では黙っててくださいと言いました。市場では大きい声出さんでくださいと言いました。今朝だって、人前で怪我人に触るなとあれほど」
「言ってたね」
「そのたんびに、お嬢さんは聞いちゃくれねぇ」
彼は瓶を卓に置いた。音が思ったより大きかった。
「聞いちゃくれねぇが、まあ、命に別状はなかった。今度は別です。相手は町ひとつ握ってる連中でさぁ。旅の商人が余計なことを言って、次の町で見かけなくなる。あっしぁそういうのを十や二十は見てます」
「うん」
「分かってるなら」
「わたし、こう見えて頑丈だからね」
「そういう話をしてるんじゃありません!」
ミトは熊の頭を撫でた。
「弟がね」
ウッカリーノが黙った。
「魚が好きだったんだ。あいつがここで漁をやるって言い出したとき、みんな笑ったんだよ。塩っ辛くて麦も育たない岩場で、何しに行くのって。それでもやるって言うから、行かせた」
窓の外は暗くなりかけていた。
「あいつの国民が魚を食べられないの、かわいそうじゃん?」
誰も何も言わなかった。
カシは既に上着の前を留めている。スケは扉のそばで靴の紐を結び直していた。二人とも、ミトが立ち上がった時点で支度を始めている。止めるという選択肢が最初からない者の動き方だった。
ウッカリーノはそれを見て、天井を仰いだ。
「……ああ、もう」
「ウッカリーノ」
「行きますよ。行きゃいいんでしょう」
「もうジャンセーナに帰ってもいいんだよ」
「白金貨いただいてますからね。荷運びの旦那が二人とも行っちまったら、あっしの荷は誰が担ぐんです」
スケが扉を開けた。廊下は暗い。
「じゃあ、いこうか」
彼女はヤシッチョを抱え直して、廊下へ出た。
港の方で、最後の船が出ていく音がした。




