秤
昼のいちばん混む時間を過ぎると、市場は少し静かになる。
ジーナはこの時刻に出るのが好きだった。売れ残りが値を下げるし、押し合わずに選べる。夕方の分だけ買えばいい。夜は客が少ない町だ。
玉ねぎを見ていると、秤の方から声が聞こえた。
午後にも水揚げはある。桶が乗り、分銅が乗り、竿が揺れて止まる。
「一カン半」
漁師が札を受け取る。次の男が桶を乗せる。
「一カン」
速い。竿が水平になりきる前に数字が出ているような気もするが、ジーナには秤のことは分からない。今朝、あの台の前で兄が何か言った。それで網小屋の裏に転がっていた。分からないことに口を出すと、ああなる。
壺の方は数えていた。仲買の若い方が指をさしながら口を動かしている。
「はじめ、ひとつ、ふたつ、みっつ――」
ジーナは玉ねぎを二つ袋に入れた。
――九つ、とお。十でさぁ。
札が書かれる。漁師が受け取って、頭を下げて、桶を担いで戻っていく。ずっとそうやってきた。ジーナが子供の頃からそうだった。
誰かが大きな声を出していた。
振り返ると、あの商人だった。仲買相手に何か捲し立てている。乾物の袋を叩き、指を折り、大袈裟に天を仰いでいる。仲買の方が押され気味だった。
「二百モーンだ! 二百でなきゃ次の町へ持ってきますよ! あっしぁ困りゃしません!」
あの男は本当に商人なのだと、ジーナは初めて思った。
その脇に、背の高いのが二人と、熊を抱えた娘が立っていた。
三人とも荷の話を聞いていない。それぞれ市場のどこかを見ていた。
朝から店にいた方は、秤の方を見ていた。もう一人は靴が濡れていて、裾に泥がついている。どこか遠くを歩いてきたらしい。娘は台に並んだ魚を上から順に眺めて、ときどき熊を持ち上げて何か話しかけている。楽しそうだった。
ジーナは玉ねぎの袋を持ったまま、なんとなくそちらへ寄っていった。
道々、考えてはいた。
聖法が使える、ということは、どこかの修道院の人だろう、と思う。位の名前までは知らない。だが二年前の神父様が三日と銀貨七枚をかけたことを、この娘は熊を抱えたまま一息でやった。神父様より上の人だ。それも、だいぶ上の。
そういう人が、どうしてこんな町で、雑魚の煮込みを探して五日も歩いているのか。
そこから先が分からない。訊いても答えてもらえなかった。
「あら、王女さま」
言ってしまってから、なぜそんなことを言ったのか自分でも分かった。踏み込む勇気がないから、冗談の形にしたのだ。
娘が振り返った。
「ボクは熊だよ」
「そうだね」
笑ってしまった。声を出して笑った。
久しぶりだった。何日ぶりかは思い出せない。
笑いながら、頭のどこかが冷えている。この人に触れてもいいのかどうか、分からない。分からないまま笑っている。
商人の交渉が終わり、荷が片づいた。五人――四人と一匹――は坂の方へ戻りかけて、桟橋の脇で足を止めた。娘が立ち止まったからだ。
海が見える場所だった。
午後の光で水が白く光っている。船が二艘、沖へ出ていくところだった。
「ここね」
娘が言った。誰に言うでもない調子だった。
「弟が国を追い出されたときに始めた漁村だったんだよ。私が起こしたクーデターだったけど。あいつ魚が好きだったから、よく沼の魚を食べさせてあげてた」
朝から店にいた方が、静かに聞き返した。
「弟君と仰いますと」
もう一人が言った。
「王太子殿下ですか」
「そうだね」
ジーナは吹き出した。
「へー、じゃああんた、ほんとに王女さまだったんだ?」
娘が振り返った。
「かわいいわね」
「ぶふーっ!!!??」
商人の男が、飲んでいた水を全部前に噴いた。近くにいた男がぎょっとして飛びのいた。
「こ、こ、この魚! 活きがいいっすねー! いやー! 最高っすよ! ミトちゃんも、どうですかこれー!」
男は台の上の何かを両手で掴んで振り回していた。それは魚ではなく、縄の束だった。
「うるさいぞウッカリーノ」
「馴れ馴れしくヤシッチョに触るな」
「触ってねぇ!!」
ジーナはまた笑った。笑いながら、少しだけ息が苦しくなった。
娘は熊の頭を撫でながら、困ったような顔をしていた。
「まあ、そんな感じだね……」
それから小さい声で、
「あぶないあぶない」
と言った。
ジーナは袋を持ち直した。
聖女さまではないが、神父様より上だ。
それでいい。ジーナは考えるのをやめた。修道院の偉い人が、雑魚の煮込みを食べたがっている。
それだけの話だ。
「じゃあね、王女さま」
「うん」
娘は手を振った。熊の手も振っていた。
坂を上がりかけて、ジーナは一度だけ振り返った。
朝から店にいた方が、まだ秤を見ていた。
仲買はとっくに次の桶に移っている。それでもその男は、竿の支点のあたりから目を離していなかった。




