対決
階段を降りてきたのは、糊の効いた襟の男だった。
昨夜と同じ上着で、指はやはりきれいだった。後ろに騎士が続いている。ウッカリーノが数えられたのは八人までで、残りは階段の上に詰まっていた。
バルジェッロ・アウトリーノは、地下牢を見た。
外れた壁の石を見た。倒れた格子を見た。血の跡だけが残って傷のない商人を見た。
最後に、小柄な娘を見た。
彼の額に、汗が浮いた。
「……何者だ」
「ミトだよ」
娘は、格子の内側から出てきた。
「その人ね、うちの案内人なの」
埃を払いながら、当たり前のことを言うように続けた。
「返してくれる?」
アウトリーノは答えなかった。
彼の頭は、別の計算をしていた。
中央の人間がこの町に入っている――それは昨日から分かっていた。行列。割れた地面。ヒーラーの噂。教皇庁の刻印。
だが今、事態は変わっていた。
『見られた』。
地下牢を、拷問の跡を、この屋敷の中身を。ここから報告が上がれば、通行証も、徴収した金も、二十年分が全部掘り返される恐れがある。
彼は娘を見た。それから男二人を見た。
三人。護衛は二人きり。表に行列はない。誰も助けに来ない。
この地下で消えたものは、誰にも数えられない。
――やれる。
彼は、自分の情報の範囲では正しい判断を下した。
「斬れ」
鞘の音が二十、重なった。
「スケ、カシ」
娘の声は、平たかった。
「懲らしめてやりなさい」
最初の一人は、スケが右腕で払った。
剣ではない。素手だった。振り抜かれた腕が男の胴に当たり、男は壁まで飛んで、そこで止まった。石壁が鳴った。
二人目が突いてくる。スケは避けなかった。刃が肩に入り、骨に当たって止まる。
ウッカリーノは息を吸った。
スケはその腕で、刺した男の胸倉を掴んで放り投げた。
そしてスケの肩の傷が、光った。
白い、熱のない光が肩口を這って、刃の入ったところが閉じていく。血が止まるのではない。『穴がなくなる』。
娘は動いていなかった。牢の前に立ったまま、二人を見ているだけだった。
カシは剣を抜いていた。
彼の戦い方は静かだった。狭い通路で、正面の一人だけを相手にする位置を保ち続ける。二十人いても、彼の前に立てるのは常に一人である。剣が短く動くたびに、その一人が入れ替わっていった。
殺してはいなかった。殺す手前で止めている。
誰も死なないので、誰も止まらない。倒れた者は起き上がり、また前に出て、また倒れる。
スケの背中に一本入った。塞がった。
腕を斬られた。塞がった。
打たれ、突かれ、押し倒され、そのたびに立ち上がるのが早くなっていく。疲れが溜まらない。息が上がらない。数時間の拷問の痛みが一瞬で消されたウッカリーノの体と、まったく同じことが起きていた。
彼は床に座り込んだまま、それを下から見上げていた。
二十人が正しく戦っていた。訓練も、連携も、下手な悪党より上手だった。ただ、数の差というものが、この三人を前にして意味を失っていた。
最後の一人が膝をついたのは、油皿の炎が半分ほど短くなった頃だった。
誰も死んでいなかったが、全員が動けなかった。
アウトリーノは、壁際に立っていた。
彼は剣を抜いていない。彼は取り締まる側の人間であって、自分が斬る場面を想定して生きてはこなかった。
「……待て」
彼は手を上げた。
「待ってくれ。話を、話をしよう。金なら、いくらでも払う、だから――」
カシが、革の筒の蓋を開けた。
中から出したものを、彼は片手で高く掲げた。
油皿の光が、金の縁を撫でた。円形の、重い印である。中央に鍵と冠。この国で、それを押していい役所はひとつしかない。
昨夜、騎士たちが白金貨の裏に見たのと、同じ刻印だった。
「鎮まれぃ!」
カシの声が、地下に響いた。
「このご聖印が目に入らぬか!」
アウトリーノの膝が、折れた。
彼はそれを知っていた。誰よりも知っていた。二十年、それが来ないことを祈り続け、そのために形だけの教会を町に置き、そのために白金貨の出どころを調べさせた。
恐れていたものが、自分の屋敷の地下に立っていた。
スケが一歩前に出た。
「こちらにおわすをどなたと心得る」
声が通った。
「畏れ多くも、教皇国を建国され、この地に平和をもたらされし――」
息を継いだ。
「第十八代聖女、ディミトリア・ディ・サンタ・ルナ様なるぞ!」
――ウッカリーノは、聞いた。
言葉の意味は分かった。分かったが、体のどこにも入っていかなかった。
第十八代聖女。教会の壁に描かれている女。手から金の光を出している、あの絵の。
昨日、飯を幸せそうに食べて、赤い実を口に入れて「酸っぱい」と言った娘が。
「頭が高い! 控えおろう!」
床が鳴った。
動ける者から順に、額を石につけていった。動けない者は、そのまま顔を伏せた。アウトリーノは両手をついて、そこから動かなかった。
二十人と、治安長官がひとり。誰も顔を上げなかった。
地下牢の前に、娘が一人立っていた。
マントの裾が、床の埃をかぶったままだった。
ミトは、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「うん。じゃあ、お話ししようか」




