9話:神火の教団
——礼拝堂は、息を潜めるような静寂に包まれていた。
薄黒い火山岩の柱が、天井へ向かって何本も伸びている。壁には赤い布が垂れ、金糸で刺繍された火山の紋様が、燭台の炎を受けて鈍く揺らめいていた。
白い香の煙が、祭壇の火口を模した金色の聖具の周りをゆっくりと漂っている。甘く、重く、どこか硫黄を思わせる匂いだった。
祭壇の前には、黒衣の神官たちが膝をついていた。誰一人として顔を上げない。
沈黙の中、祭壇と神官たちの間に、眩いほど白いマントを羽織った男が立っていた。
アレッサンドロ——神火公と呼ばれるその男は、フィアンマ教団の頂点に立つ存在だった。
白い装束は一点の染みもなく、穏やかに伏せられた目元には、祈りにも似た静けさがあった。だが、その姿は清らかというより、あまりに白すぎて、かえって人の温度を感じさせない。
見事な白髪に反して、その顔には年齢を測らせない滑らかさがあった。伏せられていた瞳が開くと、燭火を映したように異様な光を帯びる。
やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「このままでは、島は再び神火の怒りに触れてしまう」
穏やかな声だった。しかし、その響きは、祈りというより審判を下すような重さを伴い、礼拝堂へ沈んでいった。
「偉大なる神火の意志——それを迷える者たちに伝え、正しく導かねばなるまい」
黒衣の神官たちの先頭に、一人の青年が跪いていた。左目の下には、斜めに並んだふたつのほくろがある。
「だが今、島に悪しき“魔女”が再来した」
アレッサンドロの声がわずかに沈む。
「我らフィアンマ教団は、島の統治者として、民を不安と混乱に晒すことは許されぬ」
静かな叱責だった。
「お前たち『特務神官』がありながら、灰の連中に先手を許したのは、あまりに迂闊だ」
床を見つめたまま、誰も動かない。
「……奪還も、すでに二度、失敗したようだな」
空気が一段と重くなる。男が、深く頭を下げた。
「……申し訳ございません」
「ふむ。責めているわけではない」
その言葉に、わずかに緊張が緩む。
——次の瞬間。杖が床を打ち、乾いた音が、礼拝堂に鋭く響いた。
「魔女は、人の心を惑わせる存在だ」
静かな声が、冷たい刃のように落ちる。
「信仰心を欠いた者は、この島には不要だ」
黒衣の者たちの間に緊張感が走る中、アレッサンドロは淡々と続けた。
「一刻も早く、魔女を生け捕りにし、神火の元で裁け」
「……御意」
ほくろの男は、感情を削ぎ落としたように答えた。その瞳は光を飲み込む闇のようだった。
*
澪は夕方の恐怖と昂りが冷め切らないまま、眠りについた。沈んでいく意識の中で、遠い記憶が浮かび上がる。
(あれ、ここはどこだっけ……。ああ、そうだ、わたし——)
——澪は高い木の上にいた。
お気に入りの青い帽子を胸に抱きしめ、頼りない枝にしがみついている。
無我夢中で登ってきたのはいいが、どう降りたらいいのかわからない。木の下では、帽子をここに引っ掛けた子供が意地悪そうにニヤニヤと笑っている。
人通りの少ない静まり返った場所だった。このまま誰も来なければ——
泣いたら負けだとわかっているのに、堪えきれず、涙の粒がひとつ、頬に溢れた。
「……ねぇ、こっち。手をのばして」
ふいに、足元から声がした。
見下ろすと、すぐ下の枝から見覚えのない少年がこちらに手を伸ばしていた。夜空みたいな瞳が、ただ静かに澪の方を見つめている。
澪はおそるおそる、その手を取った。
彼は微笑むでもなく、そのまま澪を帽子ごとふわりと抱きとめた。どっと胸の中に、安堵のぬくもりが流れ込んでくる。
黒い前髪が揺れた。
(左目の下、黒いほくろが、ふたつ……)
「たすけてくれて、ありがとう——
——マヒトくん」
(そうだ……あの人は『マヒトくん』だ!)
澪はベッドから跳ね上がるように飛び起きた。窓の外は暗く、まだ夜明けには早い時間帯だった。
消えないうちに、夢の記憶を手繰り寄せる。
小学校に入って間もない頃、親のいない澪は、よくからかわれた。先生の見ていない場所で、持ち物を隠されたり、わざと置いていかれたりした。
そんな時、決まって助けてくれたのが『マヒトくん』だった。
(そうだ、あの後も何度か助けてくれたっけ……)
誰かが困っていたら手を差し伸べるものだと澪が信じているのは、たぶんあの時からかもしれない。
(口数も少なくて、あんまり笑わないのに、優しい子だったな……)
しばらくして、どこかへ引っ越してしまい、それきりだった。もう一度会うことがあれば、またあの日のお礼を伝えたいと願っていたが、いつのまにか記憶の奥に埋もれて忘れていたのだ。
(あのふたつのほくろ……間違いない)
この島に来て初日にあった男のことを思い出す。今日、夕刻に襲われたとき、目に入ったのも同じ彼だった。
(なぜ、彼がこの島に? しかも教団の暗部なんかに……?)
——フィアンマ教団。この島の人々は古くから、フィアンマ山の炎を『神火』と呼び神聖な力として信じてきたという。
その存在が、澪の胸に暗雲のように重く立ち込めていた。




