10話:禁忌の男
「今日こそ町に出られるんだろうか……」
チェネレに来てから数日後、澪は談話室のソファに座り、大きなため息をついていた。
外に出るときは必ずネッロを同行させること——それがサルヴァトーレとの約束だった。
だが、蓋を開けてみればネッロは普段通りに仕事をしているし、外に調査に出られるのは非番の時か、見回りの時だけ。
(なかなか、調査が進まない……)
祖母の残した手紙の謎、そして自分が教団に狙われる理由の調査を進めなくては……と焦る気持ちは募る一方だ。
今日も手持ち無沙汰のまま談話室のソファに座り、アンナに淹れてもらったカフェラテを口にする。ミルクのきめ細かな泡が澪を慰めるように口内に広がった。
その柔らかな感覚と裏腹に、ままならない状況に思い悩んでいると、横の壁に掛けられている古い写真に気がついた。
(あれ、これって家族写真かな?)
カップをサイドテーブルに置いて、澪は壁に歩み寄り、写真をよく見ようと顔を近づけた。
写真の中央には、冷たく厳格な表情の男が座っていた。どことなく、サルヴァトーレに面影が似ている。
隣には、長いワンピースを着た、おとなしそうな女性が座っている——この人が母親だろうか。
その両側に子供たちが五人綺麗に整列していた。女の子が二人、男の子が三人。
「——スピネッリ家だ」
不意に後ろから低い声が聞こえ、心臓が跳ねる。振り返るとトニオが立っていた。
「スピネッリって、サルヴァトーレさんの……?」
トニオは澪の問いに答えずに続けた。
「真ん中が先代マルチェロ。右端の坊主がサルヴァトーレだ」
大人しそうな、ひょろっとした男の子が一番端に立っていた。
「この子が……?」
誰一人微笑まず、口を一文字に結んでいる。その姿は、この一家の厳格さを物語っていた。
「サルヴァトーレさんはお父様に似てらっしゃるんですね」
「似ている、か……」
トニオは嘲笑うように呟いた。
「地に落ちた権力を取り戻すため、マルチェロは残酷なほど冷徹だった。あの坊すら甘く見える程にな……」
(お父様は、サルヴァトーレさんより怖かったってことか……)
澪はトニオの様子が気になり顔を覗き込む。彼は感情を消したような、どこか遠い目をしたまま、小さくため息をついた。
「まさか、この青白い坊主が最後まで生き残るとはな」
(“最後まで”ってことは——)
澪の脳裏にあの冷たい灰色の瞳が浮かんだ。その瞳に何を映してきたのか、想像するのも恐ろしい気がした。
「これが、全員写っている唯一の写真だ」
そう言われて辺りの壁に目を向けた。確かに他に写真はない。だが、家族写真のすぐ横の壁に、日に焼けていない長方形の跡があった。
「ここにも誰かの写真が掛かってたんですか?」
枠の跡だけが黒く残っている。少しの沈黙ののち、トニオは声をひそめて答えた。
「……ルチアーノだ」
「ルチアーノ……? どうしてその人の写真は外されたんです?」
「タブーだ」
トニオは眉をしかめながら壁の跡を睨みつけた。
「魔女の娘に誑かされ、チェネレを売った……スピネッリ家の汚点」
声色は低く冷たい。澪は息を詰め、問いを重ねることができなかった。
「お前もいずれわかる。スピネッリの血は、魔女に呪われている」
トニオは澪を一瞥もせずに呟く。
「えっ……?」
その表情は変わらなかった。その声だけが妙に重く聞こえた。
澪は再び写真を見つめた。幼いサルヴァトーレ。そのあどけなさの残る顔と凍りついた表情の不自然さに、胸の奥がざわめいた。
(呪われた家系……)
「いた、いた! トニオ!! ちょっと来ておくれよ」
急に談話室に明るい声が響いた。アンナだ。
「なんだ、騒がしい」
トニオがイラついた様子で答えると、アンナは怯むことなくトニオに笑いかける。
「厨房のオーブンがおかしくなっちまって、ちょっと見てくれないかい?」
「若いのに頼めばいいだろう」
「そいつが情けないことに『古い型だからわからない』って、若いのじゃだめでねぇ」
煩わしげに眉をしかめるトニオに、アンナは肩をすくめてみせた。
「前も上手いことやってくれただろ? なんとか頼むよ」
「まったく、オーブン程度で……」
アンナの押しの強さに観念したのか、トニオはぶつぶつ呟きながらキッチンへ去っていった。
「それにしても——スピネッリ・ファミリーか……」
トニオの話に、澪は薄寒さと静かな恐怖心を覚えたのだった。




