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ロッサ・ディ・マーレ 〜火山島に燻る魔女の罪〜  作者: 山城すな
第八章

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29話:血

「ねぇ澪、食品棚にあった蒸留酒を知らないかい?」


 それから数日経ったある日、ふと、アンナに聞かれた。


「あんなにあったのに丸ごと無くなってるんだよ」


 澪は首を傾げた。


「いえ、知りませんけど……」


「そうだよねぇ、あんたが飲むはずないもんねぇ」


 アンナも首を傾げる。


「やっぱりファミリーの誰かが忍び込んで飲んだんだろう」


 アンナは指を組んで威嚇するように鳴らした。


「もし見つけたら知らせておくれ」


 目がぎらりと光る。


「……ただじゃおかないから」


 凄むアンナを、乾いた笑顔でいなし、澪はネッロの見舞いに医務室へ向かった。


 医務室に入るなりレオの机に蒸留酒が置いてあるのが見えた。


「あ!蒸留酒泥棒……!!」


「なんだと、人聞きの悪い」


「アンナさんが探してましたよ?あ、ここにも……!」


 同じ蒸留酒の瓶が机の周りに転がっているのが見える。


「こんなに飲んだんですか?」


 澪は心配そうにレオを見た。


「こんなに飲めるか、消毒だ消毒」


「え?」


「消毒液が切れちまったから借りたんだよ」


「こんなに?」


「そうだ」


「全部?」


「ほぼ、全部だな」


「……」


「……少しは飲んだ」


「やっぱり!」


「うるせえ!患者が寝てるんだ静かにしろ」


 見るとネッロが静かに寝息を立てていた。


「静かに寝てるなんて、珍しいですね」


「あんまりうるさいから鎮静剤を使った」


(この医者容赦ない……!!)


 澪はグラツィアのノートを持ってきたことを思い出した。


「先生」


「なんだ」


「アンナさんには黙っていてあげます」


 レオの手が止まる。


「……条件を聞こうか」


「じゃあ、これ見てください」


 研究ノートを差し出す。レオの眉がぴくりと動く。


「……お前」


 露骨に嫌そうな顔をした。


「なんか抜け目なくなったな」


「そうですか?」


「可愛げがないぞ」


「可愛くなくて結構です」


 澪はわざとらしく目を細めて見せた。レオは深いため息を吐く。


「誰に似たんだか……」


 ぶつぶつ言いながらも、結局ノートを受け取った。机に肘をつき、ぱらぱらとページをめくり始める。


 最初は本当に興味がなさそうだった。ただ形式的に確認しているだけ。そんな様子だった。


 だが、数ページ進んだところで手が止まった。


「……なんだこれ」


 澪は身を乗り出した。


「何かわかりますか?」


「いや」


 レオは眉を寄せる。


 ページを戻した。

 さらに戻す。

 もう一度読む。沈黙。


 そして——


「……は?」


 そんな声を漏らした。


 澪は目を瞬く。レオがこんな反応をするのは珍しい。


「どうしたんですか」


 返事はない。レオは眉間を押さえながらページを睨んでいる。


「特定サンプル由来のミトコンドリア……」


 小さく呟く。


「いや、七十年前だぞ」


 今度は誰に向けた言葉なのかも分からない。


「遠心分離機はある」


 ページをめくる。


「細胞研究だってある」


 さらにめくる。


「だがこんな発想……」


 レオは呆然とした顔をした。


「どうやって思いついた……?」


 研究者としての顔だった。気味悪さと驚きが入り混じっている。


 再びページをめくる。


「再現不能……被験体との関連性を調査中」


 レオは黙り込んだ。


「……今なら、ミトコンドリアDNAの母系遺伝で説明できるかもしれねぇが」


 数秒後、ぽつりと呟く。


「なんなんだこれ」


 澪は慎重に尋ねる。


「薬に特定の血液が必要ということでしょうか」


「知らん」


 レオは目を合わせずに答えた。


「ただ——」


 ノートを見つめたまま言った。


「まともな研究者の文章じゃねぇな」


「え?」


「気色悪ぃ」


 眉をしかめて、そう言い放つ。部屋の空気が少し冷える。レオはもう一度ページをめくる。


 そして勢いよく閉じた。ぱたん、と音が響く。


「あー、やめだやめだ」


 心底うんざりした顔だった。


「見なきゃよかった」


 澪はますます分からなくなる。


「そんなに変なんですか?」


「どう見てもロクな研究じゃねぇ」


 レオはノートを机の上に押し返した。


「不老不死だの」


「血統だの」


 鼻で笑う。


「そんなもん医学じゃない」


 そして吐き捨てるように言った。


「まるでオカルトだ」


 澪はノートを抱え直した。レオは椅子にもたれ、天井を見上げた。


 しばらくしてから、面倒くさそうに続ける。


「それと、この件」


「……?」


「お前、母方はこの島出身者か?」


「いえ、あまり知らなくて……」


 レオは珍しく真面目な目をしていた。


「これ以上調べない方がお前のためかもしれねぇぞ」


 澪は困ったように笑う。


「でも、もうだいぶ調べちゃってます」


「……だろうな」


 レオは頭を掻いた。苛立ったような仕草だった。


「いや……まあ」


 言葉を探すように口ごもる。


「それができりゃ苦労しねぇか」


 大きなため息。そして、貧乏ゆすりのように膝を揺らした。


「見ただろ。ここまでだ」


 追い払うように手を振った。


「もう出てけ」


 澪は苦笑しながら立ち上がる。


「ありがとうございました」


 ノートを抱え直す。


 医務室を出る直前、ちらりとネッロを見る。鎮静剤が効いているのか、ぐっすり眠っていた。


 医務室を出た後も、澪の頭の中は研究ノートの内容でいっぱいだった。


 レオの言葉が何度も頭の中で反響する。


 あのレオがそこまで言うのだ。ますます真相を知りたくなってしまう。


(でも、生物学なんて全然分からない……)


 せめて参考になりそうな本が欲しい。


 歩きながら考えていると、ふとひとつの場所が脳裏に浮かんだ。


 あの古書店だ。サルヴァトーレの店。あそこなら何か見つかるかもしれない。


 澪は食堂へ向かった。


 昼食の片付けを終えたアンナが、山のような食器を前に腕まくりをしている。


「あの、アンナさん」


「なんだい?」


「古書店に行きたいんですけど……」


 アンナの手が止まった。


「古書店?」


「はい。本を探したくて」


 アンナは少し困った顔をした。


「あそこはねぇ……誰でも出入りできる場所じゃないんだよ」


 そう言って言葉を濁す。


「そうなんですか?」


「場所を知ってるのも限られた人だけさ」


 皿を布で拭きながら続ける。


「基本的にはボスとネッロだけだね」


 澪は目を瞬いた。


「そんな隠れ家みたいな場所なんですか?」


「実際隠れ家みたいなもんだよ」


 アンナは苦笑した。


「そういや、あんた、最初にあそこへ迷い込んだんだろう?」


 たしかに、最初こそあの古書店に自分の脚でたどり着いたが、道まで覚えてなかった。


「じゃあ今日は無理ですね」


 澪は肩を落とした。ネッロは鎮静剤で熟睡中。案内してもらうこともできない。


「まあ、そのうち起きるだろうさ」


 アンナは気楽に言った。


「待ってる間、暇なら執務室のゴミ回収でもしてきてくれないかい?」


「執務室ですか?」


「ああ」


 アンナは山積みの食器を顎で示した。


「今日はこっちが手一杯でね」


 それくらいなら手伝えると、澪は頷いた。


「分かりました」


「助かるよ」


 アンナはにっこり笑った。ゴミ袋を受け取ると、澪は執務室へ向かった。


 執務室には誰もいなかった。


 窓から差し込む午後の日差しが机の上を照らしている。サルヴァトーレの机の上は綺麗に片付けられていた。


 特に片付けるものもないので机の天板を拭き、ゴミ箱のゴミをまとめた。


 改めて見回すと、この執務室の空気はどことなく緊張感がある。入ると背筋が伸びる気がする。



 綺麗に整頓された本棚。艶のある革張りの肘掛け椅子。よく磨かれた重厚な机。


 そして部屋の奥には大きな暖炉があった。前まで行って、澪は足を止める。


「暖炉があったのか……」


 そういえば、この島は冬でも比較的温暖らしい。この島に来る前にガイドブックで見た情報だった。暖炉なんて必要なのだろうか。


 何気なく近付いて覗いてみる。夏真っ盛りの今の時期だ、さすがに火は入っていない。煤もほとんど付いていなかった。


「使われてないみたい……」


 しゃがみ込み、中を覗く。


「あれ?」


 澪は違和感を覚えた。暖炉の奥が妙に浅い。それに——


「煙突がない?」


 普通なら上へ続いているはずの煙道が見当たらない。


 首を傾げながら、暖炉の内壁へ手を伸ばした。軽く叩くと、こんこん、と軽い音が返ってくる。石造りにしては妙だった。


「なんだろう……」


 もう少し身を乗り出した瞬間。

 ——ごとり。足元の床が揺れた。


「え?」


 壁の一部がわずかに動く。次の瞬間、ぐらりと身体が傾いた。


「きゃっ!?」


 支えようとした手が空を切る。開いた隙間へ身体ごと滑り込み、そのまま数段の階段を転がり落ちた。


「いたたた……」


 慌てて起き上がる。

 見上げると、さっきまでいた暖炉は閉じていた。もはや目の前には石壁しか見えない。


「えっ、待って」


 慌てて駆け寄った。

 押しても、叩いても、引いてもみた。だがびくともしない。


「ちょっ……」


 嫌な汗が流れる。


「困った……」


 どうやって開けたのだろう。どうやって戻るのだろう。しばらく試したが結果は同じだった。


 やがて澪は諦めて息を吐く。


「……仕方ない」


 周囲を見回した。


 通路は奥に続く一本だけ。周りは剥き出しのコンクリート壁。そして、等間隔に設置された照明。薄暗いが、人が通ることを前提に作られているように見える。少なくとも自然洞窟ではない。


 それに、チェネレの執務室から繋がる場所だ。命に関わるような危険はないだろう。


(——たぶんね)


 そう自分に言い聞かせ、一歩踏み出した。しばらく足音が静かな通路に響く。


 やがて、突き当たった先に扉が見えた。古びた木製の扉だった。


 澪は恐る恐る取っ手を回す。鍵はかかっていないようだ。そのまま、ゆっくり押し開く。


 扉を開いた隙間から、鼻を掠める懐かしい匂いがした。


 古い紙の乾いた甘い香り、インクの苦い香り、革表紙のしっとりしたほのかな獣の香り——


 澪は目を見開いた。


「……え?」


 目の前には本棚の壁があった。ぎっしりと本が並んでいる。


 見覚えのある景色だった。


 振り返ると、自分が出てきた扉は、本棚の陰に巧妙に隠されている。


 そして、その反対側には、静まり返った古書店の店内が広がっていた。


「ここ……」


 思わず呟く。


「あの古書店だ……」


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