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ロッサ・ディ・マーレ 〜火山島に燻る魔女の罪〜  作者: 山城すな
第七章

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25話:神の炉

 二人はさらに火山の麓へ向かった。


 草木の少ない黒い大地。かつて採掘で栄えたその鉱山地帯は、今では半ば放棄されているらしく、人影もまばらだった。

 

 やがて岩肌にぽっかりと開いた旧坑道の入口が見えてくる。錆びた柵や朽ちかけた標識が疲れたように立っている。風が吹くたび、どこかで金属が軋む音がした。


 澪は入口を見上げる。


「ここだね」


 そう言って振り返ると、ネッロが顔をしかめて立ち止まっていた。なかなか入ろうとしない。腕を組み、坑道の暗闇を睨んでいる。


「ネッロ?」


「……」


「どうしたの?」


 沈黙が落ちた。

 やがてネッロは頭を掻いた。


「あんま好きじゃねえんだよ」


「鉱山が?」


「……昔な」


 ぽつりと漏れる声に、澪は黙って耳を傾けた。


「昔、地震で落盤事故があった」


 ネッロは坑道から目を逸らした。


「俺の家族が巻き込まれた」


 それ以上は語らなかった。


 墓地で見た名前を思い出す。両親と幼い妹セレナ。そしてガブリエーレ・ヴァレンティノ——ネッロが捨てた名前。


 澪は胸が痛んだ。軽々しく聞ける話ではない。


「……わかった」


 しばらく考えた末、澪は胸を叩いた。


「私一人で行ってくる」


「は?」


「ネッロは外で待ってて!」


「いや……」


「多分大丈夫だよ」


「いやいやいや……」


「私だって成長してるからね」


 自信満々に言うと、ネッロは額を押さえた。

 数秒迷った後、盛大なため息を吐く。


「んなことさせられるわけねえだろ」


 自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。


「……しゃーねえな」


 諦めたように笑った。


「行くぞ」


 その言葉に澪は少しだけ安心した。


 坑道の中はひんやりとしていた。外の熱気が嘘のようだった。岩壁からは絶えず水滴が落ち、暗闇の奥から不気味な反響音が聞こえる。


 途中から坑道は妙に整備された造りへ変わった。補強された壁に、新しい照明、人が出入りしている形跡。


「教団だ」


 ネッロが低く呟く。


 しばらく進むと見張りが立つ関所のような場所が現れた。

 二人は岩陰に身を隠した。


「どうする?」


「任せろ」


 ネッロは足元の石を拾うと軽く投げる。コロン、と乾いた音が坑道の反対側で響く。


 見張りがそちらへ顔を向けた。その隙に、ネッロが澪の腕を引く。二人は音もなく駆け抜けた。心臓が喉まで上がりそうになる。

 だが、気付かれなかった。


「ざるみたいな警備だな」


 やがて案内板のひとつに小さく書かれた旧区画の表示を見つけた。


 脇道へ入ると、道幅は次第に狭くなっていった。空気も重くなってきた。誰も来なくなって久しいのだろう。


 最奥部へ続く鉄扉は半ば朽ちていた。ネッロが押すと、重い金属音を立ててゆっくり開く。

 何十年も放置されていたような空気の重さ。まるで巨大な何かの墓場のようなしんとした空気。


 そして——最奥部。そこにあったものを見て、澪は息を呑んだ。


「……なに、これ」


 巨大な機械だった。


 赤茶けた鉄骨が禍々しくその巨大な体を支えている。そこから伸びる無数の配管。あちこちに砕けた計器が点在していた。錆に覆われながらも、その異様な存在感だけは失われていない。まるで巨大な獣の骸のようだった。


 周囲には机や棚が残されている。研究室、そう呼ぶしかない場所だ。

 

古い図面が散乱していた。澪はそれを慎重に手に取った。黄ばんだ紙に、滲んだインク——設計図には「深部熱導管」「鉱石精製槽」「反応槽」「冷却弁」などと書かれている。


 注釈には、こう記されていた。


『薬品生成には、莫大な熱量を必要とする』

『火山深部より上昇するマグマ熱を利用した大型精製装置“神火精製装置(旧:神の炉)”を開発』


 ネッロが眉を寄せ、設計図を覗き込んだ。


「つまり……山の腹ん中から、熱を引っ張ってくるってことか?」


「たぶん……」


 澪は乾いた喉で答えた。


「薬を作るために、火山の奥にある熱を使うんだと思う」


 さらにページをめくる。そこで澪は目を見開いた。


『深部熱導管の稼働に伴い、火山性微動の増加を確認』

『地下圧力の変動、想定値を超過』

『旧坑道および周辺岩盤への影響あり』

『長時間稼働により、噴気孔拡大および噴火誘発の危険性あり』

『開発中止を提言』


 その下には、殴り書きのような文字が続いていた。


『私は間違っていた』

『これは神火を借りるものではない。火山の心臓から、奪うものだ』


 指先が震えた。


「まさか……」


 地震。

 噴火。

 坑道での落盤事故。


 ネッロの家族が死んだ、あの事故までが関係していた可能性が浮かぶ。全てがぼんやりと頭の中で結びつこうとしている。


 隣を見ると、ネッロが資料を覗き込んでいた。その目が一瞬だけ変わった。普段の明るさが消える。代わりに浮かぶ獣のような鋭さ。そして押し殺した怒り。


 ほんの一瞬だった。だが澪は見逃さなかった。

 ネッロは何も言わない。ただ黙って資料を読み続けている。


 澪は視線を戻した。


「これが……神の炉なの?」


 祖母の手紙に書かれていた言葉。


 ——神から盗んだ炉を、神の火の口へ返さなくてはならない——


 その意味が少しだけ見えてきた気がした。


 しかし、機械をよく見ると、既に壊れていた。側面には古い処分印まで押されている。

 中央には、何かを収めていたらしい空洞が口を開けていた。心臓だけを抜き取られた怪物の胸のようだった。


「使えない……」


 つまり、もう薬は作れない。少なくともこの装置では。


「じゃあ、おばあちゃんの贖罪は終わっているの……?」


 そこまで考えて言葉が止まる。


(本当にそうなのかな……)


 何かが引っ掛かっていた。けれど、確証のない違和感でしかなかった。

 澪は静かに資料を閉じた。


「そろそろ戻ろうか」


 澪は持ち帰れそうな資料を数枚、慎重にバッグへしまった。本当はもっと調べたかったが、ここに長居するのは危険すぎる。


 しかし、ネッロは返事をしない。古い記録を一枚一枚めくっている。まるで何かを探すように。


「ネッロ?」


 呼びかけると、ネッロは、はっと顔を上げた。


「……ん?」


「どうしたの?」


「……あぁ」


 そしていつもの笑顔を作った。


「いや、なんでもねえ」


 そう言って資料を元の場所へ戻した。


「帰ろうぜ」


 出口へ歩き出す背中を見ながら、澪は小さな違和感を覚えていた。

 だがその時はまだ、それが何なのかわからなかった。


 *


 研究室を後にした二人は、再び坑道を抜けて地上へ出た。


 夕方が近づいていた。

 西へ傾いた陽が火山の斜面を赤く染め、黒い岩肌の輪郭を浮かび上がらせている。


 潮風が吹いた。どこか重苦しい空気を振り払うように、澪は大きく息を吸う。


「なんだか疲れたね」


「そりゃあんなもん見りゃな」


 ネッロは短く答えた。だが、その横顔はどこか硬かった。あの研究記録を見てからというもの、ずっと考え込んでいるようだった。


 バイクは海沿いの道へ出る。


 やがて北側の港町が見えてきた。

 東地区のように町の人のための港ではない。港からは生活の匂いではなく、鉄と油と鉱石の匂いがする。


 だが、その一角に人だかりができていた。

 白い天幕には赤い教団の紋章。机の上には試験管や書類が並べられている。


「なんだろう?」


 澪が首を傾げる。

 近付いてみると、神官服を着た男女が島民たちの対応をしていた。


「無料の健康診断です」


 年配の神官が穏やかに微笑む。


「教団では定期的に血液検査を行っております」


「血液検査?」


「ええ。病の早期発見のためです」


 島民たちは慣れた様子で列に並んでいた。小さな子供を連れた母親や商人。老人、様々な人が皆検査を受けるために列を作っていた。


 ふと横を見ると、ネッロの顔色が悪かった。驚くほど血の気が引いている。


「ネッロ?」


 声を掛ける。


 ネッロは返事をしない。遠くを見るような目をしていた。


「……どうしたの?」


 澪が心配して声をかけるも、しばらく返事をしなかった。


 やがて低い声が漏れる。


「家族が死んだ前日」


ネッロは天幕を見つめていた。


「教団の血液検査に行ってたんだ」


澪は息を呑む。


「……なんか、今日はちょっときついな」


 頭をかきながら、乾いた笑いが漏れる。

 冗談のような言い方だった。だが顔色は悪い。


「ったく、情けねぇよな……」


 そう言ってネッロは額を押さえた。呼吸が少し荒くなっている。指先もわずかに震えていた。


「……わりぃ、ちょっと気分悪いわ」


「大丈夫?」


「そこから動くなよ、すぐ戻る」


 そう言って近くの建物の方へ歩いていく。

 澪はその背中を見送った。


(ネッロずっとしんどそう……大丈夫かな……)


 朝からずっとネッロの嫌な思い出に触れ続けてしまっているようだ。


 事故で突然家族を失う辛さは澪も知っていた。 


 ——生まれてすぐに母を亡くした。

 そして五歳の頃。

 父もまた帰ってこなかった。

 嵐の夜だった。

 翌朝、目を真っ赤にした祖母に抱きしめられたことだけを覚えている。


 あの時の苦しさは、今でも胸の奥に沈んでいる。


(ネッロ……)


 あの人懐っこい笑顔の裏にある悲しみに思いを馳せていたときだった。

 背後に気配を感じた。

 振り返るより早く、口元を押さえられる。


 嗅ぎなれない匂い。


「——っ!?」


 視界が揺れた。

 身体から力が抜ける。

 遠ざかる空、霞む港——そして意識は闇へ沈んだ。


 *


 ——気付いた時、景色が流れていた。それも激しく、上下に。


 何が起きているのか理解できない。口には猿ぐつわがされている。両腕は背中で縛られてもいた。


 誰かに担がれていた。

 黒い服。

 見覚えのある背中。


「……!」


 マヒトだった。

 市場の屋根の上を走っている。


 下では人々が悲鳴を上げて逃げ惑っていた。教団の刺客たちが進路を確保している。

 その後ろから——


「澪!!」


 聞き慣れた声が響いた。ネッロだった。凄まじい勢いで追ってきている。


 立ちはだかった刺客がナイフを振るう——が、一瞬で、ネッロの蹴り、肘打ちが炸裂する。叩き落とされた男たちが地面を転がる。まるで止まらない。


「ちっ……」


 マヒトが舌打ちする。速度を上げ、斜面に張りつく家々の屋根を蹴って、細い石段へ飛び移る。そのまま町を見下ろす高台へ駆け上がった。


 けれど、ネッロも離れない。まるで獲物を追う狼だった。

 やがて視界が開ける。そこは高台だった。町を見下ろす、急な崖の上に出た。


 マヒトが振り返り、ネッロに向かって発砲した。

 その時、黒い車が停まっているのが見えた。運転席には黒衣の男。教団の回収部隊だ。

 澪の背筋が凍る。


(あれに乗せられたら終わりだ……!)


 必死に身体をよじる。暴れて、蹴り、頭を振った。


「おい!」


 マヒトが焦った声を上げた。


「やめろ!」


 さらに暴れる。縛られたまま崖側へ身を投げ出す。


「落ちるぞ!!」


(そんなことわかってる…!)


 次の瞬間、マヒトの腕が滑った。身体が宙に放り出される。


 空。

 崖。

 眼下の町。

 全てが逆さになった。


 ——落ちる。

 そう思った瞬間、強い衝撃と共に誰かの腕の中に抱き留められた。


「——っぶねー!」


 ネッロだった。崖下ぎりぎりで飛び込み、澪を受け止めていた。

 砂埃が舞い、二人とも地面を転がった。


 もはや取り返すことは不可能と判断したのか、頭上ではマヒトが歯噛みしていた。

 マヒトは一瞬だけ澪を見た。何かを言いかけるように。だが結局何も言わずに踵を返し、車へ飛び乗った。


 鈍いエンジン音を響かせて、黒い車は砂煙を上げて走り去っていく。


 静寂が戻った。荒い息だけが残る。ネッロも呼吸を整えた。

 縛られていた澪の紐を解いてくれたが、その頬には切り傷が増えていた。


「ありがとう、助かった」


「いや、目を離して悪かったな」


 互いを労い合うが、街の喧騒が聞こえて、二人は目を見合わせる。

 港の方ではまだ騒ぎが続いている。白昼堂々、人通りのある町中でナイフが振るわれた。


(銃まで使うなんて……)


 以前の教団なら考えられない。


 ネッロは去っていく車を睨みつけた。


「あいつら……」


 唸るような声だった。


「本気で来てやがる」


 澪も同じことを感じていた。


(教団はもう手段を選ばないつもりなのかも……)


 『魔女』を確保するためなら、島民にも、澪本人にも、もはやその凶暴な刃を隠すつもりはないようだった。


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