19話:アルタ・モーダ
「ところで、あなたドレスは持ってるの?」
昼下がりの食堂で、アンナが唐突にそんなことを聞いてきた。
澪は首を傾げる。
「ドレス、ですか?」
「そう、ドレス」
「持ってるわけないじゃないですか」
即答だった。するとアンナの表情が固まった。そして数秒後に、
「大変だわ」
と、慌てたように立ち上がる。
「え?」
「どうしよう。仕立て屋に頼んでたら間に合わないじゃない」
「何がですか?」
「ソフィア! ローザ! ちょっと来て!」
それから間もなく、食堂の奥から女性陣がぞろぞろ集まってくる。
嫌な予感しかしなかった。
「あの」
「腕上げて」
「え?」
「ほら早く」
「え、ちょっ」
次の瞬間には巻尺が首に回り、肩を測られ、腰を測られ、足を測られていた。
(これは……もしかして私、捕獲された?)
逃げられない、と澪は悟った。前方にはアンナ、左右にはソフィアとローザ、背後にはいつの間にか裁縫箱を抱えた女性が立っている。
まるで獣道の出口を塞がれた小鹿だった。
しかも恐ろしいことに、彼女たちは全員、善意と好奇心で目を輝かせていた。アンナたちは色々言いながら、澪の体をペタペタ触ってまわり、前から後ろからしげしげと眺めた。
「細いわねぇ」
「羨ましい」
「でも出るべきとこが少し足りないかも」
「……うるさいやい」
澪は無言で聞いていたが、揶揄われて思わず呟いた。周囲から笑い声が上がった。
「かわいい」
「拗ねた」
「若いわねぇ」
「ねぇ、だから何なんですか!?」
澪が抗議しても誰も聞いていない。
「青かしら」
「赤もいいわよ」
「顔立ちは意外に大人っぽいのよね」
「でも雰囲気は可愛い系」
「あえて攻める?」
「いや攻めるべきでしょ」
話がどんどん進んでいく。澪だけが置いていかれていた。
やがて机の上に二枚のドレスのデザイン画が並べられる。
一枚目は青。柔らかな生地が波のように広がるノースリーブのドレスだった。裾はふわりと広がるAライン。上品で清楚で、どこか海を思わせる。
「わあ……可愛い!」
思わず声が漏れる。こちらは澪の好きな雰囲気だった。
もう一枚は赤。艶のある生地。首元を美しく見せるホルターネック。身体の線をなぞるマーメイドライン。さらに横には深いスリット。
「待って」
澪は真顔になった。
「待ってください」
「なによ」
「これ布足りてます?」
女性陣が爆笑した。
「足りてるわよ!」
「むしろ多いくらい!」
「絶対こっち!」
「いやいや青!」
女性陣の中でも意見が真っ二つに割れる。やや赤が優勢か。しかし、ここはドレスを着る本人の意思が最も尊重されるべきだ。澪は強い意志で青を指差した。
「私は断然こっちです!」
ところがなぜか女性陣は納得しない。
「えー」
「赤でしょ」
「絶対赤」
「もったいない」
「何がですか」
「色々?」
意味が分からなかった。その後も澪は、デザイン画を手にした女性たちに引っ張られ、様々なポーズを取らされたりして、すっかり目を回していた。
しばらく大論争が続いた後、アンナがぱん、と手を叩く。
「決めた」
全員が振り返り、アンナの方を見た。
「最終判断はボスに任せる」
「なんで!?」
皆が名案だと頷きあう中、澪だけが悲鳴を上げた。
最終判断はボスに任せる。その一言で、澪の運命は本人の手を離れてしまったのだった。
*
数十分後、サルヴァトーレの執務室には場違いな人数の女性たちが集まっていた。
アンナはサルヴァトーレの前に二枚のデザイン画を差し出した。サルヴァトーレは机の上の書類から視線を上げた。
「これは?」
「ドレスです」
アンナが真剣な表情で答える。
「それは見れば分かりますが」
「どっちがいいか決めてください」
「……なるほど、わかりました」
サルヴァトーレは無言で二枚のデザイン画を受け取り、青と赤のドレスの絵をしばらく見比べていた。
その後、視線が澪へ向いた。澪は何となく背筋を伸ばした。またデザイン画へ視線が戻る。それが二、三回繰り返される。
執務室に妙な沈黙が広がる。女性たちは固唾を飲んで次の言葉を待っていた。澪にはこの数秒間が、無限のように感じられた。
やがてサルヴァトーレは紙を机へ置いた。
「赤で」
その瞳には一切の迷いはない様子だった。澪は頬を引きつらせて固まった。
なぜ、なぜ赤なのか。なぜよりによって、布面積に不安を覚える方を選んだのか、この澄ました男は。
(絶対、似合わないんだけど!?)
澪は心の中で、全力でブーイングをした。
抗議しようと口を開きかけたが、サルヴァトーレはすでに書類へ視線を戻していた。判決は下ったのだ。抗議の機会はなかった。
執務室を出た瞬間、女性陣が沸いた。
「やっぱり!」
「さすがボス!」
「見る目あるわ!」
「絶対似合うと思ったのよ!」
「でも意外ね」
「ねぇ?」
きゃあきゃあと盛り上がる女性たちは楽しそうで、澪だけが不安だった。
「ほ、本当に……?」
その呟きを誰も聞いていなかった。
*
翌日——
すでに空き部屋のひとつが即席の仕立て部屋になっていた。赤い生地。型紙。糸。そして大量の裁縫道具が持ち込まれた。
澪は今、その中央に立たされている。
「動かないで」
「はい」
「顎上げて」
「はい」
「そのまま」
「はい」
そのまま十分が経過し、二十分が経過。ついに三十分が経過した。その間、澪はほぼトルソーだった。
「……」
「動かない」
「はい」
「偉い」
「ありがとうございます」
何を褒められているのか分からない。だが、アンナが真剣な顔で針と糸を動かしているのを見ると、澪も自分の役割らしきものを全うするしかなかった。
ようやく休憩になったところで澪は尋ねた。
「そういえば」
「ん?」
「結局これ、何の衣装なんですか?」
部屋の空気が止まった。女性陣が顔を見合わせる。
「あれ?」
アンナが首を傾げた。
「ボスに聞いてないの?」
「ええ、何も……」
数秒の沈黙。そして——
「あんた、教団の慈善パーティに行くんだよ」
アンナが言った。澪は瞬きを繰り返した。
「……へ?」
「潜入調査みたいなもんかねぇ」
さらりと言われる。
「どうせ敵の懐に飛び込むんなら」
アンナは完成途中の赤いドレスを見上げた。そしてにやりと笑う。
「特別な勝負服で行きたいだろう?」
数秒後、澪の脳がようやく理解した。
「え……」
「え?」
「えええええっ!?」
悲鳴が部屋いっぱいに響き渡った。




