王の資格。
「しかし、何も通じなかったようですね……」
カーリウスがそれ以上話すことがないとでも言うように一歩後ろに下がると、エヴァンジェリンが代わりに前へ出た。
「陛下。先ほど私に“望みは何か”と聞きましたね……」
「あ、あぁ……」
「私、いいこと思いついちゃいました。」
――少しだけ扇子の先を唇に当て、真紅の瞳でアーノルドを射抜いた。
「ふふっ……」
かすかに揺れる睫毛の影が、頬に落ちる。
そして、唇の端がゆっくりと吊り上がった。
「な、なんだ……。早く言え」
アーノルドの背中に大粒の汗がつたった。
「私に、この国をくださいませ!」
「……」
広間の空気が音を失った。
「お、おい……エヴァ……それは正気か……?」
今まで黙っていたジークハルトが、信じられないものを見るように彼女を見つめた。
「……え?」
エヴァンジェリンはきょとんとした顔で首を傾げる。
「もしかして……私が冗談言ってると思ってる?」
そう言いながら、ゆっくり周囲を見渡す。
すると――
こくり、と。
全員が、うなずいた。
「ないない!こんな冗談を私が言うわけないじゃない。」
手を左右にブンブン振るうと、エヴァンジェリンはアーノルドの方を見た。
「……陛下」
一段低い声が、場内に響き渡る。
その声に、全員が息を呑んだ。
(女優みたいだな……)
息を吸うように次から次へと表情を変えていくエヴァンジェリンに、アーノルドの喉がひくりと鳴った。
「な、んだ……」
「陛下が仰ったんですもの。“なんでも好きなものをあげよう”と……」
「いや、そこまでは言ってないんだが……」
エヴァンジェリンと視線を合わせたくないのか、ずっと下を見ながら話す。
しかし、彼女はそれを許そうとはしなかった。
一歩近づくと、両手でアーノルドの頬を掴んだ。
そして、
グイッ。
首が折れるのではないかという勢いで、アーノルドの顔を上へと向けた。
「いたっ……」
「あなた、いい歳して目を合わせて話すこともできないの?悪いことをしても謝ることもできないし……」
「自分の放った言葉の責任も取れないなんて……王の風上にも置けないわ!」
その言葉と同時に、広間の空気が一段冷えた。
エヴァンジェリンの真紅の瞳が、わずかに細められる。
「親の顔が見てみたいものね……って、親は前の王だったわね。」
「……で?」
鼻がぶつかるギリギリまで顔を近づける。
刹那、赤い瞳がアーノルドの青い瞳を捉えた。
「この国、くれるの?くれないの?どっち?」
吸い込まれそうなほどの赤い瞳。
誰一人として、アーノルドを助けようとするものはいなかった。
アーノルドの逃げ道は既にない。
アーノルドは一度目を閉じると、大きく息を吸った。
そして――
「わかった……」
小さい声で一言。
エヴァンジェリンに聞こえる声の大きさでつぶやいた。
はずだった……
「……えっと……今何か仰いました?私には何も聞こえなかったんですが……」
わざとらしく聞き返すと、アーノルドは眉間に皺を寄せながら、もう一度――
「……わかった」
と発する。
しかし、その声はエヴァンジェリンにしか聞こえていないのか、周囲の人たちは首を傾げるのみ。
(父上は、エヴァにしか聞こえないようにして後で全て嘘だとでも言うつもりだろうが……)
ジークハルトはエヴァンジェリンに視線を向けると小さくため息を吐いた。
「えっ……?」
今度は声を拾いやすいように耳を手で囲う。
「わかった……」
「えっ……」
(エヴァにはお見通しだろうな……)
二人の何度目か分からないやり取り。
先に痺れを切らしたのはアーノルドだった。
「だから、“わかった”と言ったんだ!!」
アーノルドの声が、場内中に響き渡る。
それはすなわち、王位をエヴァンジェリンに譲ると同義だった。
エヴァンジェリンは勝ち誇った笑みで、アーノルドを見つめる。
「そうですか。では、今日から私がこの国の王ということになりますね。」
そう言うや否や、アウレリウスとレオニダスが動き出し、アーノルドを玉座から引きずり下ろした。
そして、玉座の手すりをポンポンッと叩く。
「と、言っても……私は王になる気なんてさらさらないんですけどねぇ……」
「「「「えっ?」」」」
エヴァンジェリンの軽い発言に、その場にいた全員が聞き返した。
だが、エヴァンジェリンはその言葉に興味が無いのか、ルドリオスの方へ視線を向ける。
「お父様、なります?王。」
すると――
「いや、興味もない。」
即答だった。
エヴァンジェリンが連れてきていたエスペリア公爵やヴァリオン辺境伯も同じように首を横に振る。
「じゃ、やっぱりあなたしかないわね。ジーク。」
エヴァンジェリンが最後に見たのは、この国の第二王子。
ジークハルト・シダー・セレニアだった。
「……えっ、僕!?」
「あなた以外誰がいるって言うのよ。」
「いや、でも……僕はアーノルドの息子だぞ?」
アーノルドがこの国の王を降ろされた今、通常であれば、王子も王族ではなくなる。
「だから、何?別に血なんて関係ないじゃない。」
たった一言。
エヴァンジェリンが発するからか、やけに軽く感じる。
「そもそも、血が関係あったんだったら、あなたも女好きのクズになっていたはずでしょ?でもあなたはそんなこと無かった。王宮を追い出されてもやさぐれることなく、真っ直ぐ世界を見てきたという証拠じゃない?」
「しかし……」
「あなたなら、この国をまとめられる。」
「私たちもあなたのことを支える。たから王になりなさい。」
ジークハルトが視線を下に下ろして俯く。
誰一人として言葉を発しようとはしない。
広間に静寂が落ちた。
それからしばらくして――
ジークハルトがゆっくりと顔を上げる。
「わかった。」
その瞳には、もう迷いはなかった。
ジークハルトは小さく息を吐くと
「僕……いや、俺がやる。」
一歩前へ出る。
玉座を見据え、はっきりと言った。
その言葉はジークハルトの決意の表れでもあった。
「俺が、この国を立て直す。」
ジークハルトの赤い瞳が、きらりと光を宿す。
その瞬間、広間の空気が変わり、パチパチと拍手が響き渡った。
もうそこにいるのは、第二王子ではない。
その背中は、玉座にふさわしい重みを帯びていた。
――新たな王の誕生だった。




