甲冑の下。
「ユリウス……」
エヴァンジェリンとエスペリア領まで行った翌日――
ユリウスとルカリオスはシルヴァリア公爵邸に戻ってきていた。
「……なんだ?」
王宮の方ばかり見て手が止まっているユリウスに声をかける。
(心配なのは分かるが……)
「手を動かしてくれないか?じゃないと……」
ルカリオスはエヴァンジェリンが帰ってきた時のことを想像すると、ため息を吐く。
「怒られるぞ……」
「わかっている。だが……」
自分の手元に視線を向けた。
(国王も容赦がないからな……エヴァが負けるとは思えないが…)
ルカリオスは歯切れの悪い言葉ばかりを並べるユリウスの肩をトンッと叩く。
「「だが……」じゃない。お前も知ってるだろ?あいつが負けると思うか?」
諭すように声をかければ、首を横に振るう。
(わかってはいるんだな……)
「だろ?それよりも……あいつのことだ。記念祭の進んでいた方が喜ぶと思うぞ?怒る顔をより、喜ぶ顔が見たいだろ?」
「……そうだな……」
ぎりぎり聞こえるくらいの声でつぶやくと、書類へと視線を移した。
ルカリオスはそれを見届けると、目の前にある決算書類へと視線を移す。
「エスペリアか……」
そこには、シルヴァリア公爵領からエスペリア公爵領までの移動費について記載されていた。
その時――
ふと、あの時のことを思い出した。
(そういえば兄上……見かけなかったな……)
今までエヴァンジェリンがエスペリア公爵領に行く時は必ず現地まで来ていたアウレリウス。
しかし、エヴァンジェリンが国王から呼ばれていると言っても一切顔を出さなかった。
(……そういう事か……)
ルカリオスは王都のある方角へ視線を向ける。
そして、ゆっくりと拳を握り締めた。
「……兄上。頼みましたよ。」
その一言は風に乗って王都へと消えていった。
***
その頃、王宮では――
「ジークハルト。貴様か……」
「何の話でしょうか?」
アーノルドはギリギリと奥歯を噛み締めると、ジークハルトを睨みつけた。
目の前で感動の再会をしている者たちも、アーノルドの声に静まり返る。
それどころか、少女たちはアーノルドの声に反応して、肩をビクリと揺らした。
「お前が、私の飼い猫を出したのか……と聞いている。」
ピクリ――
その言葉にいち早く反応したのはエヴァンジェリンだった。
「飼い猫……?ですか……。」
今までに無いくらいの低い声。
笑っているように見えて笑っていない瞳。
誰が見ても一目瞭然だった。
「奴隷の次は、飼い猫……?」
ゆっくりと繰り返す。
「あなた……本当に、救いようがないわね。」
真紅の瞳が、まっすぐ王を射抜く。
その瞬間――
アーノルドの動きが、ぴたりと止まった。
怒鳴ることも、笑うことも、
弁明することもできない。
ただ、その場に立ち尽くした。
「この阿呆な国王に折角だから何が起きたのか説明しましょう。」
エヴァンジェリンの言葉と同時に後ろに控えていた兵士がゆっくり前に出てくる。
パッと見は王宮勤めの衛兵。
しかし、王宮勤めの衛兵には一つだけ欠点があった。
それは……
『男の顔など見たくない。衛兵は全員顔を隠せ。場内で顔を出すこと、声を出すことは許さん。』
アーノルドが国王に即位した時の一言。
衛兵たちが前に並ぶ。
「な、なんだ……お前たちが前に出てくることは許可していないぞ!」
アーノルドの言葉に衛兵の動きが止まる。
場内を重い空気が襲った。
「お久しぶりですね。アーノルド・ルート・セレニア国王陛下」
くぐもった声がヘルメットの下から響くと同時に、
ゆっくりとヘルメットに手をかけた。
カシャン。
一人、また一人。
顔が現れるたび、広間がざわめいた。
そして、全員のヘルメットが外れた瞬間、王の瞳が見開かれる。
「お、お前たち……なぜここに……」
現れたのは――
アウレリウス。
カーリウス。
クラウディウス。
レオニダス。
三領地の名が、玉座の間に揃った。
ルドリオスとエヴァリーヌが左右に並ぶ。
その間に、わずかな空間が生まれた。
――そこへ。
ゆっくりと、一歩。
エヴァンジェリンが歩み出る。
足音は、驚くほど静かだった。
ひらり――
揺れるドレスが、まるで王冠の光を纏うように煌めいた。
玉座の間の空気を、完全に塗り替えた。
三領地の視線が、中央へと集まる。
その瞬間。
玉座に座る王よりも、そこに立つ一人の令嬢の方が遥かに“王”に相応しい。
バサリ――
扇子を開くと、微笑みながら少し首を傾げる。
「ふふっ……まだ気づきませんか?あなたは初めから私の手の平の上だったんですよ。」
エヴァンジェリンの言葉にカーリウスが続く。
「あなたが、全員“顔を隠せ”と命じてくださっていたお陰で、忍び込むのは容易でした。」
カーリウスが淡々と続ける。
「王宮の見取り図は……あなたのもとを追い出された者たちが教えてくれました。」
「彼らは皆、かつて“忠臣”でしたから。ああ、でもあなたからしたら“所有物”でしかないのですかな。ハッハッハ……」
その一言で、空気が変わる。
――忠臣。
その言葉が、何より重い。
「裏道も、隠し通路も、あなたより詳しかった。」
カーリウスはわずかに微笑む。
「私はあなたに何度もお伝えしましたね。王は民を大切にしなくてはならないと……」
アーノルドが即位する前、カーリウスはアーノルドの側近の一人として王宮に勤めていた。
それが、先代の国王からの願いでもあったからだ。
「しかし、あなたは聞く耳を持たなかった。それどころか、私を王宮から遠ざけた。」
「でも、よかったですよ。そのお陰で、私はシルヴァリア公爵と手を組むことができたんですから。」
その言葉に嘘偽りはない。
「先代は、あなたを国王にするのは反対されていました。ですが……息子が1人しかいないため、仕方ないと……嘆いておられたんですよ」
「そ、そんなはずはない……」
かすれた声が、広間に落ちる。
カーリウスは首を振った。
「先代は、あなたを王にするために最後まで悩まれていた。一人息子で甘やかしすぎたと……」
カーリウスの声は淡々としている。
「王とは、守る者であれと。奪う者であってはならぬと――」
二人の間に静寂が落ちる。
誰一人として邪魔しようとはしない。
「あなたは、その言葉を一度でも胸に刻みましたか?」
アーノルドの喉が、ごくりと鳴る。
だが、言葉は出なかった。
「先代は、最期まで迷っておられました。」
「王位を継がせるべきか――それとも、国を守れる者を探すべきか、もしくは……シルヴァリア公爵家に王位を戻すべきか……と。」
その言葉に、広間の空気がわずかに震えた。
「それでもあなたを選んだのは……一縷の望みをかけたからです。」
アーノルドは、言葉を発する気力がないのか、肩を落とし赤い絨毯に視線を向けた。
その赤は、まるで王家の血の色のように――
彼の足元で、静かに広がっていた。




