公爵令嬢の微笑み。
「ヴィオラ。急に呼び出してごめんね。」
「いえ、お嬢様からの呼び出しなら喜んで参りますよ。」
「そう言ってくれると助かるわ。今日はとことん綺麗にしてちょうだい。」
王宮近くの高級宿屋――
エヴァンジェリンを含む、シルヴァリア一家は王宮に向かうために準備を進めていた。
「お任せ下さい。お嬢様、元の素材はいいですからね。きっと綺麗になりますよ。」
「元は余計よ。元は……」
エヴァンジェリンの横にはシルヴァリアの特産でもある高級シルク、“ルナボムビクス”を使った、マーメイドドレスが掛かっている。
「ふふっ…本当に変わりませんね。」
「あら?変わってて欲しかった?」
「いえ、お嬢様はそちらの方がお似合いです。」
久しぶりの二人きりの時間。
ヴィオラがルピナスト伯爵領を継いでから、二人の関係は侍女と雇い主から、伯爵と公爵令嬢に変わっていた。
二人の間に自然と笑みがこぼれる。
他愛のない話をしながら準備を進めていくと、ヴィオラの動きがピタリと止まった。
「お嬢様は……怖くないんですか?」
ヴィオラは目尻を下げて、心配そうな顔でエヴァンジェリンをみた。
鏡越しに写るエヴァンジェリンは、瓶底眼鏡をしておらず、いつもとは別人とも言えるほど整った顔をしている。
エヴァンジェリンは肩に置かれた手の上に自分の手を重ねると、安心させるようににこりと微笑んだ。
「ん~……怖くないって言ったら嘘になるかしら……」
怖いもの知らずのエヴァンジェリンから、初めて聞く“怖い”という言葉。
その言葉にヴィオラはごくりと息を呑んだ。
二人の間に重い空気が流れる。
しかし――
その空気をぶち壊すように、エヴァンジェリンは明るい声で言い放った。
「でもね、怖いよりも、楽しみな気持ちが勝ってるのよね~。」
「……へっ!?た、楽しみ……ですか?」
まさかの言葉に、ヴィオラは目を見開いた。
「うん!!ユリウスの父親に会うの初めてなのよね。」
「父親って……国王陛下ですよ?」
ヴィオラのツッコミに、エヴァンジェリンは首を傾げる。
「えっ?国王陛下でも、父親であることは変わりはないじゃない。どんな躾をしたら、あんなに兄弟で違うのか……ずっと気になってたのよね~」
(気になってたって……そこじゃないでしょ)
ヴィオラはエヴァンジェリンから視線をずらすことなく、心の中で毒づいた。
しかし、そんなことを知らないエヴァンジェリンはそのまま話を続ける。
「それに……息子のことをどういう気持ちでみているのか。ただの駒としかみていないのか……その辺も知っておきたいじゃない?」
赤い瞳が、鏡の中でゆっくり細まる。
「それ次第で……国王陛下への今後の対応も大きく変わってくるんだから」
そこで一旦区切ると、真っ赤な唇が弧を描く。
「……まぁ、駒扱いするような父親なら、遠慮はいらないでしょうけど……」
ぞわり、と。
ヴィオラの背筋を、冷たいものが走る。
その笑みは、獲物を見定めた狩人のようだった。
***
「アーノルド国王陛下、シルヴァリア公爵家がこちらに向かっているようです。」
エヴァンジェリンたちがエスペリア公爵領を出て数日――
王宮で自由に動くことができる唯一の王子、ジークハルトは王が住まう部屋に足を運んでいた。
甘ったるい匂いと、女たちの嬌声。
その中に、一人だけ冷たい空気が混じる。
ジークハルトは、表情一つ変えずに扉を開いた。
(何度来ても慣れないな)
ジークハルトは王の前で跪くと、目の前の光景が見えないように頭を垂れた。
「ジーク、頭を上げよ。」
「恐れながら……私はこのままで結構です。」
「なんだ。私の言うことが聞けぬというのか?」
アーノルドは跪いたまま、決して視線を上げようとはしないジークハルトに近付くと、顎を持ち上げて無理矢理視線を上げる。
「クックック……頭をあげられるではないか」
「陛下のご命令とあらば、いくらでも……」
「なんだ。つまらんな……」
感情を悟られないよう、奥歯を噛み締めて無表情を貫けば、それが面白くなかったのか、アーノルドはジークハルトから離れていく。
そして、近くにあったソファに腰をかけた。
「それで?シルヴァリア公爵家が向かっているという話だったか。」
「はい……。密偵の話では、早ければ二、三日中に着くのではないかということでした。」
「ほぉ~……」
アーノルドはジークハルトの報告に僅かに口角をあげると、右手で目元を覆った。
「ククッ……」
「クックック……」
「クハハハハ……」
小さい笑い声が、段々と大きくなる。
「ついに……ついにか……!!」
目を覆っていた手の隙間から、濁った光が滲む。
喉の奥から漏れ出した笑いは、次第に歯止めを失っていった。
「これで……これで……シルヴァリア公爵家を奈落へと突き落とすことができるぞ……ククッ……」
それからしばらくして――
満足したのか、顔からゆっくりと手をどける。
そして、先ほどまでの笑い声が嘘のように、凍てつくような無表情へと切り替わった。
「あぁ~……正統を名乗るあの男の誇りが砕ける音を、早く聞きたいものだ。」
その狂気を、ジークハルトはただ無言で受け止める。
(本当に……エヴァに任せて大丈夫なのか……)
奥歯を噛み締めながら、エヴァンジェリンがいる方へ目を向けた。
その頃、エヴァンジェリンは――
馬車の中で、壁に寄りかかりながら、すやすやと眠っていた。
「ぷっはぁぁ~生き返るぅぅ~やっぱりビールはキンキンに冷えていないと美味しくないわねぇ~!」
王が奈落を思い描いていることなど露も知らず、本人はただ、ぐっすりと夢の中だった。




