微笑みの裏側。
「た、助けて……お父様。」
「帰りたい……」
王宮の奥深く――
国王と宰相しか立ち入ることの許されない区域。
重い扉の向こうには、昼も夜も分からぬ閉ざされた空間が広がっていた。
年若い娘たちは薄い寝間着に身を包み、互いに肩を寄せ合って震えている。
泣き疲れたのか、声はかすれていた。
壁際には窓も無く、数本の蝋燭の灯だけがゆらゆらと揺れている。
コツン、コツン……
規則正しい足音が、扉の向こうから近づいてきた。
「き、来たわ……」
「今日は……誰が呼ばれるの……?」
ガチャン。
鍵の回る音が、やけに大きく響いた。
「絶対いや……」
誰かの震える声。
ギィィィ……
重い扉が、ゆっくりと開く。
それが何を意味するのか、ここにいる全員が知っていた。
「さぁ……今日は誰にしようか。」
低く、楽しむような声。
「私の可愛い子猫たち。」
「……ヒッ」
息を呑む音が重なった。
男の影が揺れる。
「た、た、助けて。もう嫌。」
次の瞬間、ひとりの娘の悲鳴が短く途切れた。
「……家族の顔を、思い出せ。」
甘く囁くような声。
「お前たちが従わなければ、どうなるか……分かっているだろう?」
その場にいた全員が固まった。
「ふっ……今日はそこからそこまでの子猫ちゃんを連れていこうかな。久しぶりに散歩でもしようか?」
ジャラリ
冷たい金属音が、静まり返った室内に落ちる。
必死に涙をしまい込む。
泣けば、家族が死ぬからだ。
重い扉が閉まる音だけが、最後に響いた。
***
「ルカ、王宮の見取り図はどうなっているかわかる?」
「この間見に行った時は、ほとんど出来上がっていたから、今日明日には出来ると思うぞ。」
「そう……ならいいんだけど」
ユリウスに任せて数日――
エヴァンジェリン達は新たに移住してきた領民たちに挨拶をすると、それぞれを各地に散らせた。
元王宮騎士団長や、元王宮騎士団所属だった人達はノールヴァリアに。
元財務官や元法務官には交易を担ってもらうためにマーレヴァリアに。
技能士などはそれぞれグレンヴァリア、フェールヴァリアに。
「しかし……バラバラにする意味はあるのか?」
この数日間、ルカリオスはエヴァンジェリンに振り回されていた。
同じ場所に仮設住宅を作るのと、領地それぞれに仮設住宅を作るのには訳が違うからだ。
あっちこっちに飛び回って何とか仮設住宅を作って帰ってくれば、また別の指示が飛んでくる。
ルカリオスは額を押さえた。
(ユリウスだってこんな無茶は言わなかったぞ……)
「せめて一ヶ所にまとめれば管理もしやすいだろう?」
もっともらしい意見を言えば、
「それだけは絶対ダメ。」
エヴァンジェリンは即答した。
「彼らは“難民”じゃないの。優秀な“人材”なのよ。それに……」
「優秀な人材を固めると目立つの。目立つということはそれだけ見つかりやすくなるってこと。」
ルカリオスは自分たちがここに来た時のことを思い出した。
現在、ルカリオス以外の側近たちはユリウスの近くにいない。
「もしかして……」
エヴァンジェリンはルカリオスの言葉にうなずいた。
そのうなずきが、肯定しているとでも言うように……
「確かにシルヴァリアはセレニア国に属していながらも独立していると言われているわ。でも、それは王族たちが我が領地のことを見下しているからに他ならないのよ。」
「王族以外はそうは思っていないみたいだけどね。」
エヴァンジェリンは小さく笑った。
「それに、国を出る時には必ず名前を書かなければならないでしょ?」
「そうだな」
「百人近い官僚達の名前がどこにも書かれていない。と、なれば……」
ルカリオスは目を細めた。
「シルヴァリア公爵領が匿っているということか」
「思う、じゃないわね。確信よ。」
エヴァンジェリンはさらりと言い切った。
赤い瞳がキラリと光る。
(慣れてきたが……こういうときのエヴァは怖いな。)
「百人近い官僚や騎士が一斉に消えるのよ? 偶然で片付けるほど王宮は甘くないわ。」
「だから散らしたのか……」
「えぇ。」
エヴァンジェリンは机に広げられた地図を指で叩いた。
「一ヶ所に集めれば“王都の残党”。でも各地に溶け込ませれば――ただの“シルヴァリアの人材”でしょ?」
首を傾げる姿は少しばかり可愛らしい。
だが、その瞳は笑っていない。
「王宮は“百人が消えた”と思うでしょうね。」
指先で地図をなぞる。
「気づいた時には、もう遅い。」
ふ、と小さく笑う。
「最後に笑うのがどちらか――楽しみね?」
掛けている眼鏡を指先で持ち上げると、レンズが冷たい光を反射した。
その時――
コンコン
「俺だ。見取り図が完成した。」
「「ユリウス」」
エヴァンジェリンとルカリオスの声が重なった。
「待ってたわ!」
ユリウスが扉を開けると同時に、エヴァンジェリンはユリウスが持っていた見取り図を取り上げた。
「あっ、おい……お前なぁ...…」
少しは褒めてくれるかもと思ったユリウスだったが、エヴァンジェリンがそんなことをする訳もなく、机の上に見取り図を広げる。
「ったく……」
ユリウスは小さく息を吐くと、エヴァンジェリンの横に座った。
「あら……他の席が空いているのに、なんで隣に座るの?」
「ふん……別にどこに座ったっていいだろ?」
エヴァンジェリンは首を傾げると、見取り図に視線をずらした。
そんな二人のやり取りを見ていたルカリオスは笑いを堪えながら、エヴァンジェリンの前に腰を下ろした。
「じゃ、作戦会議始めましょうか!!」
エヴァンジェリンは見取り図の中央を指で叩いた。
「目標は――王宮最奥。」
赤い瞳が、静かに細められた。
「檻の鍵は壊す。でも、王宮は壊さない。」
ユリウスが小さく眉を上げた。
「父上は?」
「今はまだ触らないわ。」
エヴァンジェリンは首を横に振るとさらりと言い切った。
「王にはお似合いの場所を用意する予定よ。」
ルカリオスが低く息を吐く。
「……記念祭か」
エヴァンジェリンはにやりと笑った。
「えぇ。舞台は整えてあげなくちゃね?」
地図の上をなぞる指先が止まる。
「今回は――救出……そのために……ふふ……私が潜入するわ!」
見取り図からゆっくりと視線を上げる。
「「は?」」
ユリウスとルカリオスの声が重なった。
「それじゃ、王宮侵入作戦、開始よ。」
無茶だ。
そう言うべきなのに。
その場にいた二人はなぜか止める気になれなかった。




