第45話:【冷えた夜は、胸へと手を当てる】
「はぁ~……。また逃げてしまいました……」
晴れた街中で、サレンはため息を溢す。
「マコトくん……、絶対に傷ついてましたよね……」
ここ数日、変に意識してしまい、マコトを遠ざけてしまう。
本音では一緒にいたいのに、胸の鼓動に耐えられず突き放してしまっていた。
「もぅ! お母さんが余計なこというから! ……か、考えないようにしてるのに。……つい、考えちゃう……っっ!!」
赤くなった頬に両手を当てるサレンは、呻き声を漏らす。
それはマコトと出会い、村を発つ直前のこと。
母カラルから耳打ちされた内容を思い出したからだった。
『いい、サレン。男の人を夢中にさせるには、──寝処にそっと入り込むのが一番よっ!』
『っ!? ちょっ、ちょっとお母さん!?』
『アナタだってそれなりの歳なんだから知っておきなさい。きっと役に立つからぁ~』
温厚な顔をしておきながら、その中身は肉食獣。
母の意外な一面を知ったサレンは、ドン引いていた。
「いやいやいや……! サ、サレンにはまだ早いですからっ!」
誰に聞かせるでもなく、サレンは否定を繰り返す。
ただ頭を過ぎるのは豪邸での一幕。
皆が寝静まった初夜の出来事。
足音一つ鳴らさず自室を抜け出し、少年の部屋の前に立ち、扉把手へと手を掛ける。
ハッと我に返り、すぐさま引き返そうとしたときには、もう手遅れだった。
「うわぁぁぁぁぁぁあああああああ~~~~~~っっっ!?」
鮮明に思い出した己の愚行に、周りも気にせずサレンはその場で声を荒げた。
(あの時のサレンは、どうかしてました……!)
自室に戻ろうと振り返った矢先、扉が開く音がした。
そこに立っていたのは当然、マコトだ。
『はっ……、ははっ……!?』
『う~ん……? サレン……?』
『~~~~~~~っっっ!?』
サレンの内心が、大荒れであったのは想像に難くない。
以降、いつ初夜の出来事を問い詰められるのかと、サレンはマコトを突き放しようになってしまったのだった。
(な、なにをしようとしてたかなんて……、とても言えない!!)
寝顔を見つめる?
頬を突いてみたり?
思い切って添い寝なんかもいいかもしれない。
その先は──
「──ダメダメダメです!? 絶対ダメですっっっ!?」
頬に両手を当てるサレンは、思考を止めようと自分に言い聞かす。
その弾けた声が周囲に聞こえていると知らないサレンは、当然の如く己の背に近づく者にも気づかなかった。
「サレン!」
「えっ?」
頭が真っ白になっていたサレンは、突然名前を呼ばれて振り返った。
その先に誰がいるかなんて、一考する暇もなく。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
「……っ」
獣人の店員が運んできた呑器からは、甘く香ばしい匂いが立ち上る。
周囲を伺えば観葉植物が飾られ、接卓では店主らしき人が飲み物を作っていた。
「これが喫茶店という所なのですね。初めて来ました」
「僕も。前々から気になってたから来れて良かったよ」
食台に置かれた呑器を持ち上げ、どこか慣れた手付きで口を付けるマコトをまじまじと見つめながら、サレンも真似るようにして口に運んだ。
「あぁ……、おいしい~」
「だね」
鼻を抜ける香ばしさと、口に広がる甘さ。
目を丸くして感嘆の息を漏らせば、マコトも頬を緩くする。
緩慢な時間が流れる店内で、美味しい物を飲む。
その癒し効果は絶大のようで、緊張しっぱなしだったサレンの肩からは力が抜けた。
「マ、マコトくん……。お買い物に行くんじゃなかったんですか?」
「まぁまぁ。時間もまだあることだし、少しはね」
「は、はぁ……」
ばったり出くわしたマコトから、一度は逃走を図った。
けれど周囲には人垣が形成されて逃げ道はなく、こうして食台へと着くことになったのだった。
「あの、今日はどうしてここに……?」
「あぁ……、うん……。僕達って出会ってから今まで忙しかったでしょ? いい息抜きになったらなって思ってさ」
「な、なるほど……」
一頻り堪能し、おずおずと尋ねたサレンに、マコトは苦笑を浮かべた。
「まぁ、まぁ~……、それだけではないんだけどさ……」と、どこか歯切りを悪くしながら。
(マコトくん、なんか変だな……? こんな場所で、……あ、初夜ことを聞いてくるとは思えないけど……)
気が気でないサレンとしては、今の状況は息抜きとは程遠い。
もちろんマコトの気遣いは嬉しいし、楽しんでいないと言えば嘘になる。
だがそれならなぜ微妙な顔をするのかと、サレンは猜疑的な目でマコトを見つめた。
「大変なことばっかりだったけど、こういうお店に来れるようになったのはありがたいよね」
「え?」
「いや、情けない話……、ちょっと前までは無一文だったからさ……」
「あぁ……。それどころか、初めて会ったマコトくんは体中怪我だらけでしたよ。初対面の人とは上手く話せないのに、そんなこと言っていられない状況だったのをよく覚えています」
こうして嗜好店に入れたのは、先日の神命を達成したおかげだ。
ディスター協会への報告を済ませると、サレンたちは報酬を得た。
貰い過ぎでは!? と感じるほどの額で、マコトが必死に断ろうとしたのも印象的だった。
「僕達、本当にセイバートゥースになったんだね」
「そうですね。まだ夢を見ている気分です……」
溶けるように項垂れるサレンは、神命の日の夜を思い出す。
「自分が大型魔獣と戦ったなんて信じられません……」
食台に突っ伏したまま、サレンは混乱と戸惑いを吐露した。
初めて目にした大型魔獣。
世界の脅威と遭遇した体験。
時間にすればほんの一瞬だったのかもしれない。
けれど体にへばりついた大型魔獣への恐怖は、誘魔臭の匂いのようには取れてくれなかった。
そのせいか、一人で寝る夜が怖かった。
(だからってマコトくんの寝具に入っていいことにはならないから! そこはやりすぎだから!!)
感傷心だったとはいえ、やっていいことの限度を越えていたと反省している。
「……ぅ」
魔獣の恐怖で一瞬忘れていたが、今の悩みの種は初夜のやらかし。
途端に羞恥を込み上げるサレンは、耳を赤くした。
「あの時のことも含めて本当にありがとうね、サレン」
「え?」
「捕まった僕とニアを救い出して、魔獣たちから守ってくれたでしょ? だから、ありがとう」
「…………っ、はぁっ!? そ、そ、そんなことはっ!?」
「いやいや、大いにあるでしょ? 始めにサレンが見つけてくれたから、アカリたちも僕達に気づくことが出来たんだから」
「あれはたまたまで……っ。直感だけで動いたら上手くいったというか……」
顔を赤くしていたサレンは、もじもじと言葉を詰まらせる。
「僕とサレンって似てるよね」
「……そう、ですか?」
「うん。謙遜しすぎちゃうっていうか、なぜか否定しちゃう感じ。僕もよくやっちゃうから」
自覚のないサレンは、マコトの言葉に首を傾げた。
「知ってほしくてさ。こうして元気でいられるのは、サレンがいてくれたおかげなんだって」
「……」
「サレンは、立派なセイバートゥースなんだってことを」
「……マコトくん」
最高の褒め言葉だろうけど、おべっかが過ぎる。
まるで自分の言葉を疑っていないマコトに、サレンはちょっぴり呆れながらも微笑んだ。
(でも……、マコトくんがそう感じているなら、……サレンは嬉しいです)
セイバートゥースとして、自分はまだまだ半人前。
そう自覚しているサレンは嬉しく思いつつ、鵜呑みにすることはできないと、自分を戒める。
ただ、マコトの言葉を嘘にはしたくはない。
(サレンももっともっと頑張りますから、これからもそばで見ていてくださいね、マコトくん!)
あれだけ避けていたというのに、気づかぬ内にサレンはマコトと視線を重ねる。
そして密かに決意を固めるのだった。
「でもさ! だからって甘えてばっかりじゃだめだと思うんだよね、僕も!」
「……へぇ?」
突然息巻いたマコトに、サレンは戸惑いながら呆けた声を漏らした。
「実を言うとさ、今日は他にも話したいことがあったんだよね」
「な、なんでしょうか……?」
「一緒に住むようになったし、諸々の話しなんかも──」
「──っ!?」
「だ、大丈夫っ!?」
「……だ、大丈夫、……です……っ!」
「そう? だったらいいけど……?」
覆頭を被って勢いよく下を向いたサレンに、マコトは困惑に染まる。
(こっ、ここに来てその話題ですか~~~っっっ!?)
家の話題が出した瞬間、覆頭の中のサレンは滝のように汗を流し始める。
まだ『家』という話が出ただけで、必ずしも初夜の話しをするとは決まっていない。
にも関わらず、サレンの心は黄色信号を出している。
あっと一歩踏み込まれたら、有無を言わさず逃げ出してしまうかも知れない。
「……っ」
一体『家』の何の話しをするのかと、耳だけを傾けるサレンは縮こまったまま微動だにしなかった。
「これからは『家事』を分担制にしようと思うんだけど……、どう思う?」
「『家事』……?」
「今ってサレンが何でもかんでもやってくれてたでしょ? ……結構負担を掛けてたなって、反省してたんだよ……」
「……ぁ」
店に入った時、マコトはどこか歯切りを悪くしていた。
そして今は、同じように苦笑するマコトに、サレンは腑に落ちた感覚を味わった。
「特に洗濯……とかさ? その~……女の子なら、男の人に見られたくないものとかいろいろあったんだよね? なのに、僕はなんでもかんでもやろうとしちゃったのは、本当に申し訳ないな~……、ってさ」
これまで自分がしてきた挙動不審を、マコトは男女隔絶な問題が原因だと勘違いをしているのだと、サレンは悟る。
マニはもっぱら、アカリもどちらかというとマコトに対して遠慮がない。
『ディスター』と『結び人』の信頼と言えば聞こえは良いが、共同生活をする中での男女間の配慮が欠けていたのだ。
「あの……、これからの話しっていうのは、つまり……?」
「共同生活の決まりについてってとこかな……? お互い気を使わないで生活するためにも、気になることがあったら言ってほしいんだ」
「は、はぁ~~……っ。やっぱり、そういうことですか……」
「えっ?」
「い、いえっ!! こっちの話なので気にしないでください……!」
「ん? うん……。……わかった」
パタパタと手を仰ぐサレンに、マコトはとりあえずの頷きを繰り返した。
(もしかすると、マコトくんはあの初夜のことを覚えていない……?)
マコトだって寝ぼけていただろうし、その後に何事もなく眠ったのなら忘れている可能性は高い。
そうなれば、サレンのしてきた挙動不審に対してマコトが勘違いをするのだって理屈が通る。
(マコトくん、本当にごめんなさい! 本当のことは言えませんが、せめて……!)
マコトの勘違いを利用する小賢しさを憂いながら、サレンはギュッと目を瞑る。
「サレンも、すみませんでした……! マコトくんを避けてしまったこと……。けして悪気があったわけではないんです……! ただ、これからは気を付けます……」
「ううん、僕も本当に配慮が足りてなかったから。それでおあいこにしよ」
示し合わせたように、二人とも頭を下げる。
そんな偶然がどこか嬉しくて、気持ちが通い合っている気がして、サレンは自然と微笑んだ。
「でも……、『気を使わない生活』はいいかもしれませんね」
姿勢を整えながら向かい合い、口元に指を当てるサレンは頷きながら呟いた。
「この前は朝食のお手伝いを断ってしまったこともありますし、今晩はマコトくんにお願いしますね」
「うん。そう思ってルーヒットさんからまた料理を教えてもらってきたんだよ」
「準備がいいですね、マコトくん!」
おねだりをするように合わせた両手を顔の前に添えるサレンに、マコトは腕を振るうと力こぶを作る。
わだかまりはすっかり消え、湯気を漂わせる呑器に口を付ければ、数分前よりも美味しく感じる。
そんな些細な幸せを噛み締めていると、「ふふっ」と笑みが溢れた。
「どうかした?」
そう尋ねるマコトに、サレンは両手を口に添え、金の瞳を開く。
「マコトくんが結び人で、────サレンは幸せです!」
「っ!?」
口に含んだ甘みが喉を通り、胸の中でじんわりと広がる。
(この温もりがあれば、当分は淋しくなることはなさそうですね)
人肌に頼らずとも、冷えた夜を乗り切れる。
母の教えが役に立つのはまだまだ先になりそうだと、赤く染まった頬を隠すように再び呑器へと口を付けるのだった。
× × ×
店を後にし、買い出しを済ませた僕達は、揃って台所に立っていた。
「ごめんね、結局仕上げは任せることになっちゃって」
「大丈夫ですよ。ほとんどご飯は出来ていますし、作りたてが一番美味しいですから」
刻んだ食材は鍋に注がれ、様々な具材が煮込まれる。
ただ湯気が上がることはなく、ルーヒットさんから貰った調理法の最後を目前にして、僕は台所を後にしようとしていた。
「仕上げをするのは構わないのですが、これからどこに行くんですか?」
「マニさんの所にね」
「ん……? なら後少しすれば帰ってくるんじゃ……?」
「まぁ、そうなんだけど……」
眉をひそめるサレンに、僕は頬を掻きながら言葉を詰まらせる。
理由は単純。
きっと家ではサレンのように口を聞いてもらえないと思ったからだ。
ただこれを口にしてしまうと、サレンの傷口を抉ることになってしまう気がして、僕は苦笑するしかなかった。
そんな僕を案じてなのか、サレンは言いにくそうに「それに……」と俯いた。
「うん……、来るなって言われてるんだけどね……」
再三忠告されているのに、それを無視しようというのだからきっと怒られる。
……だけで済めばいいけど、暴力とかはどうか勘弁して欲しい所だ。
「それでも、話したいことがあるからね。行くよ!」
僕とマニさんは、『ディスター』と『結び人』だ。
強い繋がりと言えば【魔法】だけかもしれないけど、僕の代わりはいない。
だったら、利用するだけしてやる。
拳を握って眦を裂いた僕は、鼻を鳴らして息巻いた。
「では、しっかりと仲直りして帰ってきてくださいね!」
「別に喧嘩したわけではないんだけどね……?」
苦笑を浮かべながらも、サレンに背中を押された僕は夕暮れが迫る街へと繰り出すのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
サレンの意外な一面が垣間見える回になり、サレンというキャラをより好きになってもらえたら嬉しく思います!
次はマニの日常回になりますので、興味があればぜひ読んでみてください。
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