第39話:【嫌な音が聞こえる】
「!」
落下の衝撃。
散々苦しめられた脅威の墜落が、轟音となってマコトの耳朶に流れ込む。
「……ぁ、ぁぁ」
震源地へと目をやれば、緑の巨躯は横たわり、自慢の翼は萎れた花のように脱力している。
決定的なのは瞳。
誘魔臭に犯され狂乱に満ちた赤眼でも、理知を備えていた黄色い瞳でもない。
鋭い目つきはついに消え、間髪入れずに黒靄と化す。
翼から崩壊を始め、散り散りなる姿にマコトは全身の力を抜いた。
「はぁー……、終わった」
大の字で寝そべると、疲労と安堵が押し寄せた。
仰ぎ見る夜空では、アカリが手を振っている。
お構いなしに揺れるアカリを抱えるマニは、軽くため息を吐くが、すぐさま微笑みを浮かべ、マコトもつられて苦笑した。
「マコトぉ~! ありがとうだよぉ~!!」
「うわっ!?」
地上に降りるなり、アカリは倒れ込んだままのマコトへと飛来した。
大型犬さながらに尻尾を振り、グリグリと額を擦り付ける。
愛くるしさがじんわりと染み込み、暖かくなる感覚に酔いしれるマコトは、胸にのるアカリを一瞥し、懸念を口にする。
「アカリ、オーバーフローが……」
全身を包んでいた魔力光が一切消えている。
すなわち魔力切れ間近。
昏睡状態が近づいている危惧に、マコトは声を窄めた。
「ギリギリだったね。でも、大丈夫。魔核は閉じたからダウンタイムにはならないよ!」
「そう、なんだ……? 閉じるのは自分で出来るんだね……」
「うーん、感覚的なものだからなんと言ったら良いかぁ~。もう必要ないって思えば魔力が出てこなくなるんだよねぇ~」
「……な、なるほど」
顎に指を当て、小首を傾げるアカリは、ムムムッと難しい顔をする。
詳しく聞いたところで、役に立つことはない。
少なくともダウンタイムにならないなら今は良いと、マコトは安堵した。
「あらまぁー、お盛んなことで。悪いけどアタシの見えないところでしてくれない?」
「何もしませんが!?」
ゆったりと近づいて来たマニに、やるなら隅でやれと雑木林の方を指され、マコトは素っ頓狂な声を上げる。
「別におかしなことじゃねんじゃねぇーの? 結び人とディスターってのはそういう間柄のヤツが多いって聞くくらいだし」
「だから、何もしませんて……」
「あぁ、そう言えばアンタら新米セイバートゥースだっけ? でもさすがに手ぐらい繋いでイチャイチャするくらいしたんだろ? アンタ年頃なんだし」
「変な言いがかりはやめてくださいよぉおおおお!!」
淡々と繊細な部分を突くマニに、マコトはさらなる大音声を轟かす。
しかし、確かに俗ではよくある話であることをマコトも知っている。
ディスターと、結び人は特別な存在。
気恥ずかしいが、『運命の相手』と表現するのは的を射ている。
可視化された繋がり。
世界からの祝福。
よっぽどのことがなければ、ディスターと結び人は関係を続ける。
世の通説を思い出したマコトが顔を赤らめる中、「まぁ、アンタら別かもだけどさ?」と、早くも興味をなくしたマニは海の方へと目を向けた。
「ニアは……、無事だよな……」
「サレンが付いてますから、心配要らないと思いますけど……」
「そうそう! 匂いを辿れば合流も出来ると思うし!」
顔の溜まった熱を引きずるマコトがおずおずと答え、一抹の不安もなくアカリが告げようと、マニの気持ちは晴れなかった。
乾いた翼を広げれば、マニはいつだって飛び立てる。
追い付くのは無理でも、アカリの鼻を頼るよりは遥かに早く合流できる。
けれどそうしないのは、アカリとした約束を守るため。
ソワソワと揺れる翼に気づいたアカリは、マニに聞こえないようクスッと笑い声を吹かすのだった。
「行きたいなら、行っていいんだよ」
「はぁ?」
「妹さんが心配なんでしょ? だったら無理しなくていいよ」
「良いのかよ? アタシはそのまま逃げるかもしれねぇーぞ?」
「マニさんはそんなことしないよ。だって、私と約束したもん」
「……約束?」
アカリが口にした約束という言葉に、マコトは片眉を上げる。
それは浜辺からここに至るまでに行われた口約束。
『あの子にどうこうしようって言わないなら、…………アタシは大人しく捕まってやる』
しおらしく告げたマニの提案は、耳を疑いたくなるほどの衝撃があった。
その場では呆けてしまったアカリだったが、忘れることのなかった約束を今、口にしたのだった。
「あの時は逃げようが無かったからね。でも、今のアタシには翼がある」
「まぁね。でも、マニさんは必ず戻って来るよ」
「何を根拠に?」
「私が動けないのを分かってて、逃げようとしないこと……かな?」
「っ」
ただマコトにもたれていると思われたアカリは、其の実一歩も動けなかったのだった。
震える体。
止まらない汗。
ダウンタイムこそ逃れたが、【魔法】を酷使した反動はきっちりと体に刻まれ、笑顔を装うようになったアカリを、マニは見逃していなかった。
そしてアカリもまた、マニの守信の心に気づいていたのだ。
「バカだ、バカだとは思っていたけど、ここまで大バカだとはね……」
「うわぁ~、傷つくなぁ~」
「……嘘つけ」
「えへへ~。だってマニさん、本気で言ってないんだもん」
まるで堪えた様子のないアカリに、何を言っても無駄であるとマニは長嘆を溢した。
「なら遠慮なく。……それとアンタらに、一つ頼みがある」
「何ぃ~?」
「な、何でしょう……?」
改まったマニの佇まいに、顔を見合わせたマコトとアカリはすぐさま視線を戻す。
どんな頼み事をするつもりなのか。
マコトの瞳が怪訝に染まる。
今さら無理難題を突きつけてくるとは思えないが、身構えてしまう。
だがそんな心の準備は無意味であり、マニの言葉に、マコトは呼吸を止めるのだった。
「アンタらに、──ニアを任せたい」
「っ!」
「単純な話だ。アタシが捕まればニアは生きられない。けど協会の援助を受けるアンタらなら、ニアを抱えるくらいわけないだろ?」
「……っ」
「なんで協会の話?」っと、事情を知らないアカリの肩に、マコトはそっと手を置いた。
「派閥入りをしてない僕達が、どこまで協会の援助を受けられるかはわかりません。ましてや、高価な即効薬なんて……。それでもいいんですか?」
「構わねぇーよ。てか、そこまで頼むつもりはねぇ。……ただ、あんな廃れた場所で最後を迎えさせたくないだけだ」
クラウンドの方へと振り返るマニの背中は、哀愁が漂っていた。
『魔核欠乏症』を患う者は、最長でも20歳までの命。
15歳であるニアに残された時間は、すでに5年を切っている。
いつ最後を迎えても可怪しくない。
正しく妹の余命を測るマニは、準備を始めようとしていたのだった。
「何年牢に入るかわからねぇ。もしかしたら出られねぇかもな」
「それを分かったうえで……っ。どうしてニアと離れる道をっ!」
「……つくづくアンタは病気だね」
達観するマニに、マコトは納得がいかないと声を荒らげる。
一体、どの口で言っているのか。
すっかり立場を忘れているマコトに、マニはかすかに笑う。
けれどその笑みが、嬉しさと痛みが入り混じった表情であったことに、彼女自身は気づいていなかった。
「ちゃんと罪を償って、きれいになった身でニアと過ごすためさ」
そう言いながら見上げたマニは、星で埋め尽くされた夜空へ羨望を向ける。
「最後くらい、ニアの望む姿になってやりたい」
「……」
「今回の件、アンタらしっかり口添えしろよな? アタシのおかげだってなれば、情状酌量になるかも知れねぇーんだから」
「それは……、もちろんですよ」
ただ、それがどこまで意味を成すのかは分からない。
例え上手くいったとしても、ニアが生きているうちでなければ無意味。
ただ会うだけでは駄目。
罪を清算した上での再会が目的であるなら、何を言ってもマニの覚悟に泥を塗るだけ。
「綺麗になるってのは、骨が折れるな」、と気丈に振る舞うマニに、マコトは遣る瀬無さをいっぱいにした。
「なんだかよく分からないけど、マニさんが前向きに罪を償うって言うなら手伝うし、妹さんの面倒見るくらいわけないよ! ね、マコト?」
「……うん。そうだね」
「安請け合いしやがって。よくわからないなら簡単に言うなよ」
罪を償うというなら、もう止めない。
出来るのは、その選択が間違いでなかったと証明するだけ。
アカリとマニは軽口を叩き合い、マコトはニアの病状を食い止める術はないかと考える。
微笑み合う三人は、それぞれ未来に向けて前を見る。
『──────』
だから、上から迫る巨躯に気付かなかった。
「う、ぅっ!?」
「がぁっ!?」
「な、なに!?」
突風が吹いた。
視界はぐるりと転換する。
体の自由を奪われたマコトは、そのまま地面とぶつかった。
「いっ、たぁ……。……何なの?」
理由もわからない転倒で、腰に手を当てる。
けれど、次の瞬間にはバッと視線を上げた。
「オイ、コラ! 離しやがれっ!」
「うっ……! 抜けられない……っ!」
響く怒声は頭上から。
苦痛に藻掻く姿が夜空に上る。
「なん、で………っ!?」
強力な力に押さえられ、連れ去られる二人の姿に、唇を震わせた。
(なんで……、なんでなんでなんで!? …………倒したはずじゃっ!?)
あり得ない。
そんなはずがない。
いくら拒絶を吐き出そうとも、痙攣する肺は言うことを聞かない。
「──っ!」
瞠目したまま、マコトは視線を飛ばす。
僅かだが、まだ黒靄は散っている。
死の過程。
崩れていく『それ』は、再生したわけではない。
となれば、アカリたちを攫った正体とは。
「二体、目……っ」
『クワアアアアアアアアアアアアアッッッ!』
金切り声を上げる『ガルダ』に、マコトは戦慄させられた。
(二体いるなんて聞いてない……! なのに、どうしてっ!?)
ディスター協会で受けた説明に、マコトは話が違うと歯を軋ませる。
新人イビリ?
だとしたら、度が過ぎている。
決してカイロニたちが仕向けたものではない。
正真正銘の非常事態の到来で、マコトの頭は白く染まった。
「……ぁ、ぁぁ」
『ガルダ』が遠のく。
緑の巨躯が、一粒の星となる。
追いかけるなんて発想も起こらないほど、アカリたちは小さくなった。
攫ってどうしようというのか。
俯くマコトは、無力感に取り憑かれ、物言わぬ人形に成り果てる。
だが、マコトの懸念は一瞬で払拭された。
────『ガルダ』の急降下によって。
「まさかっ!?」
急転直下の超加速。
その既視感に、全身が鳥肌立つ。
マニに気絶させられた朝の記憶。
ただしアカリとマニに叩き込まれる痛みは、比にならないと悪寒が告げる。
『クワアアアアアアアアアアアアアッッッ!』
「っ!?」
そしてマコトに、止める術はなかった。
「──────────────────────────────ッッッッッ!!」
少女たちの叫びはない。
風に乗って聞こえるのは、水でも弾けたような音。
生々しく、不快な音だった。
「アカリ……、マニさん…………」
よれよれと立ち上がったマコトは、叩きつけられた二人を、震える瞳で見つめる。
『ガルダ』の足下で横たわる二人は、ピクリとも動かない。
その様子に『ガルダ』も愉悦しているのか、翼を広げて甲高い声を轟かす。
「……ぅ、ぅうっ!!」
マコトの全身が、沸騰した。
拳を握りしめ、奥歯をギリギリと鳴らす。
頬を伝う雫は血涙へと変わり、止めどなく溢れ出る。
「あ……、あぁ……っ! …………あぁぁぁぁああああああああああああっっ!」
抑えられない怒りで遠吠えを上げ、マコトは爆ぜた。
「──っ!」
近くに落ちていた白炎刀を引っ提げ、最高速度で『ガルダ』に切迫する。
獣となったマコトに、思考力はない。
あるのは蛮勇。
灯りの乏しい【煌炎】をただ振りかざし、破れかぶれの一撃を見舞う。
「はあぁぁぁぁあああああっっ!!」
放たれる最後の白炎斬。
だが、僅かに闇夜を照らしただけの純白の魔力光は、ガルダに届く前に散り散りとなって消えた。
『──』
何がしたかったのか。
何が出来るというのか。
無謀な特攻を仕掛ける人間など、『ガルダ』にとって虫けらでしかない。
歯牙にも掛けない『ガルダ』は羽ばたき一つで空へ舞い、無憾の様子でアカリたちの下から飛び立った。
「アカリ! マニさ…………、ん……っ!」
二人の下へと駆け寄ったマコトは、ピシャッと液体の跳ねる音に足を止めた。
「そんな……」
広がる血の池。
二人から溢れる血が混ざり合い、今も留まる気配がなかった。
「マコ、ト……、……マニさんが…………」
虚ろな瞳を開けたアカリは、マニの重症を訴える。
「……っ」
だが、視界のはっきりしているマコトの方が、遥かにその深刻さを悟っていた。
重なって倒れるアカリとマニ。
それは咄嗟の行動だったのだろう。
少しでも衝撃を和らげようと、マニはアカリを抱きしめたのだ。
下敷きとなったマニの手足は、あり得ない方向に曲がっている。
全身が赤に染まり、出血していない場所はない。
特に酷いのは、翼だ。
青空に溶けるほどの澄んだ浅葱色は、見る影もない。
アカリを守りつつ、己も助かるための僅かな希望。
地面との衝突寸前、マニは翼を緩衝材として広げ、犠牲にした。
その結果が、骨格の消え失せた翼の正体であると、マコトは推測する。
(……とにかく、まずはアカリから……)
目の前の惨情に立ち尽くしていたマコトは、膝が血の池に浸かるのも気にせず、アカリの手に噛み跡を付けた。
「……っ、ううっ」
急激な変化に、呻き声を漏らすアカリの体は、淡い魔力光を帯びる。
宿主の意思なく、魔力が傷口に集まり治癒を始める。
「マコト……、に、ぇ……、て……………………っ」
「……っ」
癒しきれずに、帯びていた魔力は消失した。
アカリに残った魔力が尽きれば、ダウンタイムに陥るのは必然的。
眠りに就く直前、アカリが残した言葉に首を振り、マコトは拒絶を選んだ。
「ごめん、できないよ……」
逃げるなら、3人一緒に決まっている。
だがすぐ真上では、『ガルダ』が旋回している。
襲ってくる気配がないのは、脅威を払い除けたからなのか。
それでも去ろうとしない『ガルダ』の思考は読めないが、二人を連れて逃げることが叶わないのは察しが付く。
(だけど……僕じゃ、アイツは倒せない…………)
アカリの魔力は底をついた。
白炎刀も使い切った。
道具も残っていない。
(この場で僕に出来ること……。可能性があることと言えば…………っ)
ずっと違和感があった。
獣人とヒューマン。
ディスターと結び人。
『運命の相手』についてだ。
転移してきたはずの自分に、どうしてこの世界の理が組み込まれていたのか。
それはある種、罪悪感でもあった。
少女の夢に寄り添う仲間は、他にいたのではないか。
幼女を外に連れ出す王子は、他にいたのではないか。
呼び名は違えど、それはきっと『運命の相手』だったはず。
そんな彼等に成り代わり、我が物顔で彼女たちの隣を歩く。
そんな罪悪感が、時折浮かんでは、そっと目を逸らしてきた。
(──けど、やめだっ!)
眦を裂いたマコトは、マニの手を引き寄せる。
痛がらない。
息をしているかも分からない。
そんな少女を救える者がいれば、『運命の相手』で間違いないだろう。
どこからともなく現れて、マニを救うというのなら、いくらでも引き下がろう。
だが、そいつは誰だ?
そんなヤツは現れなかった。
(僕だ! 僕だけが、その場にいたんだ!)
アカリの手を取ったのだって。
サレンの涙を拭ったのだって。
その場には、マコトしかいなかった。
「お願いです……。僕を受け入れてください…………!」
遠慮なんかするもんか。
可能性があるなら、やるだけだと。
血に染まったマニの手を、マコトはそっと噛みしめた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
『運命の人』と聞けば、誰しもただ一人の人を思い浮かべるでしょう。
この世界でも多くの人間がそうします。
そんな世の常識を打ち破ったマコトにしかできない選択と、今後の未来を、どうか見届けて貰えると嬉しいです。
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