116.不思議の国と暴風の熱狂《アリスvsルナ》
高度およそ1000フィートの上空。
アリスが契約している《フェニックス・星の残照》の全長は頭から尾羽まで十五メートル。
翼を広げれば横に十九メートル。
たったそれだけの不安定な足場で、アリスとルナは烈風を浴びながら剣を振った。
《フェニックス・星の残照》のスピードも体勢も一定ではないのに関わらずだ。
スピードに関しては、アリスが意図的に上昇させている。
ボディバランスと身軽さに利があるアリスは、猛攻の中でも一撃の隙を常に窺っていた。
対してルナはそれをわかっていながら、アリスと《フェニックス・星の残照》、その二つの体勢を崩そうとする。
「【迷い家】!」
「っ!」
【迷い家】の入り口を錐揉み飛行で避け、アリスは機体を旋回させた。
異界への扉を《フェニックス・星の残照》の進行方向に開くことで、機体ごとアリスを取り込もうとする。
【迷い家】は取り込んだ者のステータスを下げる効果を持つ。
アリスを自分の土壌に引きずり込むのは得策以上に当然の手段だ。
しかし入り口の構築には僅か数秒のラグがある。
アリスの反射神経ならば捉えられない時間ではない。
「【天風】!【異界の逆風】!」
「【クアドラプル――――――――ッ?!!」
「【風刃・乱刃】!」
剣が止まり攻撃が間に合わず、ルナの風の刃が直撃した。
「一瞬で剣から魔法に切り替えて…見事な判断です」
【シャドウリリース】。
影の刃が風を落とすも、幾つかは避けきれずダメージを負った。
足場の問題はあれど、アリスのスピードと高威力の魔法なら、ルナを倒すまでとは行かずとも機体から落とすことは容易。
だが、それをさせてもらえない。
アリスが決め手を欠いている現状を生んでいるのが、ルナの糸だ。
「すっごく戦いづらい…」
「こちらのセリフですアリス様…」
すんでのところでアリスは剣を身体を、機体に縫い留められ動きを封じられてきた。
【糸ノ世】。
絡新婦種の固有スキルに。
縫い留められるだけでも厄介だというのに、糸を攻撃にまで転用してくる。
一瞬で戦況を塗り替えるルナの空間支配力の前に、アリスは逆境を強いられた。
しかしより苦い顔をしているルナ。
(【糸ノ世】の効果は現れているはずなのに、私の攻撃は決定打にならない)
戦況を彩っているのはルナだが、逆を言えば【糸ノ世】という万能スキルを以てしてこの程度しか追い詰められていない。
(【天風】と【異界の逆風】でバフとデバフをかけた状態なのに、それでも尚アリス様は後出しで反応する…。つくづくお強い…。やはりアリス様を仕留めるには、小技だけでは無理…)
(ステータスは私の方が上なのに、全然攻めさせてもらえない…。戦い方が巧くなってる。ステータスはデバフをかけられてるけど、広範囲高威力の攻撃なら通用するはず…)
両者の考えは必然的に似通った。
一瞬の隙を作り必殺の一撃を食らわせる。
出来るか、やれるか。
アリスとルナは思考する。
二人が今一歩躊躇しているのはもちろん仲間意識が故ではない。
回復系スキルが働かず、回復にはアイテムを自ら調達しなければならないという制限。
そして敵が目の前の相手だけでないという見えない不安。
無闇なスキルの乱用が後のピンチを招くことなど容易く想像出来る。
普段のバトル以上にHP、MPの管理が重要視されると、戦いの中で思い知った。
それがなんだと二人は笑う。
「出し惜しみして!」
「勝てる相手ではありません!」
「モード、【風妖妃】!!」
「モード、【四聖王:白虎】!!」
空に分厚い雲がかかる。
【四聖王:白虎】の天候操作によって、蒼穹は一転して雷と竜巻が荒れ狂う天空の地獄と化した。
降り注ぐ災害の間を飛ぶ機体の上で一際甲高い音が成った。
「【ゴッドウィンド・アルフィリアス】!!」
「【神威の絶刀・嵐】!!」
速い一撃と重い一撃。
優劣は無い。
だが生じた結果として。
「っあ!!」
アリスが《フェニックス・星の残照》の背中から弾き飛ばされることとなった。
二人の攻撃の性質は、ほぼ同じと言って差し支えない。
アリスの【風妖妃】は元々ルナの風をベースに創られたスキルだからだ。
鋭さという点で同じでも、ルナの風は【炸裂】によって爆ぜる。
アリスが教え、ルナが鍛え続けてきた力。
(【炸裂】も【糸ノ世】も…全てあなたから授かったもの…。私の研鑽をとくとご覧になってください…!)
「アリス様!!」
「っ!」
「【白刀・綾神裁刃】!!」
アリスは咄嗟に《フェニックス・星の残照》に翼を羽ばたかせ、風でルナの体勢を崩すことに成功した。
白い剣閃がズレ、真下の草原に深い亀裂を刻む。
《フェニックス・星の残照》は《霊子核》の消費限界、並びに二人の戦闘の余波に晒され耐久にも限界が来ていた。
ここで無茶をさせれば破損しかねないと、次元を開き帰還させる。
足場を失い落下するアリスへ、ルナは刀身を鞘に収めたまま【天駆】を用いて距離を詰めた。
「【天覇翔抓】!!」
彼方まで届く必殺の居合を至近距離から放ち、アリスを地面に叩き落とす。
落下直前に【シャドウゲート】を展開したことで衝撃をゼロにし着地は叶ったが、腹部には真っ直ぐに赤い線が走っていた。
【風妖妃】が解除され風が収まる中、傷に指を這わせながら、アリスはなんだか嬉しそうにした。
「成長したね」
出会った頃は右も左もわからない初心者で。
それが見る見るうちに強くなり、今こうして自分に肉薄している。
ゲームに触れてまだ半年にも満たない驚異的な成長速度。
まだまだ荒削りだが、ことポテンシャルにおいては自分以上かもしれないと。
「全てアリス様のおかげです。強くなる喜びを知りました。強くなることでアリス様のお役に立てる…こんなに嬉しいことはありません。今はまだ拙く未熟…隣に並び立てて居るとは露ほども思いません。ですがこのバトルでアリス様に勝てたなら、きっとそれは私の自信になる。私は私を褒めてあげられる。そんな気がするのです」
「ルナちゃんが強いことはみんな知ってるよ。もちろん私も」
「面と向かって言われると照れますね。ありがとうございます。しかし強さとは得れば得るほど欲深くなるもののようで。私の中の獣の部分が叫ぶのです。アリス様に…勝ってみたいと」
自分の強さに絶えず自信があるか。
二人は同じく、いいえと答えるだろう。
謙虚な故に。
謙遜する故に。
アリスは謙虚ながら、謙遜しながら、それを無礼だと強い言葉を選んだ。
「百年早いよ!」
「承知の上ですとも!」
初速からトップスピードで。
アリスはルナの背後を取った。
「【グリムアリア】!!」
反応反射で、ルナはアリスに遠く及ばない。
しかしどれだけ速かろうと、【西風の眼】は空気の流れを読む。
その場にしゃがんで避けたが、髪先に僅かに剣が掠めた。
(完全に躱しきれないとは…!)
「【無窮の大樹】!!」
枝分かれする木々でアリスと距離を空けようと試みたもの、まるで当たり判定を無視しているように、少女には髪先にも攻撃が触れない。
「全て見てから反応を…!」
化け物という言葉は飲み込んだ。
言わずとも、すでにわかっているから。
「【桜槍吹雪】!!」
【翡翠魔法】の最上位呪文。
一枚一枚が槍の性質を持つ花弁の嵐は、どれだけ速かろうとも回避のしようがない。
更にそこへ【迷い家】の出入り口を組み合わせた多方面性を与える。
絶対不可避の桜の結界。
「すぅー……」
アリスは肺に空気を送り込むと、自らの世界に没頭した。
ルナが目撃したのは幻であった。
もとい、花弁の一枚一枚が斬り落とされるという幻かと見紛う程の圧倒的な現実であった。
「本当に…アリス様という方は…!」
隻眼にも関わらず花弁の動きを捉える動体視力、状況判断、剣捌き、極度の集中力…空を削り大地を抉る吹雪に、アリスはスキル無しに身一つで猛然と立ち向かう。
自分だけの世界に没入する少女の目に何が映っているのか、ルナは畏怖を覚えながら尊敬を強めた。
ああ、これでこそ彼女は私の愛しき王だと。
【不思議の国のアリス】には、それぞれの愛の形がある。
アリスの"博愛"。
ココアの"熱愛"。
シズクの"親愛"。
ナッツの"敬愛"。
サクラの"忠愛"。
そして、ルナの"慈愛"。
他を慈しむことが出来る彼女の優しさは、周りを和ませ心を穏やかにさせる。
だがそれはルナの一面でしかなく、年相応の執着も独占欲も在って然る。
それの何が可笑しいだろう。
アリスは天王寺美桜にとって、何物にも代え難い初恋だというのに。
(勝ってみたい…なんて分不相応…。あなたは手の届くことのない絶対にして唯一の偶像。お傍に仕えるだけで至上の喜び)
一歩退いて。
蓋をして。
愛想を振り撒いて。
(そんな嘘で…どうしてこの恋が本物だと言えるのですか…。目の前の愛しき人が、これほどまでに本気で掛かってきてくれるというのに)
勝ちたい。
勝って証明したい。
私が。
私こそが。
「あなたを!!一番――――――――!!!」
思っているのだと。
この気持ちだけは誰にも負けない。
誰にも譲らない。
少女は恋慕を燃え上がらせ、白い暴風に純黒のオーラを混じらせた。
勝つために力を欲し、そこに至るのに時間は掛からなかった。
力に力を掛け合わせ、より強大な力と成す。
「モード【四聖王:白虎】!!フォーム……【逢魔ヶ時】!!ダブルモード!!」
【覚醒】した者だけが辿り着ける、禍々しくも気高い神の領域。
「【黄泉津大神】!!!」
額から二本の赤黒い鬼の角を生やし、右半身には風王の虎の力を、左半身には異形の蜘蛛の力を宿した姿で、ルナはアリスの前に立ち阻かった。
「ダブルモード…!!」
異なるフォームチェンジスキルを同時に発動する。
それがダブルモード。
アリスの【双頭の龍】のように、本来交わるはずのない力を邂逅させたルナの新スキル。
それが【黄泉竈食】。
黄泉の呪いの名を持つこの力が、二十四時間HPとMPの最大値を1にするのを代償に、ダブルモードの発動を可能にした。
「これがルナちゃんの切り札…!」
あなたを倒すため。
あなたに振り向いてもらうため。
「あなたを越えるためための力です!!」
黒い糸がアリスの右腕を絡め取る。
するとどうしたことか、右腕がガクンと力無く垂れ《ヴォーパルソード》が手から落ちた。
「腕が動かない…?!」
異形の力は、絡め取った対象を殺す。
筋力、感覚、能力、やがて死は侵食し肉体を朽ちさせる。
アリスの腕が黒く崩壊し始めた。
「ッ!!」
慌てて《エリュシオン》で右肘の先を斬り落とす。
判断の速さはさすがだが、《ヴォーパルソード》を拾おうとした矢先、下方から白線が飛んだ。
剣は拾えなかったがルナの刀は避けたはずだった。
それでも、アリスの額に赤い切り傷が刻まれた。
ピシッ
傷が額から鼻先へ、徐々に傷が拡がっていく。
アリスはルナのスキルの危険性をすぐさま理解した。
【黄泉津大神】は死の侵食を司る権能。
右の異能は風域を支配し、左の異形は逃れられない運命を背負わせる。
「【グラビテイション】!」
重力で剣を引き寄せ、無い腕の代わりに口に加えた。
(糸も刀も触れたら終わり…!この傷の広がり方…たぶんあと何分もすれば頭が裂ける…!)
「モード【兇龍帝】!【魔龍鎧装】!!」
失った右腕の代わりに龍の腕を。
顔は半分を龍化で覆うことで何とか傷の侵食を食い止めるが、それも時間稼ぎにしかならない。
傷は確かにアリスを蝕んだ。
(ルナちゃんを倒すのが先か…!)
(アリス様の体力が尽きるのが先か…!)
残された時間は一分足らず。
少女たちは戦いを加速させた。
一撃一撃が必殺。
しかしそれ以上に【黄泉津大神】を死の神たらしめるのは、発動後三十秒間の絶対無敵。
あらゆる攻撃、状態異常の意味を成さない完全なる死の拒絶だ。
アリスは苛烈に攻め立てる中、その特性を見抜いていた。
それでもアリスは攻め続けた。
退かない。恐れない。
勝つのは私だと猛り吼える。
ルナとて気迫では負けていない。
アリスを倒す。のでない。
殺すつもりで災害を与え続けた。
(なのに…なのに…!!)
ギリッと歯軋りを一つ。
ルナは上品の欠片も無く叫んだ。
「アリス様ぁ!!!」
死の暴風も破滅の黒糸も、アリスの剣は紙のように斬り裂く。
「ぜぇりゃあああああああ!!」
「おおおおおおおおおおお!!」
激しい打ち合いの中で突風が狂った。
「ダブルモード!!【混沌王】!!」
龍と風妃二つの力。
「負けない!!」
「絶対に!!」
「「私が!!勝つ!!!」」
風がせめぎ合い、耳が潰れるような音が鳴る。
アリスは二本の剣を交差させ、ルナは刀を真っ直ぐ振り下ろした。
「【スカイフォールソード】!!!」
「【黒刀・逢魔祓】!!!」
嵐と竜巻が衝突し次元がズレ、次いで死がアリスを引きずり込もうとする。
亡者の唸り。
死霊の手招き。
アリスはそれら全てを真っ向から斬り伏せた。
激しく剣を振る度に傷が走り身体は悲鳴を上げる。
それがどうしたと。
より熱く。
黒白の剣舞で圧倒した。
(【黄泉津大神】でさえ…)
こんなにも遠い。
才能。実力。研鑽した時間。そんなものが有ろうはずはない。
優劣など付くはずもない。
ほんの少し。あと一歩。
無敵時間終了のコンマ数秒。
刹那の時間。
(私は…)
何が足りなかったのか。
或いは何か足りなかったのか。
答えは出ない。
ルナは悔しそうに、それでも満足そうに剣舞を受け入れた。
「アリス様…」
この後に何を続けようかと考えて、月並みだがこれ以上無い言葉を選んだ。
誰にも聴こえないように。
小さく小さく。
「大好きです」
愛しい人にもたれながら、ルナは光の粒子となって消えた。
「私も大好きだよ」
傷の侵食は止まったが身体中ボロボロで、あと一撃…触れれば折れるようなギリギリの体力。
アリスは淡い蛍のような光を手に勝利を讃え、また誇った。
強敵以上の最高の仲間に、ありったけの感謝を込めて。
『激闘決着!!暴風吹き狂う熱狂を制したのは最強無敵のプリンセス!!アリス選手!!!【白の聖女】ルナ選手惜しくもここで敗退!!!』
荒い息を整えながら、流れるログとアナウンスで勝利を実感していたアリスは、
「!!」
いきなりバッと振り返った。
何も無い。
誰もいない。
「誰かに見られてた気がしたけど…気のせいかな…。とにかく回復しなきゃ。こんなときに接敵したらやられちゃう」
肩を落とし、近くの森の中へと消えていった。
「まさかこの距離で殺気に勘付くとは…いったい何キロ離れていると…」
離れた断崖の上で、シズクは呆れた風にスコープから顔を離した。
「撃っても避けられたでしょうね。邪魔をすまいと戦闘中は撃つのをやめましたが、失敗だったかもしれません」
《ラプラス》をハンドガンの形態にしてホルダーに収め、戦場から去った仲間に思いを馳せる。
「しかし…まさか最初の脱落者がルナさんになるとは思いも寄りませんでした。一番羨ましい逝き方をした、と羨ましがるところなのか…。仇討ちという言い方は違いますが、あなたの分まで勝ち上がってみせましょう」
乾いた風に吹かれ髪を押さえながら。
「いつまでそこに立っているつもりですか」
背後の人物へ声をかけた。
「話しかけも斬りかかりもせず、様子見のつもりですか?」
「ええ、まあ。そんなところです」
「あなたなら私が気付く前に斬ることも出来たでしょう」
「気付く前にだなんて、数キロ圏内を見えていながら…フフフ、不思議なことを仰るのですね。厄介の種ならそれも良かったのですが、生憎と銃で戦う方には魅力を感じなくて。申し訳ありません」
「私は厄介に成り得ないと?見くびられたものですね、ノアさん」
ノアは悠然とシズクと同じ断崖に立ち並んだ。
「あなたを弱いと思っているわけではないんです、シズクさん。斬り結んでこそ生きていると実感出来るという嗜好の問題です」
「嗜好?性癖の間違いでしょう」
「否定はしません」
「変態。一応言っておきましょうか。アリスさんを追うなら引き金を引きます」
「この距離でも私の剣より速く銃を抜けると?」
「この距離でもあなたの剣より速く銃を抜けると、そう言っているんですが」
「試してみるのもいいですね。けれど、安心してください。私好きなものは後に取っておくタイプなんです。傷だらけのアリスちゃんを嫐るのも面白そうですが、どうせなら万全のアリスちゃんを斬り刻みたいじゃないですか」
「……ここで倒してしまった方がアリスさんと世のためになりそうですね」
「フフッ、無理ですよ。私の方が強いんですから」
挑発に乗ったわけでなく、確実に額を撃ち抜く自信があったからこそシズクは銃を抜いた。
引き金に指を掛けて弾丸を放つのに一秒もかからない。
だが、弾は自ら意思を持って避けたかのようにノアをすり抜け、彼女の剣がシズクの首に迫った。
【月天の眼】で自分と弾丸の位置を入れ替えていなければ、きっと頭は地面に落ちていただろうと、離れた位置で平静を装う。
「何が剣での斬り合い。斬れれば誰でもいいのでしょうに。あなたは以前から何も変わっていない。アリスさんの左目を奪ったときから。いえ、私たちが知らない頃からあなたは狂人なのでしょうね。理性の皮を被った獣」
「この場を去るならどうぞ。でなければ、いつ私の気が変わるとも知れませんよ。獣らしく…ね」
「そちらこそお気を付けて。私の銃は、何時何処からでもあなたを撃ち抜けるのですから」
シズクは【黄昏の黒翼】を展開し彼方へと飛んだ。
いつ追いかけてくるかも知れない殺意の塊に、確かな恐れを抱いて。




