105.不思議の国と夜を編む二人
片道八車線の道路の真ん中に《カシオペア》を着艦させ、一同は星天の大地に足を踏み降ろした。
見れば見るほど近代的な街並みで、新鮮という感動はほとんど浮かんでこないわ。
「静かな街ですね」
「ここは居住区かしら」
「居住区って、プレイヤーは当然としてNPCすら居ないんだが」
「モンスターも」
人の気配はおろか、命の気配が無い。
なのに滞りなく街が動く様に不気味さを覚えた。
「この辺りは比較的《霊子核》の濃度が薄いので、彼らが姿を見せることは無いかと思われます。彼らは濃密な《霊子核》を好む傾向にあるので」
「彼ら?」
「あの、気のせいかもしれませんが…なんだか身体が重くありませんか?先程からどうも動きにくいような」
ルナがどことないぎこちなさを覚えながら言葉を遮った。
「そう言われれば」
「たしかに…」
「星天の大地は特殊な磁場の影響により、皆様の世界よりも約二倍重力が増していますので、おそらくはそのせいかと。それに加え魔力濃度も低いため、魔法が使いづらくなっていると予想されます」
サクラの言葉を確かめるため、ココアは掌に光の珠を浮かべてみた。
「あーたしかになんか魔法使いにくい。【詠唱破棄】使ってんのに発動までちょい時間かかるし威力も弱い。しかもMPの消費も多いわ」
「別世界というのは伊達ではなさそうですね。戦い方も変化しそうですが、とにかくこのままボーッとしてても始まりませんし、街を見てみませんか」
「そうですね。散策は基本ですから」
「とりま地図欲しくない?どっかにショップとかないかな」
「それならそこにあるよ」
「っし行くか」
「……?アリスさん、何故今ショップの場所がわかったんですか?」
「あれ…なんでだろ?なんとなくそう思ったんだけど…」
兎にも角にもと、アリスが指差した店舗に入ってみる。
冷暖房が整った明るい店内には、商品棚以外何も無い。
しばらくして出迎えてくれたのは四枚のプロペラで浮かんだドローン。
上部から光が照射され、女性の姿が映し出された。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
「3Dホログラム…一気に近未来感が強まったわね」
「本日は何をお求めでしょう」
機械的かつ事務的な抑揚の無い合成音声の後、ウインドウが表示される。
そこには武器の他、アイテムやUSBメモリがラインナップされていた。
「武器も機械っぽい。結構種類豊富じゃん」
「回復アイテムも少しずつ様子が違うようですね。見たところ性能は一緒のようですが。《星の記憶》…このUSBメモリのようなアイテムはスクロールの代わり…でしょうか」
「どんなのがあるの?」
「《FIRE:Lv1》…《WATER:Lv1》。それにこっちは《WIND:Lv1》」
「何それ。宝玉みたいに魔法でも覚えられるの?どれも初級のものみたいだけど」
ルナは試しにとパネルを操作しUSBメモリを購入する。
飛んできたドローンがホログラムを映すと、《FIRE:Lv1》と書かれた赤いメモリが実体化した。
「ゲーム内クレジットはこちらの世界でも共通なようですね」
しかし、
「どう使うのでしょう…」
スイッチを押してコネクト部分が飛び出る以外は、これといって反応は無い。
説明文も途中で途切れてしまっており要領を得ないものとなっていた。
「挿してみたら?」
ナッツの言葉を鵜呑みにして掌や腕に当ててみる。しまいには口に咥えてみたりもした。が、結果は変わらず。
「機械オンチみたいで可愛いわね」
「からかわないでください…」
自分の属性と異なるから使えないのかと思い《WIND:Lv1》と書かれた白いメモリも購入してみたが、それでも同じことであった。
ルナは拍子抜けしたように、別段使い道の無さそうなそれを【アイテムボックス】にしまった。
「それにしても、姫の言ったとおり本当にショップだったわね。なんでわかったの?」
「さあ…なんとなく…?知ってたような…」
「ねえ、これ何だと思う?」
もの言えぬ既視感に呆けていたところ、ココアが何かを見つけた。
一見無骨なデザインの手甲だ。サイズは指の先から肘まである。
「《契約の楔》……杭を撃ち込む…パイルバンカーのようなアイテムみたいですね」
「こんなゴツいのに装備品じゃないっぽいんだが。しかも使い切りだし。何これインテリア?」
「値段も結構するわね。一週間モンスター倒しっきりでやっと稼げるくらい。サクラ、これって何なの?」
「恐れながら、すぐにわかるかと。この地で戦うには必須のアイテムなので」
ネタバレ防止に開発者側が組み込んだ機構だったのか、これから知る楽しみを奪ってはいけないというサクラの意図だったのか。
五人は未知への期待を膨らませつつ、一人一つずつ《契約の楔》を購入し店を後にした。
「で、結局地図も無かったし手詰まりと」
小一時間、軽く周囲を漁ってみたもの収穫は無し。
夕陽が西の空へ沈む中、閑散とした道路の真ん中で今後について話し合う。
「結局ここって何すればいいんかね。今んとこ敵も居ないし」
「何をすればいいのかという表現は、NEOの自由度に依存しますから正確ではないように思えますが。何をしてもいいのがこのゲームなのですから」
「わかってるわそんなこと」
「戦闘区域の方に出てみる?サクラが言ってた《霊子核》の濃度?とかはよくわかんないけど。そっちなら敵も居るんでしょ?」
「《霊子核》かぁ。あ、そういえばホロウさんは【霊視】のスキルで見てたっけ。あると便利そうだよね」
隻眼であれだけ戦っているアリスが目について言ったところで、というのが彼女たちの思ったところだが、誰も口にはしない。
「【霊視】は確か、沼地のエリアにある【魔女の館】というダンジョンで習得可能だったはずです。機会があるとき皆で行きましょう」
「サクラって普通のスキルは覚えられるの?技は確かアリスのをコピーってか記憶してんだよね?」
「はい。【技巧記憶】は、人間族に限定しその技を記憶し、剣術系スキルである【機導剣流】へと反映するスキルです。その他のスキルに関しても、皆様と同様に習得が可能なことが先の戦いで証明されています」
サクラはステータスを開示した。
白ウサギとのバトルで得た経験値によってステータスが変動し、幾つかのスキルを習得している。
「育成…というと失礼ですが。一緒に強くなれるのはいいですね」
「疑問なのですけど、サクラさんは一応はNPC的な存在なわけでしょう。私たちが居ない間、独立して行動可能なのでしょうか」
「その辺は開発した人に訊くのがいいんじゃない?それより一度ログアウトしましょうよ。そろそろ夕食の時間だし。白ウサギとのバトルも編集して動画にしないといけないんでしょ」
「そうだね。サクラちゃんは」
「お気になさらないでくださいマスター。私は《カシオペア》にて皆様が戻ってこられるのをお待ちしています」
「あー!」
ふとココアが大声を上げた。
「てかあれじゃん!サクラの歓迎会やんなきゃじゃね?晩ご飯終わったらさー、みんなでパーティーしよー!ようこそ【不思議の国のアリス】へ記念パーティー!」
「いいね!賛成!」
「そんな、私のために皆様のお時間を取らせるわけには」
「堅苦しいことは言いっこなしです」
「そうですよサクラさん」
「もう仲間なんだから。当然でしょ」
「ほら、手出せ手。うりゃ」
ココアはサクラの右手を取り甲にスタンプを押した。
【不思議の国のアリス】のギルドマークだ。
「これでお揃い。な」
「…………はい」
五人の目に気恥ずかしそうに顔を伏せて手を胸に寄せる。
「脈拍が早くなっているようです。確かなことはわかりませんが、きっと私は今……嬉しいのだと思います。皆様に仲間と呼んでもらえて」
僅かに頬に差した赤は夕焼けのものであったのか。
それとも…
「ん…」
バイザーを外したアリスは、一足先にベッドの上で身体を起こした。
「いたた…ちょっと長くログインしすぎちゃった…ふ、んーーーー!」
ストレッチを一つ。
すると、ゴトッと隣の部屋から物音がした。
心愛と雫の部屋は逆隣。それじゃあ、とアリスは自室を出て物音がした部屋を開けた。
「ん?ああ、アリスか」
「志郎さん」
テーブルとパソコン。それにベッドと本棚だけの質素な部屋で、山風志郎はネクタイ結んでいるところであった。
「悪いな、黙って入って。一応インターホンは鳴らしたんだが、反応が無いからログイン中だと思ってな」
「志郎さんの家なんだから気にしなくていいのに。どうかしたの?」
「着替えに寄っただけだ。そっちは休憩か?休みはこまめに取れよ」
「うん。晩ご飯食べたら、みんなでサクラちゃんの歓迎会やるんだ」
「サクラ…?ああ、【海神の胎】の人造人間か。仲良くやってるみたいだな」
「うん。そうだ、ちょうどよかった。サクラちゃんのことについて訊きたかったんだ。サクラちゃんって……」
「まあ待て」
志郎は腕時計を確かめた。
「すまないがこの後予定があるんだ。そうだな…明日の昼頃、社の方に来てくれ。昼食でも一緒にしながら話そう。訊きたいことというのは概ねわかってる」
「そっか…うん、わかった」
「それじゃあな。戸締まりには気を付けろ。ちゃんと夏休みの宿題もしておけよ。それと夜更しはするな。生活のリズムが崩れるし美容にも悪い」
「わかってるってば」
唐突に保護者らしく言われたので、アリスは可笑しくなった。
「オシャレしてるけど、もしかしてデート?」
「ああ」
ほんのからかいのつもりだったが、あまりに普通に返されたのでアリスは驚いた。
「冗談だ」
「なんだ」
「ハハハ。また明日な」
志郎を見送ったアリスは、大人の余裕を見せつけられ、やるせなさそうに夕食の準備に勤しむのであった。
都心の高層ホテル。
夜景が一望出来る最上階のレストラン。
そこは三つ星を掲げる世界屈指の名店である。
ゆったりとしたクラシックが流れる店内を案内された先。
「待ったか」
「普通こんな店で待ち合わせして遅刻する?」
スリットの入ったシックな黒いドレスを纏ったその女性は、窓際の席で不機嫌そうに頬杖をついて志郎に目を細めた。
「出掛けにアリスと会ってな。少し話してた」
「なんだ、連れてくればよかったのに」
「食事当番だと言っていたぞ」
「アタシも食べたいなーアリスのご飯」
「そう言うな。今日は記念すべき日だろう。よく似合ってる、そのドレス」
「どうも」
七峰黎果は、小さく鼻を鳴らして世辞を流した。
「飲むか?」
「エナドリがあればそれで」
「あるわけあるか」
志郎は手を挙げてボーイを呼んだ。
注文してすぐ運ばれてきたのは桃色の小箱に入ったシャンパン。
ロゼワイン特有の可憐なピンクに夜景が溶け、中に立ち上る気泡の一粒さえ煌めいた。
甘く芳醇な香りは、否応にも極上を予感させる。
「乾杯」
「何に?」
「今日という日に」
グラスを掲げて口を付ける。
生の葡萄を噛んだようなフレッシュな甘みが炭酸と共に弾けた。
「なんか久しぶりに飲んだ気がする」
「お前ジュースしか飲まないもんな。ビールの美味さがわからない大人め」
「苦い炭酸飲むならコーラ飲んだ方が建設的ってだけだから」
などと軽口を叩いているところへ前菜が運ばれてきた。
エビとアボカドのタルタル。ブランデーを効かせたソースに、レモンのハッキリとした酸味とセルフィーユの清涼感が食欲を増進させる。
スープは丁寧に裏ごしされたほうれん草のポタージュ。
皮目をパリッと焼き上げたスズキのソテー。
口直しのソルベは季節の果物をふんだんに。
肉料理には牛フィレ肉のポワレ。肉汁と濃厚なマデラソースが絡んだ多幸感は筆舌に尽くし難い。
デザートは目の前で仕上げるクレープシュゼット。
フランベの青い炎が立つのと同じくして広がるオレンジの蠱惑的な香り。
アイスと共に口にすれば天にも昇る心地だ。
「足りない」
デザートまで平らげて、黎果は空になった皿に寂しそうな視線を落とした。
「追加で頼んでいい?」
「好きなだけ食べろ。最初からそのつもりだ」
「やった。じゃあ鳩のロティと石鯛のグリルに、ポタージュも美味しかったからそれも追加で。あとパン山盛りで」
およそ店の雰囲気にそぐわない大食漢ぶりであったが、志郎は一切気にせず、黎果の食事風景を肴に食後酒を飲み進めた。
コースの終了から約一時間で、ようやく黎果の胃は落ちついたようだった。
これまた追加で注文したデザートを口に運び顔を綻ばせる黎果に、志郎はクスッとする。
「相変わらずよく食うな」
「普段まともなもの食べてないから、食べられるときに食べたいんだよ。あむっ」
「まともなものを食べられるだけの稼ぎはあるだろ」
「まあね。最近はちょっとサボり気味だけど」
「例のやりたい事絡みか。どうだ、実現は出来そうか」
「させるよ。アタシを誰だと思ってんの。たぶんそろそろ形になる」
「足りないものというのは?」
「アタシの眼鏡にかなう人」
「はたしてそれが何人居るのかという話だが」
「なんて、もうだいたい数は揃ってるんだけどね。参加してくれるかはともかく。あとはまあ、必要なスキルと…手に入るなら例のアレも」
それより、と黎果はベリーのムースをたいらげナプキンで口を拭いた。
「やっと繋がったんでしょ。NEOとあの世界が」
「ああ。文句のつけようも無しに叩きのめされたよ。まったく加減せず、プレイヤーのことも考慮せず、純粋にこうしたら強い、ああすれば負けないという要素を詰め込んだ怪物をな」
嬉しそうに志郎は頷く。
「わざわざ過去の遺物持ち出して。酔狂すぎない?」
「あれはおれたちにとって始まりだからな。仕方ない。世界一おもしろいゲームを創りたいという衝動に従った結果だ。お前だって待ったろう。NEOも、アドミニストレートスキルも等しくその産物でしかない」
「言ってもユーザーなんて二千人ちょっととかなんじゃなかったっけ。でもNEOプレイヤーの中にも居そうだけどね。あの世界を知ってる人」
「それならそれで。いや、むしろその方がおもしろくなりそうな予感がするな。と言いつつも、じつは一人だけ。あの世界を知っていそうな人物に心当たりがあるわけだが」
「へえ。それって、どこの可愛い娘?」
「邪推するなよ。言っただろう、心当たりがあるだけだと」
「邪推?希望の間違いじゃないの?」
「かもな」
志郎は空になった黎果のグラスを見てシャンパンを勧めた。
黎果は手を翳してそれを断った。
「ちょうどほろ酔いくらいだから。今一番気分いい」
「そうか。満足したようで何よりだ」
「そっちは物足りなそうな顔してるけど」
ニヤニヤと、前屈みになって開いた胸元を強調する。
どうにも目を奪われたもの。
「……邪推するなと言うんだ」
まったくと、志郎は残りのシャンパンを煽った。
「そろそろ出るか。送っていく」
「うん」
「どうした?」
「てっきりホテルを予約してるから、なんて言い出すのかと思ってた」
「お前はおれを何だと思ってるんだ」
小さくため息をつき、志郎は黎果と共に店を出た。
タクシーを呼ぼうとして、
「いいよ。少し歩こう」
黎果が腕を取って誘った。
「別れた女と手を組んで歩くことになるとは」
「ご飯のお返し。嬉しい思いしてる?」
これみよがしに、黎果は胸を志郎の腕に当てた。
「恐悦至極で死にそうだ」
気温が下がり冷気を帯びた夏の夜風が過ぎていく。
乾いたアスファルトの匂い。
藍色の街に灯る光の中、二人は他愛の無い会話をしながらゆっくり歩を進め、やがて黎果のマンションに到着した。
「上がってく?もう少し飲んでいきなよ。なんなら泊まっていけば?」
「何もしない自信が無い。大人しくここで帰るさ」
「正直か。今日はありがとね。ご飯美味しかった」
「そうか」
「また誘ってよ。人の奢りで食べる高いご飯が一番好きだから」
「自重しない奴だな。そういうところが気兼ねしなくていいんだが。……なあ、黎果」
「ん?」
「Project Stormに来いよ。おれたちならお前をバックアップしてやれる」
「……飽きないね志郎。今まで何回断ったと思ってるの。いい加減諦めたと思ってたのに。いいよアタシは。今までどおりで」
「個人の活動にはどれだけやっても限界がある。それがわからないお前じゃあないだろう」
「協調性とか調和とか、なんか違うって思っちゃうんだよ。誰かと足並み揃えてとかさ、ああ…私には向いてないなって。生来的にソロなんだよ、私って。だから志郎ともなんとなくで付き合ってなんとなくで別れた。私はちゃんと私をわかってる。身の程を知ってる」
「黎果…」
「またね志郎」
声をかけることも、後を追って肩に手を置くこともせず。出来ず。
エントランスの向こうに消えていく黎果の背に、志郎は寂寥を込めた視線を向けた。




