表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

4(具合どう?)

   *


 玄関の鍵が廻る音を聞き、時計に目を遣った。

 十一時を少し過ぎたところ。

 

 母しかいないが、母であるはずがない。

 何しろ今は、今は……今時分は……何だっけ。

 反抗期?

 違う。思春期とセットではない。

 はん……はん……繁忙期!


 果たして母だった。

 真っ直ぐ部屋にやって来た。

「起きてる?」


 不明瞭な鼻声で返事した。


「具合どう?」


「あんまり」ふぁんまり。


「のようね」娘の声に母は苦笑した。「病院、行くよ」


「いいの?」


「いいも悪いもないでしょが」


「三月は忙しいって、」


「誰かが抜けて廻らない会社なんて早晩、潰れるよ」


 ほらっ、とばかりに全身をすっかりもこもこに着替えさせられた。

 お蔭で通学用のダッフルコートが窮屈だった。


 小雨の中、フードを被っていても、頬を冷気が撫でていく。


 雪になるかな。


 急かされ、車の助手席に座らされた。

 病院までは十五分ちょっと。

「予約入れてあるから」母は云った。「すぐに呼んで貰えるよ」


 右折できず、信号が赤に変わった。

 ワイパーが、フロントガラスの雨粒点描画を、扇型に描き直した。


 ぎゅう、ぎゅう。

 ゴムがガラスを擦る。

 ぎゅう、ぎゅう。

 ブレードがリズムを刻む。


「ねぇ、お母さん」

「ん?」


「お父さん、どうして死んだの?」

「えっ、いつ? 死んだの?」


「死んでないの?」

「うん──、」ちょっと考え、「生きてると思うけど」


「思うけど?」

「さすがに、何かあったら連絡あると思う」


「誰から?」

「役所……かなぁ?」


 信号が変った。車が動いた。

 母は口をすぼめ、続ける言葉を探しているようだったが、細い息が漏れただけだった。


 病院は空いており、すいすいと名前を呼ばれ、すいすいと診察され、すいすいと処置された。

 赤いと診断された咽喉の奥に、ちょっぴり苦いお薬塗られて正味二〇分。

 併設された院外薬局で五日分の風邪薬を受け取った。


 お会計をする母の後ろで、どうにも熱っぽい娘は、ティッシュで洟を拭き、丸めてコートのポケットにねじ込んだ。


 あとで忘れずゴミ箱に。


 脳内メモも、今の具合じゃ心もとない。


 帰りの車の中、ティッシュで鼻を押さえながら、「お母さん」ふと、頼子は呼びかける。

「季節外れの雪ってなんて云うの」


「うん?」突飛な娘に困惑顔。


「迷い雪? 狂い雪?」

「それは何?」


「桜みたいに呼ばれるのかな」

「ああ」納得。「忘れ雪よ」


「ふぉーげっとみーのっと」

「勿忘草」


「ちょろぎ?」

「茗荷って云いたいの?」


「たぶん」

「終雪」


「ん?」今度は娘が困惑顔。


「初雪の反対。最後の雪なら終わりの雪」


「まだ最後だって分からないのに?」


 そうね、と母は云った。

 頼子は助手席のドアに身体を預け、おでこを窓にくっつけた。


 冷たいガラスが気持ち良い。


 雨粒が、景色に合わせて流れ行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ