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取材記録_美浦_20290403

(きし)飛馬(ひうま)(27)三時十二分 場所:布留川厩舎前


 俺は天才だった。

 ……なんだよその顔は。いまさら謙遜するつもりはないってだけだ。あの頃の俺は天才だったし、それ以上に傲っていた。他の騎手とは違うんだ、ってな。

 だが、才能や実力がいくらあってもそれだけじゃ安定していい馬に乗ることはできない。まだ若かったし、当然経験も浅い。なにより俺は元々競馬村の住人じゃなかった。親はサラリーマン、母は看護師のごくありふれた家庭で生まれたからな。地縁も血縁もない俺が、当時不満を抱えていたのは必然だったのかもしれない。

 なにか大きな変化が必要だった。そう思ってた。

 そんな時だ、転機が訪れたのは。

 そう、有馬記念でのノッキンオンハートへの騎乗依頼だ。怪我明けだがG1レース、それも有馬記念なんていうビッグレースでいい馬が回ってきた。しかも、対戦相手に当時最強と言われた無敗の三冠馬イスカンダルのおまけ付きだ。今にして思えば乗ってくれる騎手がいなくて仕方なくお鉢が回ってきただったんだろうがな。でも感謝してるよ。

 そして、今なお有馬の奇跡と語り継がれるノッキンオンハートの劇的な勝利で、俺は俺の才能を証明した。

 ……今振り返れば、俺はこの時にはもう道を違えてしまったんだろうな。

 

 ここからはカムパネラの話だ。

 カムパネラはセリで売れ残って主取りになった馬でな。馬主資格を持ってた牧場主がそのまま馬主になったそうだ。別に経緯は詳しく知らない。

 当時所属していた布留川厩舎で預かることになって、特に期待馬ってわけでもなかったからまだ実績もない若手の俺に騎乗依頼が回ってきた。デビューしたのは有馬の奇跡の半年くらい前だな。圧勝だった。血統的に期待されていた良血馬が同じレースで走っていたが、歯牙にもかけなかった。その馬ものちにG1馬になった馬だったが、まるで大人と子供だったな。

 二戦目、カムパネラは有馬記念の二日後にあった二歳G1のホープフルステークスも難なく勝利した。俺はG1レースを立て続けに制したわけだ。

 年が明けても、三月の弥生賞、四月の皐月賞と順当に勝ちを重ねた。その前年のイスカンダルに続いて無敗の三冠馬が誕生すると誰もが疑わなかった。もちろん俺も。

 次走はもちろん日本ダービー。最も優秀な三歳馬を決める、ホースマンにとって生涯をかけるに値する最高の舞台だ。

「最も運のいい馬が勝つ」

 そんなダービーの格言も、カムパネラの強さの前には意味をなさない。そう考えていた。

 

 五月末。汗ばむくらいの陽気だった。

 スタートは順調だった。

 カムパネラは中団から前目につけて先頭を伺った。ただ、あの日のカムパネラは珍しくかかって一〇〇〇メートル手前で先頭に躍り出た。タイムは五十七秒一の超ハイペース。これまでのレースを振り返っても初めての逃げになった。

 レースは滞りなく進んでいく。

 三コーナーの大欅を過ぎて四コーナーの出口。後続はここにきてまだ十馬身近く後ろ。カムパネラはまだ余力を残していた。不安なんてものはとっくに消え去り、府中の長い最終直線を前にして勝利を確信した。

 そう、確信したんだ。

 カムパネラは突然コースから逸走して外ラチへと走り出した。

 慌てて手綱を操ってコースに戻ろうとしてもまるで言うことを聞かない。初めはなにが起こったかわからなかった。だが、カムパネラがゆっくりと速度を落とし、ついには止まってしまった時、ようやく事の重大さを理解して血の気が引いたよ。

 カムパネラは右前脚を開放骨折していたんだ。

 だが、カムパネラは俺が転がるように慌てて馬上から降りるまで、いや、降りたあとも終始穏やかなままだった。係員や馬運車が駆けつけるまで、カムパネラはその四本の脚を地面につけたまま嫌がる素振りも見せずに微動だにしなかった。

 景色を焼き付けるように満員のスタンドを眺め、それを終えると取り乱していた俺の顔にゆっくりと顔を寄せてきた。

 カムパネラと触れ合ったのはそれが最後になった。

 重度の骨折は馬にとって多くの場合死を意味する。カムパネラも例外じゃなかった。

 馬運車に乗せられたカムパネラはその場で予後不良の判断が下され、その短い生涯を閉じた。

 

 ……これがあの日のレースのつまらない真実さ。

 俺がカムパネラを壊した。

 俺がカムパネラを殺した。

 どこかで気付けたはずなんだ。調教、パドック、返し馬、輪乗り、枠入り、レース。そのどこかで。なにか些細な異変でも気付ければあんなことは起こらなかった。

 運命の出会いだのなんだの言っても、俺はカムパネラのことを本当の意味で見ていなかった。俺が見ていたのはレースでの勝利、それだけだった。

 それから数カ月は騎乗依頼を断り続け、冬に入ろうかという頃にようやくまたレースで乗り始めたが府中でだけは乗れなかった。

 幽霊なんか信じちゃいないが、あの四コーナーの出口でカムパネラがまだ静かに佇んでいる気がしてしまうんだ。

 なにも言わずに、ただじっとね。

 いっそ、あのまま落馬して骨のひとつやふたつ、そうじゃなくてももっと大きな怪我を負っていたなら、もしかしたら俺はまだ府中で乗っていたのかもしれない。

 だが、俺だけは無傷のまま生き残った。だからかもしれない。

 あの日のカムパネラの目を思い出すと、どうしてもあの場所では乗れなくなってしまうんだよ。

 

 ……これで満足か?

 ずいぶん神妙な顔して頷くじゃないか。全部初めて聞きましたって顔だ。若いのにずいぶん役者だな。

 もういい加減、いいんじゃないか、それも。

 君さ――

 

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