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第三話 尋問

この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。



扉が閉まる。


ガチャン、という重たい金属音。


その音を聞いた瞬間、賢太は自分が世界から切り離されたような気がした。


部屋は狭かった。


灰色の壁。天井の蛍光灯。金属製の机と椅子が二脚。壁際には古いエアコンが取り付けられていたが、動いている気配はない。


賢太は部屋の中央に立たされていた。


「Sit down.(座れ)」


男が言った。


賢太はゆっくり椅子に座った。


向かいに座った男は、三十代後半くらいだった。短い黒髪に、整えられたひげ。軍服ではないが、濃い色のシャツの胸元には小さな記章がついている。


男は机の上に紙を置いた。


ペンを一本。


それから、賢太の顔を見た。


「Name?(名前は?)」


「……Kenta Sakaguchi」


「What is your nationality?(国籍は?)」


「Japanese.(日本人です。)」


男は紙に何かを書いた。


「Passport?(パスポートは?)」


「I don’t have one.(持ってないです。)」


ペンが止まった。


「Why?(なぜ?)」


賢太は口を開いた。


そして、閉じた。


まただ、どう説明すればいい。


自分は日本にいた。


普通に生活していた。


気づいたら、ここにいた。


そんな話をして、誰が信じる?


「I lost it.(無くしました。)」


嘘が口から出た。


男は顔を上げた。


「Lost?(無くした?)」


「Yes. I lost my passport. And my phone. Everything.(はい、パスポートもスマホも全て、無くしました。)」


男は鋭い目でしばらく賢太を見つめた。


「Where did you enter Syria?(どこからシリアに入国した?)」


「I don’t know.(わかりません。)」


「Which border?(どこの国境だ?)」


「I don’t know.(分かりません)」


「Who brought you here?(お前は誰に連れられてここに来た?)」


「Nobody.(誰でもない)」


男の眉がわずかに動いた。


「Nobody?(誰でもない?)」


「I mean……I came here alone.(つまり....ここには一人で来たってことです。)」


男は背もたれに寄りかかった。


沈黙が落ちた。


賢太は、自分の言葉がどれほど不自然に聞こえるか、ようやく理解した。


入国した場所が分からない。


パスポートがない。


同行者もいない。


疑われて当然だった。


男は紙を裏返した。


そして、今度は少しゆっくり話した。


「You're hiding something, aren't you?(お前は何かを隠している。そうだろう?)」


違う。


隠していることなどない。


だが、そう答えたところで信じてもらえるのだろうか。


「I am telling the truth.(本当のことを言ってます)」


賢太は言った。


「I don’t know how I got here.(どうやってここに来たか自分でもわからないんです。)」


尋問官は無表情だった。


「I've heard that answer many times before.(その答えは、何度も聞いた)」


彼は椅子から立ち上がった。


「wait a minute(少し待っていろ)」


賢太は一人になった。


蛍光灯が、ジジジ、と小さな音を立てていた。


時間の感覚がなくなっていた。


五分なのか、三十分なのか。


賢太は腕時計も持っていない。


スマートフォンもない。


時計を探そうとして、壁に時計がないことに気づいた。


窓もない。


外の音も、ほとんど聞こえない。


自分がどこにいるのか、何時なのかさえ分からない。それがよりいっそう現実を薄れさせていた。


直人は机に両肘をつき、顔を覆った。


落ち着け、考えろ。


今、分かっていることは何だ。


自分はシリアにいるらしい。


武装した兵士に連れてこられた。


身元を証明するものは何もない。


そして、尋問官は自分を疑っている。


ここまでは分かる。


では、何をすればいい?


説明するしかない。


でも、説明できることがない。


突然ワープした。


そんなことを言えば、頭がおかしいと思われるだろう。


いや。


すでにそう思われているかもしれない。


そのとき。


扉の外から、複数の足音が聞こえた。


賢太は背筋を伸ばした。


扉が開いた。


入ってきたのは、先ほどの尋問官だった。


その後ろに、もう一人の男がいた。


賢太は、その男を見て固まった。


傷のある顔。


血のついたシャツ。


車の中で一緒だった男だった。


男は賢太と目が合うと、ほんの一瞬だけ視線をそらした。


尋問官が椅子を引いた。


男が座る。


賢太は男を見た。


男は何も言わない。


尋問官が口を開いた。


「He said he knows you.(彼は、お前を知っていると言った)」


「……え?」


尋問官は、紙を机の上に置いた。


「Let's have he explain.(説明してもらおう)」


男が、ようやく口を開いた。


「お前、昨日のことを覚えているか?」


賢太は混乱した。


「昨日?」


「そうだ。お前がここへ来る前だ」


「俺は……昨日は日本にいました」


男の表情が変わった。


ほんのわずかに。


だが、確かに変わった。


尋問官がその変化を見逃すはずもなかった。


「What's wrong?(何がおかしい?)」


男は首を振った。


「いや……」


「Keep going (続けろ)」


男は唇をなめた。


そして、賢太に向かって言った。


「お前、俺たちのいた建物を知っているか?」


「知りません」


「地下に部屋があった。コンクリートの壁。古い発電機。赤い扉」


賢太は首を横に振った。


「知らないです」


「本当に?」


「本当に!」


声が大きくなった。


賢太は慌てて口を閉じた。


男は、しばらく賢太を見つめていた。


やがて、尋問官のほうへ向き直った。


「This man is different. He's different from us.(こいつは違う、俺たちの仲間じゃない)」


尋問官は目を細めた。


その沈黙が、賢太には不気味だった。



尋問官は男を部屋から出した。


賢太は再び、一人で机の前に座っていた。


先ほどまでよりも、ずっと不安だった。


あの男は何者なのか。


なぜ自分を知っているような話をしたのか。


そして、なぜ最後に「違う」と言ったのか。


賢太は、自分の記憶をたどった。


日本にいた。


帰り道を歩いていた。


視界が白くなった。


気づいたら、知らない街にいた。


それだけだ。


間違いない。


それなのに、あの男は昨日のことを尋ねた。


まるで、自分がこの場所に来る前から、何かが起きていたかのように。


扉が開いた。


今度は尋問官だけだった。


男は椅子に座り、しばらく黙っていた。


そして、ゆっくりと口を開いた。


「According to him, you apparently don't know anything.(彼の話では、お前は本当に何も知らないらしい)」


賢太は顔を上げた。


「So, can I go home?(じゃあ、俺は帰れるんですか?)」


尋問官はすぐには答えなかった。


「That's a different issue.(それは別の問題だ)」


「why?(どうしてですか?)」


「We cannot verify your identity. There is no entry record. You have no identification. We also don't know how you got here.(お前の身元を確認できない。入国記録もない。身分証明書もない。ここに来た経緯も不明だ)」


ひとつずつ、言葉を区切る。


賢太はうつむいた。


「But I’m really (でも、俺は本当に……)」


「Do you know anything about the situation in this country?(お前はこの国の情勢について知っているのか?)」


尋問官の言葉に、賢太はきょとんとした。


「I don’t know (知りません)」


ニュースで内戦が起きているということだけ知っていた。詳しいことなんて知らなかった。


尋問官は机の上の紙をまとめた。そしてため息をついて話しはじめた。


「There has been fighting between the anti-establishment and the government in this country for some time now. We in the military are on the government's side.(この国は少し前から反体制派と政府の間で戦いが起きている。俺たち軍は政府側だ。)」


難しい単語が多かったが俺にも伝わる様に身振り手振りなどで詳しく教えてくれた。この戦闘で多くの民間人が死んでいること、政府に異論を唱える市民たちを拘束、弾圧していること。




「You'll sleep here tonight.(今夜は、ここで寝てもらう)」


「Here?(ここで?)」


「It's a different room. I'll prepare food and water for you.(別の部屋だ。食事と水は用意する)」


賢太は少しだけ息を吐いた。


水。


食事。


少なくとも、今すぐ命を奪われるわけではないらしい。


だが、次の言葉で、その安堵は消えた。


「A different person will be coming tomorrow. I'll talk to them again if necessary.(明日、別の担当者が来る。必要なら、もう一度話を聞く)」


「明日……」


尋問官は立ち上がった。


賢太は、最後の望みを込めて尋ねた。


「So, once that's done, will you take me to the Japanese embassy?(じゃあ、それが終わったら日本大使館に連れてってくれますか?)」


尋問官は振り返った。


「The Japanese embassy in Damascus has been sealed off and moved to Lebanon.(ダマスカスの日本大使館は封鎖されて、レバノンに移されたぞ。)」


そうなんだ、本当に知らなかった。本当にニュースをよく見ておくべきだった。そもそもレバノンってどこだ。




連れていかれた部屋には、薄いマットレスと薄い毛布があった。


窓はない。


小さな洗面台とトイレが、壁の一角に設けられている。


部屋の隅には、蓋のないプラスチック製の容器が置かれていた。中には水の入ったボトルと、平たいパンが二つ。


賢太は、しばらくそれを見つめていた。


食べていいのだろうか。


毒が入っている、なんてことはないだろうか。


そんな考えが浮かんだ。


だが、すぐに自分を叱った。


何を馬鹿なことを考えているんだ。


喉が渇いている。


腹も減っている。


疑い続けていたら、何もできなくなる。


賢太はボトルを手に取った。


蓋を開け、少しだけ飲む。


普通の水だった。


その瞬間、自分がどれほど喉を渇かせていたかを思い知った。


もう一口。


さらに一口。


賢太は、慌てて飲むのをやめた。


落ち着け。


急いで飲みすぎる必要はない。


パンをひとつ手に取る。


乾いていて、少し硬かった。


それでも、口に入れると、涙が出そうになった。


食べ物を食べている。


水を飲んでいる。


生きている。


たったそれだけのことが、信じられないほどありがたかった。


賢太はパンを半分残し、毛布の上に座った。


そして、初めてまともに考えた。


これから、どうする。


明日は尋問がある。


その後は?


いつ日本へ帰れるのか。


そもそも、本当に帰れるのか。


答えはなかった。


賢太は毛布を肩にかけた。


疲れているはずなのに、眠れそうになかった。


目を閉じると、兵士の顔が浮かぶ。


扉を叩く音。


銃声。


サミールの表情。


そして、車の中の男。


――俺も、お前と同じだ。


ここに来るべき人間じゃなかった。


地下室、赤い扉。


あれら、どういう意味だったのだろう。


賢太は寝返りを打った。


そのとき、壁の向こうから声が聞こえた。


低い声。


誰かが話している。


続いて、短い物音。


賢太は身体を起こした。


耳を澄ませる。


言葉は分からない。


だが、ひとつだけ、聞き取れた言葉があった。


「Japanese.」


日本人。


自分のことだろうか。それとも、あの傷の男のことだろうか。


賢太は立ち上がった。


壁に近づく。


その瞬間、廊下から足音が聞こえた。


賢太は反射的に離れ、マットレスの上に戻った。


賢太は毛布を握りしめた。


眠気は、完全に消えていた。


明日、誰かが会いに来る。


その人物は、自分を日本へ帰してくれるのだろうか。


それとも。


自分がこの場所に来た、本当の理由を知っているのだろうか。


賢太は顔を上げた。


そして、誰にも聞こえない声でつぶやいた。


「……俺、いったい何に巻き込まれてるんだ」


返事はなかった。


第3話・終

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