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第二話 扉の向こう側

この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

小説二話



第2話 — 扉の向こう側


ドン、ドン、ドン

「افتح الباب!」

(ドアを開けろ!)


扉が震えた。


部屋の中には、自分を含めて七人いる。老人が一人、女性が二人、子どもが二人、そして話をしてくれた男。


誰も動かなかった。


幼い子どもも、母親らしい女性の胸に顔を押しつけ、声を殺している。


扉の向こうから、もう一度、怒鳴り声がした。


「افتحها بسرعة!」

(早くドアを開けろ!)


賢太は男を見た。


男は扉を見つめたまま、ゆっくりと人差し指を唇に当てていた。


静かにしろ。


分かっている。


分かっているけれど。


心臓の音がうるさすぎる。


この音が外まで聞こえるんじゃないか。そんな馬鹿げた考えが頭をよぎった。


賢太は自分の膝を握りしめた。


手が震えている。


止めようとしても止まらない。


日本にいたとき、中東の内戦のニュースを見ながら夕飯を食べたことがある。


破壊された街の映像が流れていた。


瓦礫の中で泣く子ども。血のついた服を着た人々。担架で運ばれる負傷者。


そのとき、自分は何を考えていただろう。


「大変だな」


たしか、それくらいだった。


その後チャンネルを変えたかもしれない。


今、その映像の中に自分がいる。


そう考えた瞬間、ゾッとした。


男が立ち上がった。


男は部屋の隅にいた老人に何かを告げた。


老人はうなずき、子どもたちを抱き寄せる。


それから男は、賢太の前にしゃがみ込んだ。


「what are you name?」


お前の名前は?


英語でそう尋ねられたのだと理解するまで、賢太は少し時間がかかった。


「Kenta.Sakaguchi.」


「Ok.I'm サミール」


男は自分の胸を指した。


「サミール」


賢太はうなずいた。


こんな状況で自己紹介をしていることが、ひどく現実離れして感じられた。


「Please listen」


サミールは、扉のほうを一度見てから続けた。


「Those outside are soldiers. I don't know which unit they belong to.(外にいるのは兵士だ。どこの部隊かは分からない。)」


「soldiers……」


つまり兵士ってことか。


「You don't say anything. If you don't know the answer to a question, just say you don't know. Don't lie.(お前は何も話すな。聞かれたことが分からなければ、分からないと答えろ。嘘をつくな)」


賢太はうなずいた。



ドンッ!


扉が激しく揺れた。


女性の一人が小さく悲鳴を上げた。


「افتح الباب! وإلا سأحطمه!」

(ドアを開けろ!さもないと壊すぞ!)


サミールは立ち上がった。


賢太の頭の中で、いくつもの考えが暴れ始める。


逃げるべきか。


どこへ?


窓はない。廊下に出たところで、兵士と鉢合わせるかもしれない。


隠れるべきか。


どこに?


この部屋には、家具らしい家具もない。


扉を開けたら撃たれるかもしれない。


開けなければ、無理やり入ってこられるかもしれない。


何を選んでも、正解が分からなかった。


そもそも、自分に選択権なんてあるのだろうか。


「サミール?」


声がかすれた。


「What are you going to do?

(どうするんですか?)」


サミールは答えなかった。


彼は両手を見える位置に上げ、扉へ向かった。


「Wait!(待って!)」


賢太は思わず立ち上がった。


全員の視線が自分に集まる。


「開けたら……」


その先が言えなかった。


開けたら何だ。


殺されるかもしれない?


そんなことは、誰だって分かっている。


サミールは振り返った。


「I'm sorry, but I want to help my family.

(すまないが、私は家族を守りたい)」


それだけ言うと、彼は扉の前に立った。


賢太は立ち尽くした。


自分には何もできない。


その事実が、銃声よりも強く胸に突き刺さった。




扉が開いた。


強い光が廊下から差し込む。


薄い色の迷彩服。


銃。


顔を覆う布。


少なくとも三人。


先頭の兵士がサミールに向かって何かを言った。


サミールは両手を上げたまま、落ち着いた声で返事をした。


言葉は理解できない。


兵士の一人が室内を見回した。


老人。


女性。


子どもたち。


そして、賢太。


その目が止まった。


賢太は動けなかった。


兵士が何かを言った。


サミールが答える。


兵士は再び賢太を見た。


今度は、明らかに自分に向かって何かを尋ねていた。


「……」


声が出ない。


兵士が一歩、賢太に近づいてきた。


賢太は反射的に立ち上がった。


その瞬間、兵士の手が銃に触れた。


サミールが鋭い声を上げた。


賢太には理解できなかった。


兵士の表情が険しくなる。


違う。


誤解されている。


自分は立ち上がっただけだ。


逃げようとしたわけでも、何かを取り出そうとしたわけでもない。


だが、そんな説明をする言葉がない。


賢太は、ゆっくりと両手を上げた。


「No weapon. No weapon.」


自分でも驚くほど、声が震えていた。


「I’m Japanese. I am not your enemy.(俺は日本人です。あなた達の敵ではありません。)」


兵士は賢太を見つめていた。


時間が引き延ばされる。


三秒。


五秒。


十秒。


やがて兵士が、短い言葉を発した。


サミールが賢太を見た。


「Sit down slowly (座れ、ゆっくりだ。)」


賢太は、言われたとおりに腰を下ろした。


兵士は銃から手を離さなかった。


賢太はようやく息を吐いた。


生きている。


まだ。


*


兵士たちは室内を確認し始めた。


サミールは彼らの問いに答えていた。


賢太には内容が分からない。


だが、兵士たちの様子から、単なる道案内や身元確認ではなさそうだと感じた。


やがて、先頭の兵士が賢太の前に立った。


手のひらを賢太の前に出した。


「Passport.」


賢太は固まった。


パスポート。


ない。


もちろん、ない。


自分のいた世界では、パスポートは家に置いていた。そもそも今日、海外へ行く予定なんてなかった。


「No passport」


兵士の表情が変わった。


「ID?」


「No. Nothing.」


兵士は何かを問い詰めるように言った。


賢太は首を横に振る。


「I have nothing. I don’t know how I got here.

(俺は何も持ってません。どうやってここに来たかもわかりません。)」


自分が何を言っているのか分からなくなってきた。


兵士はサミールを振り返った。


サミールが何かを説明する。


兵士は聞き終えると、もう一度賢太を見た。


「Come with us.(俺らと一緒に来い)」


賢太の背中が冷たくなった。


「……え?」


兵士が扉の外を指さす。


ついてこい。


そう言っている。


サミールは何も言わなかった。


賢太はゆっくり立ち上がった。


膝が震えていた。


兵士の一人が先に歩き出す。


賢太は震えながらその後に続いた。


扉を出る直前、振り返った。


サミールはそこに立っていた。


目が合った。


サミールは何も言わず、ほんのわずかにうなずいた。


それが別れの挨拶なのか、何かの合図なのか。


賢太には分からなかった。


*


外は、さっきより少し暗くなっていた。


夕日が建物の壁を赤く染めている。


路地には装甲車が一台停まっていた。


その脇に、数人の兵士。


エンジン音が響き、誰かが運転席付近で怒鳴っている。


賢太は兵士たちの間を歩いた。


逃げようとは思わなかった。


逃げたところで、どこへ行けばいいのか分からない。


それに、今ここで走り出せば、何が起きるか....

銃で撃たれ、倒れる自分の姿を安易に想像できた。


車のそばまで来たとき、兵士が賢太の前に立った。


何かを尋ねる。分からなかった。


「Sorry.I can’t understand Arabic(ごめんなさい。俺はアラビア語が分かりません。)」


兵士は苛立ったように息を吐いた。


そして、賢太の腕をつかんだ。


強い力だった。


「痛っ……!」


思わず声が出る。


兵士が何かを怒鳴った。当然これも分からない。


「sorry!sorry!」


賢太はとにかく謝った。


車の後部ドアが開く。


中には、すでに一人の男が座っていた。


二十代後半くらい。見たところ日本人の様な顔をしていた。


顔に傷があり、シャツの袖は血で汚れていた。


男は賢太を見ると、驚いたように目を見開いた。


そして、小さな声で言った。


「日本人か?」


賢太は息をのんだ。日本語だ!つまり日本人!


「はい...!」


男は周囲を気にしながら、日本語で続けた。


「お前、何しにここに来たんだ?拉致でもされたか?」


「わかんないんです。目が覚めたらここにいて....」


男は困った様な顔をした。


ドアが閉まる。


外の光が細い隙間から消えた。


エンジンがかかる。


車が動き出した。


賢太は、向かいに座る男を見た。


男は、ひどく疲れた顔をしていた。


「いいか」


彼は声を落とした。


「これから何を聞かれても、分からないことは分からないと言え。余計なことは話すな」


「あなたは……誰なんですか」


男は少しだけ笑った。


笑ったというより、苦い顔をした。


「俺も、お前と同じだ」


「同じ?」


つまりこの人もワープしてしまったのだろうか?


車が大きく揺れた。


窓の外を、見知らぬ街が流れていく。


崩れた建物。


閉じた店。


路上に立つ人影。


そして、壁に描かれた、賢太には読めない文字。


しばらく走った後、車が速度を落とした。


前方に、金属製のゲートが見えた。


その向こうには、照明に照らされたコンクリートの建物。


入口には武装した兵士が立ち、車列がいくつも並んでいる。


検問所。


車が止まる。


外から、兵士が近づいてきた。


運転席の窓が開く。


短いやり取り。


そして、後部座席のドアが開いた。


兵士が賢太を指さし、降りてくる様に手招きをする。


向かいの男が、賢太の耳元でささやいた。


「落ち着け」


賢太はうなずいた。


だが、男の次の言葉を聞いた瞬間、身体が凍りついた。


「ここでは、外国人っていう理由だけで、スパイ容疑かけられて尋問だから。」


兵士が賢太の腕をつかんだ。


賢太は車から降ろされた。


夕日は、もうほとんど沈んでいた。


そして、ゲートの向こうで待っていた男が、賢太に向かって歩いてきた。


男は英語で、こう尋ねた。


「Who sent you here?」


誰がお前をここへ送り込んだ?


賢太は、何も答えられなかった。


なぜなら。


自分自身にも、その答えが分からなかったからだ。


第2話・終

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