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夜の自室に、荒々しい息が響いている。
薄暗い室内で、俺の背後のデスクランプだけが、ぼんやりと辺りを照らしていた。
光源を背負った俺の影が、目の前の人を暗く塗りつぶしている。薄闇の中でもわかる、瞳孔の開いた不思議な色の眼差しが、惹き込むように俺を見つめていた。
床に座り、ベッドにもたれかかって、三島は誘うような笑みを浮かべている。はあっ、はあっ、と息が上がった。喉の奥から、弱々しい抵抗の声が漏れる。
「……嫌、嫌だ……」
そんなことを言うくせに、俺の片手は三島の肩を、骨が軋むほど強く掴んでいる。ぎりっ、と力がこもる手に、三島がかすかに表情を歪めて、また笑った。
「嫌、じゃないだろ」
「ちがう、ほんとに、嫌だ……」
ほとんど無力な抵抗に、くすっ、と声が上がる。「嘘つき」と掠れた声。
痩せた指がするりと動いて、目の前でシャツのボタンがひとつずつ外されていく。痩せた、生っ白い肌が、薄闇に晒される。胸元には、まだ消えない傷跡がいくつも走っていた。
「ほら」
手をさらわれ、いざなわれる。「やめろ」と声が出る。口先しか抵抗できない俺の手が、ぴったりと胸の中心に押し当てられた。てのひら越しに感じる、どっどっどっ、と早くなった鼓動。
淡く目を細め、三島が笑った。「いいよ」とささやかれる。ゆっくりと、肩を掴んだ手を撫で回された。ぞくぞくした震えが全身に走る。俺はぎゅうっと目を閉じた。たしなめるような声がする。
「目、開けろよ」
「嫌だ……」
背筋のぞわつきが収まらない。三島の指先が、今度はくすぐるようにまぶたを撫でる。とうとううっすら開いたまぶた、目の前に走った幾重もの傷が、鮮烈に俺を誘う。
こく、と喉が鳴った。心臓が耳のすぐ隣で鳴っているようだった。息が上がって、とても苦しい。口の中がからからに乾いて、渇望と欲望で指先が震えた。
俺を見上げる三島が、吐息だけで笑う。晒された白い肌、胸に押し当てられた手を、三島の指先がつうっとくすぐった。ぞくぞくぞくっ、と身体のいちばん奥、芯の部分がじいんとしびれる。
押し当てた手が動いた。白い皮膚に、垂直に爪が立つ。笑い声がした。
じりじりと、爪の先端が食い込んでいく。
真皮の厚みがゆっくりとへこんでいって、ぷつっ、と皮膚を突き破る鈍い感触。
そのまま、ぐうっ、と力を込めて、少しずつ、少しずつ手を下に動かしていく。
「……っ、は、はは……」
陶酔、としか言いようのない笑い声が聞こえた。
爪の先から生じた赤い線が、じりじりと長さを増していく。じんわりした赤い液体が、傷口からにじみだした。指にまとわりつく、粘液じみた血の感触。立てた爪がぬるりと滑った。
たっぷりと時間をかけ、十センチほどの傷が、白い胸板に刻まれる。
はっ、はっ、と犬みたいな息を吐いて、ぞくぞくした感覚に溺れて、酔ったようにくらくらする頭で。
「──よくできました」
くすくすと頬を撫でられる。指先で、軽く髪を梳かれて──ようやく俺は、三島の肌から爪を離した。体温と同じ熱さに濡れた指先が、すうっと冷えていく。
「っ……ッ、はあっ、はっ、はあ、はあ……ッ」
がく、とその場に崩れ落ちた。全身の力が抜けて、どさ、と三島にもたれかかる。俺の背を抱きしめるようにゆるく撫でて、三島はもう一度、よくできました、と耳元で笑った。
撫でられた背が震えて、息がちっとも整わない。ぶるぶると震えながら、投げ出された血まみれの手を、するりと三島が取るのを感じた。指先にちろり、と熱く湿った感触。舐められたらしい、変な味、と三島が笑う。
「もう……嫌だ……嫌だ……っ」
「はいはい」
しゅ、とウェットティッシュを引き抜く音。
血で汚れた指先をさっと拭うと、三島はぽい、とゴミを投げ捨てた。「外したな」と小さな声。とん、とん、と背を叩かれて、俺はずっ、と鼻をすする。
ぐったりと三島にもたれかかったまま、もう嫌だ、と何度も繰り返した。ぱったりと落ちた手を三島の指先が絡め取って、反対の手で背中をそっと叩かれる。上機嫌な声がした。
「嫌だ嫌だって言うくせに。結局、いつもしてくれるんだよな」
「っ……」
歌うような声は、毒みたいな甘ったるさで俺を刺した。違うと言いたいのに、どうしたってその通りだったから、反論もできない。まぶたの裏がじわっと熱くなって、俺は三島の肩口にぐい、と目元を擦りつけた。
嫌だなんだと言いながら、俺はこうして、加害をやめることができない。誘われて、抗って、それでも強引に引きずられて、たまに駄目押しみたいなキスをされて。気が付けば傷付けている。
赤い血を見るたびに死にたいほど苦しくて、でも、同じくらい興奮している自分がいた。最低だと思った。でも、やめられなかった。
あの夕焼けの教室で、三島の耳を千切ってから、俺達の関係はずっとこんな風だ。
残酷な現実の中、二人きりでもつれあって、闇の中をどこまでも落ちていく。身を寄せ合い、むごい遊びに享楽して、破滅的な道をずるずる進んでいく。
欲望と嫌悪と興奮と忌避が入り混じった、どろどろした感情。もう制御なんてできない現象。最悪の気分だった。
(……もう、嫌なのに)
それでも、やめられない。
こんな自分が心底嫌いだ。大切にしたかったはずなのに。
くい、と肩を押されて、ゆるゆると身を離す。俺の胸元に、三島の血が移っていた。
後で洗濯しないと、と思っていると、するりと両頬に手を添えられる。顔を上げさせられた。
視線が絡まる。レンズ越し、名前のない宝石みたいにきらきらした目が、笑みの形にすうっと細くなる。じっと見つめられ、うっとりした声。
「……俺を傷付けるときの、おまえの目が好き」
返事もできなかった。陶酔の笑みを浮かべる三島の、片耳には痛々しく千切られた傷がある。そっとそこから目を逸らして、押し殺した息を吐いた。
満足げな吐息を漏らして、三島がくちびるを寄せてくる。やめてくれと思う。それでも拒否なんてひとつもできなくて、されるがままになるしかできない。
押し当てられたくちびるの向こうで、三島が嬉しそうに喉を鳴らした。諦めのように目を閉じる。
そっと手を導かれ、残った方のピアスに触れさせられた。ぞくりとした感覚に、くちびるを合わせたまま「……今日はもう終わりだ」とつぶやく。つまらなさそうな吐息が、ふっと口元に触れかかった。




