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ゆっくりと身を離されて、濡れたくちびるがすうっと冷えていく。
茜色の天井を背負った影が、うっとりと微笑んだ。最後に一滴、ぱたっ、と頬に血が落ちる。
肌の上を滑っていく感触にぞわりとした。絶望的な感情で、胸の底が震えた。
──青春ぜんぶ駄目にして、俺と台無しになろう。
たった今かけられた言葉が、頭の中で何度も反芻されて、離れない。落ちていく感覚、取り返しのつかないものが壊された実感、台無しになんてなりたくなかったという後悔。
すぐ目の前、俺の上にのしかかる男へ、ぎりぎりの声が出た。
「……なんで、そんなこと言うんだ」
つんとした鼻の奥、絞り出した声が震えて、とても苦しい。
俺を見下ろす瞳が、レンズを一枚も隔てていない不思議な色の眼差しが、ぱたりと一度まばたいた。丸くなった目。
「なんで、宗像が泣くの」
言われて初めて、自分が泣いていることに気が付いた。
目元が熱くて、鼻が詰まって、吸い込んだ息がすごく苦しい。こめかみをくすぐって、熱い液体が後から後から、耳の方へと落ちていく。
ずっ、と鼻をすすって、もう一度「なんでだよ」と震える声で繰り返した。
返事はない。三島はただ、心底わからない、という表情で俺を見下ろしている。その耳から、じわじわと赤い液体がにじんで、少しずつ乾いて固まっていった。黒ずんだ赤色が目に突き刺さる。
ショックだった。立ち直れそうもなかった。
三島なんて力もない、重くだってない。だけど俺はあまりにも呆然としきっていて、のしかかる男を押し退けることもできなかった。全身の力をぐったり抜いて、バカみたいに泣いているしかできない。
三島はじっと俺を見つめて、少しだけ目を細めると。ふっ、と俺の上からどいた。
さえぎるものを失って、茜色の夕焼けが一気に目に飛び込んでくる。かろうじて上体を起こした俺の向こうで、三島が眼鏡を拾い上げるのが見えた。
かち、と眼鏡をかけ、いつもの顔に戻った三島が、俺の方へ戻ってくる。こちらを見つめる瞳がすっとずれて、ああ、と小さな声がした。身をかがめ、なにかをつまみ上げる仕草。
「宗像」
呼びかけられ、びくっ、と身体が反応する。
三島は俺の傍にしゃがみこむと、投げ出された俺の手をそっと取った。
てのひらを開かされ、ころ、と何かが落とされる。
ゆるゆると視線を落とせば、手の中にあるのは三島のピアスだった。赤黒い血のまとわりつく、海の底みたいな青い石。乾ききらない血が硬いピアスの表面で滑って、ぬるついた感触。
ひくっ、と喉が鳴った。三島が笑う。
両手で包まれるようにして、濡れたピアスを握り込まされた。ささやくような掠れ声が流し込まれる。
「あげる。大事にしてくれよな」
「っ──」
ほしくない、こんなもの。
それだけが言えなくて、俺は呆然と座り込んだままでいる。
三島がすっと立ち上がり、落ちていた弁当箱を拾った。くるりと振り返り、楽しそうな笑顔。
「じゃあ、帰ろっか。宗像」
一緒に、とささやかれ、手首を掴まれ起こされる。よろめく足元でなんとか立ち上がって、押し付けられたカバンを、かろうじて肩に掛けた。
三島がにこりと笑う。「宗像」の呼びかけとともに、手を握られた。軽く引かれて、繋いだまま歩いて、振りほどくことができない。抵抗する気力もない。
握られたのと反対のてのひらに、少しぬめった、硬い感触があった。
三島のピアス。今すぐに捨ててしまいたい。思うのに、その感情は間違いないはずなのに。
気が付けばピアスを握った手を、ポケットに突っ込んでいた。濡れた金属を中に落とした。俺の意志を裏切って勝手に動く身体が、三島の手をきつく握り返す。
「……ふふ」
軽く肩を揺らして、赤黒い血を固まらせた耳元をちらつかせ、振り返らないまま。嬉しそうに三島が笑う声がした。
真っ暗な中を落ちていく眩暈のような感覚が、いつまでも止まなかった。




