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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【後編 / 02】 蛹室にて

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 その晩、久しぶりに夜に父の顔を見た。

 ようやく四半期切り替えの際のトラブルが一段落ついたから、そろそろ家に帰れと社員たちに嗜められたのだという。余計なことを言ったものだ。


 本当に珍しい、三人での夕食は、やっぱり地獄みたいに空気が重かった。

 仏頂面で箸を運ぶ父と、淡々と食事を残す三島、痛いほどの沈黙と秒針の音ばかりが満ちるダイニングで、小さくなって料理を口に押し込む俺。そこそこの値段がするはずのデリの、味なんてちっともわからない。


 もっとも、俺と三島の差し向かいで食事をするときも、会話なんかほとんどない。三島はちょくちょく俺にちょっかいをかけてきたが、俺がぜんぶ無視して逃げたのだ。


 あの男の甘言に耳を貸してもろくなことにならない。それでも、手を伸ばして戯れみたいに触られると、さすがに心が揺れて、反応を返してしまう。


 最近は俺が動揺するのが面白いのか、三島はよく俺に触れてくるようになった。

 教室ではそこまでではないものの、ひとたび放課後になれば、彼を押し留めるのは難しい。生研部の準備中でも実験中でも、ひとときも油断できなかった。


(だから、ある意味、幸いなんだろうか)


 父が今、食卓にいるのは。気が重くなる。まさか母ではなく父に、いてほしいと願う日が来るなんて思わなかった。そこまで思って、思い浮かんだかつての笑顔に胸が痛んだ。西風の気配が蘇る。


 母はどうしているのだろう。あれ以来、母の転院先をずっと、さり気なく探している。

 父が尻尾を出すはずがない、わかっていても、あれこれ探りを入れるのをやめられなかった。思いつく限りの病院に電話を入れて、息子だと告げて、でも教えてなどもらえるはずもない。


 母はもう見つからない。ほとんど確定した諦念に抗って、弱々しい抵抗を続けている。

 ただ、これが父にばれたら、余計ややこしいことになるのはわかっていた。あまり表立った動きはできなかった。もどかしい。


(母さん……あと一度だけでいい、俺を守ってほしい)


 怖いんだ、なにもかもが。父も、三島も、恐ろしい現象も、ときどき見え隠れする、あちら側の風景も。喉仏の感触も、一本だけ絡めあった指も、二人して落ちていく破滅の予感も。怖くてたまらない。


 ぐるぐるとめぐる思考に耐えていると、ぱちっ、と箸を置く音がした。父だった。無言で立ち上がり、空になった容器とグラスを手にキッチンへ向かう。ごちそうさまくらい言えよと思ったが、わざわざ突っ込む気にもなれなかった。


 唐突に、すっと三島が顔を上げる。痩せた手が箸を下ろして、もう食事を終えるのかと思ったが、そうじゃなかった。レンズ越しの視線が、つっとキッチンの方を向いている。


 なにかを追うような視線に、つられて振り返った。ちょうど父が、空の容器をゴミ箱に捨てるところだった。キッチンの奥の、うちで一番大きなゴミ箱に。


「あ……っ」


 思わず腰が浮くのと、父の表情が凍りつくのとが、ほとんど同時だった。


「……達也」


 地を這うように低い声がして、びくりと肩が跳ねる。ゆっくりと振り返った父の表情は、感情がすべて抜け落ちたようで、威圧的で、怖かった。ちがう、と声が漏れる。


「待ってくれ。そうじゃない」

「なにがだ」

「だから、それは、俺がやったんじゃなくて──」

「また言い訳か? 口先ばかり無駄に育って」

「ち、違う!」


 今度こそはっきりと誤解だった。だが父は聞く耳を持たない。大股でキッチンから出てくると、俺の前に立ちはだかった。鋭い眼光に見下されて、俺は思わず立ち上がる。


「そうじゃない。俺はやってない。カメラでもなんでも見ればいい、絶対に俺じゃない!」

「強く言えば信用を得られるとでも思ったか。信用がほしいなら、その前科をすべて無くしてみせろ。話はそれからだ」

「無茶言うなよ……!」


 本当に、違うのに。まるで信じてもらえない。だがすべて自分の行いが招いたことだ。痛いほど過去を悔やんだ。くそっ、と汚い言葉を吐き捨てて、俺は手を握りしめる。苦々しく父が言った。


「やはり甘すぎたか。今からでも矯正が必要だな」

「なんだよ矯正って……本当に、俺じゃないのに……!」


 絞り出す俺に、とうとう父がしびれを切らした。いい加減にしろ、と叫び声。


「だったら誰だと言うんだ! くだらない言い訳を──」

「──俺です」


 ぽつっ、と声が割り込んだ。

 俺の口から、は、と間抜けな声が漏れた。完全に予想外のところから来た声に、父も俺も静止する。しいん、と部屋が静まり返る。


 動いたのは父が先だった。ゆっくりと厳しい表情をめぐらせて、声の主──三島のほうを見る。少し遅れて、俺も同じ動作をした。


 三島は、俺のことも父のことも見てはいなかった。ただ淡々と俯いたまま、静かに俺です、ともう一度繰り返した。

 父がゆっくりと三島のほうに歩み寄る。低い、押し殺した声で問いかける。


「どういうことだ」

「俺がやったんです。見つかったのは失敗でした。台所は俺しか使わないと思っ──」


 ガンッ、と大きな音がした。思わずびくりと肩が縮こまる。父がテーブルを殴った音だった。

 三島は怯えたそぶりも見せず、ちら、とテーブルに叩きつけられた拳を眺めただけだった。

 父は激しく舌打ちをして「おまえか」と吐き捨てる。


「おまえが、達也をそそのかしたのか」

「そうです」

「ッ、何言って、三島──」

「俺が焚き付けたんです。殺してもいいって、もっとやればいいって、隠せば平気だって」


 ぎりぎりと歯を食いしばる音。父の顔がみるみる赤くなった。

「きさま」と発せられた声は、低く掠れきっていた。


「私は、とんだ愚か者だったようだ。きさまみたいな奴に、条件を持ち出したなんて」

「そうですね」


(待っ──なに、条件……?)


 完全に置いていかれた俺を、三島がちら、と見る。淡々とした瞳のまま、彼は「そういうことだよ」と言った。


「俺をここに置いてもらう条件」


 そう言って、ぱた、とスマホをテーブルに置く。

 すっ、とロックを解除した画面には、メールの送信フォルダがあった。ずらずらと並ぶメール、そのすべてに写真が添付されている。宛先に書かれた名前は、父のものだった。


「な──っ……!」


 思わずスマホをむしり取る。そこには、俺の姿が何枚も映っていた。学校で、生研部で、食卓で、自室で。テキストにはずらりと、時刻と俺の行動が細かく記されている。


(こんなものが、〝条件〟って──)


 ぐら、と足の底が揺れた。スマホが手から滑り落ちる。ごとっ、と重い音を立てて床にぶつかる電子機器。三島も、父も、それを気にも留めなかった。

 うっすらと三島が笑う。挑発的な視線が、父を見上げた。


「残念でしたね。よりによって俺なんかに、息子の監視を頼むなんて」

「ッ──!」


 父の顔が激しく歪んだ。「達也!」と叫び声。反射的にびくっとする。

 ぐるっ、と父の身体がこちらに向いた。大股で歩み寄られ、俺は数歩後ろに下がる。

 すぐ目の前に、憤りで歪んだ顔があった。「おまえは」と掠れた声。


「私はいつも、付き合う相手は選べと言ったな」

「っ──それ、は」

「残虐な真似は二度とするなとも言った」

「……ッ」


 父の手が、テーブルに置かれた空の花瓶を手に取った。ぞっ、とした。


「静江はもう条件にもならんが……罰は必要だ。わかるか」

「わ──」


 わかって、たまるか。言いたいのに、喉の奥が縮こまって、うまく言えない。

 父は絶対だ。物心つく前、ずっと小さな幼児の頃から、それを叩き込まれて生きてきた。ここまで激怒した父を見たことがない。震えるほど怖かった。でも。


「ち、がう……三島じゃ、ない……」


 これだけは言わなければならないと思った。なけなしの勇気を振り絞って口にした。

 だが、俺の反発は父の怒りに火を付けた。これ以上ないはずの目の前の表情が、さらに激しく歪む。いい加減にしろ、と震える声。


「あれも違う、これも違うだと!? 子供でももう少しマシな言い訳をする!」

「ちが、だって──」

「ッ……父親に、」


 視界の隅で、父の腕が翻る。細長い花瓶を握り込んで、振りかぶったそれが室内の明かりでにぶく光っている。


(あ──ッ)


 頭を抱えたのは反射だった。背が丸くなり、とっさに防御の姿勢を取る。

 ぎゅっと目を閉じるのと同時に、叫び声が降り落ちてきた。


「口答えを、するな!!」

「っ……!」


 空を切る音。ゴッ、と鈍い打撃音。ひっ、と喉の奥が鳴る。


 だが、明らかにひどい音がしたはずなのに。いつまで経っても痛みは訪れなかった。

 代わりにやってきたのは、腹のあたりになにか、どっ、と重いものがもたれかかる感触。

 おずおずと目を開けた。そこには、


「三島……!?」


 こめかみを殴打され、血を流してふらついている三島がいた。

 あ、と間抜けな声を上げる俺の身体にもたれかかり、三島がずるずると床に崩れ落ちる。


「おまえ、なにして──」


 片脇の下に手を差し込んで、支えた。それでもバランスが取れなくて、三島はずるりと床に尻餅をつく。二の腕を掴む形になって、俺は呆然と三島と、それから父を交互に見た。


 ちっ、と激しい舌打ちの音。放り捨てられた花瓶が、床の上でゴッ、と音を立てる。その底部が血で汚れているのが見えて、ぞっと恐怖がこみ上げた。


「──気分が悪い。私は仕事に行く」


 吐き捨てるようにそれだけ言うと、父は荒々しくダイニングを出ていった。ばしん、と耳に痛いほどの音量でドアが閉まる。重く荒い足音。しばらくして、玄関ドアの開閉音と、錠が回る音がした。


 それきり、嘘みたいに静かになる。

 俺は呆然として、ただバカみたいにぼうっとしていた。


 下の方から、はっ、はっ、と短い息の音。我に返る。

 見下ろせば、崩れ落ちた三島は荒く短い息を何度も繰り返していた。こめかみが腫れ上がって、血がにじんでいる。痛々しい傷だった。


 ぐっ、と助け起こす。思ったよりあっさりと引っ張り上げることができた。手応えはひどく軽い。だがそれは三島が立ち上がろうとしたためではなく、体重が軽すぎるせいだった。

 よろめいた三島の身体をとっさに支えて、おい、と呼びかける。


「おまえ──なにやってんだ、バカ!」

「……は、ははは、なんだろうな」


 力なく笑う三島。だが顔色は真っ白で、くちびるは震えている。脈を取ってみると異常なくらい早かった。非常事態の興奮で、脳内物質の分泌がおかしくなっているのだろう。


「っ……バカか、ほんとに……!」


 見せてみろ、とこめかみの傷を見る。血こそ出ているが、傷は表面だけだ。なら、と俺は三島に呼びかけた。


「気持ち悪いとかあるか。手に力は入るか。指先のしびれと、あと目の見え方──」

「脳は無事」


 確認事項の意味を正しく取った三島は、端的に状態を告げる。手をかざして、ほら、しびれてない、と言う。だがその指先は小刻みに震えていて、俺は思わず三島の手を握りしめた。


「ほんと、なにやってんだよ……」

「さあ」


 自分でもわからない、という声に、胸の奥が切なくなった。「バカか……!」と何度目になるかわからない罵倒を繰り返す。


「おまえ、俺以外にこういうこと、されたくないんじゃなかったのかよ……」


 絞り出した声に、三島が黙り込む。ふーっ、と息を吐く音がして、かすかな微笑みが真っ白い頬に浮かんだ。そうだけど、と笑み混じりの声。


「だって。友達だろ」


 そんなこと理由になってたまるか。言いたいのをぐっと堪える。

 友達だなんて嘘ばっかりだ。俺たちが友達だったときなんて、一度もなかった。そんなこと、俺も三島もわかっているはずなのに。


 三島が、脈打つ心臓をなだめるように胸に手を置く。以前の三島がよくやっていた仕草に、ぐっと切ない気持ちになる。色のないくちびるから、あのさ、と声が聞こえた。


「たぶん俺、おまえのためなら、なんでもできるよ。だから」

「っ……」


 だから、俺の時間を止めてくれ。そう続くのはわかっていた。それでも、痛いほど心が揺れた。そんなことちっとも嬉しくない、と思った。


 続く言葉なんかひとつも聞きたくない。それ以上を封じるように、ぐっと三島を引き寄せた。

 細すぎる身体を抱きしめて「バカが」と耳元で言う。三島は一瞬だけ息を呑んだけれど、抵抗しなかった。

 ただ小さく笑って「なあ」と俺に呼びかける。


「ちょっと、……疲れたかも」


 少しでいい、眠りたい。そうささやく三島に、わかったと返事をした。かたくなに食べない、眠らない男が、こんなことを言うのは初めてだった。


 よろめく身体を支えて、ゆっくりと部屋に連れて行く。簡単にこめかみの手当をして、ベッドに横たえて、布団をかぶせた。眼鏡を外してやった。それくらい自分でできると言う言葉はすべて無視した。


「最低でもあと六時間は注意して見とくからな。具合おかしかったらすぐ言えよ」

「わかってる……」


 頭部の怪我は油断できない。俺が言い含めると、三島はかすかに苦笑する。

 どうせ、と続いた言葉の先を聞きたくないと黙殺して、さっさと寝ろと呼びかけた。

 三島がふっと目を閉じる。それきり、彼はあっという間に眠りに落ちていった。


「……」


 静かだった。がらんとした自室の中に、三島の寝息だけがかすかに聞こえている。俺は机から椅子を引っ張り出すと、ベッドの傍に据え付けた。腰を下ろす。


 膝の間で指を組んで、じっと三島を見下ろした。白い頬、少しずつ血色の戻ってきたくちびる、ガーゼを当てられた痛々しいこめかみ。

 俺のためならなんでもする、だから終わらせてくれと、俺だけに加害されたいのだと、そう願っている男。


「っ……」


 手を伸ばして、こめかみのガーゼに指先で触れた。反応はない。じわりと赤がにじんできたガーゼは痛ましくて、悲しくなる。襟首から覗く赤い傷すらちっとも治りきっていなくて、無性に苦しくなった。


 心臓の奥がひどく痛くて、やるせなかった。

 なんでこんなことばかり起こるのかわからない。いつもいつも、どうしてこんな風になってしまうのだろう。


 見下ろした三島の寝顔は静かだった。いとけない、子供みたいな寝顔だった。きっと幸福になるべき男だった。苦しくて仕方なかった。


(どうして、三島が)


 こいつがずっとずっと苦しんできたのは、こんな風になってしまったのは、ひとつだって三島のせいじゃないのに。どうして。


 ヘアピンが髪にからまって、耳元では青いピアスが光っている。俺の意志とは関係なく、ぞわぞわするものが湧いてきて、そっと手を伸ばしていた。


 ゆっくりと指の腹でピアスの表面を撫でて、渦を巻く汚いものにひたすら耐える。

 加害したい、引きちぎりたい、ほとんど渇望じみた欲望が苦しくて、自分自身を心底嫌悪した。


 なんでこんな現象があるんだろう。こんなものさえなければ、もう少しマシな現実が待っていたかもしれないのに。

 どうしようもない理不尽を、これほど苦しく思ったことはなかった。痛いほどの悲しみが俺を襲った。


 ピアスを撫でる指を離して、乱れた前髪をそっと整える。散らばった髪の合間に現れる、閉じた目元は穏やかで、とても静かだった。いとけない寝顔だった。こんな風になっていい男ではなかった。


(この男が、誰かに大切にされてほしい)


 俺じゃない誰かに、まっとうに大事にされて、きちんと守られてほしい。一度も与えられることのなかったものを、誰かが三島にそそいでやればいい。俺じゃない、誰かが。


 頼むからお願いだと、誰とも知らぬ人物に祈った。

 どうか幸福であってほしい。どうしようもない天敵でも、破滅を招く男でも、俺にとっての悪魔でも。それでも、俺は三島に幸せでいてほしい。


「……っ」


 閉じたまぶたの裏で、じわりと熱いものがにじんだ。

 理由などわからない、感情の名前なんて、ひとつたりも知りはしない。それでも、この男は俺にとっての唯一だと思った。それだけが全てだと感じた。


 その夜、俺は眠らずに椅子に座って、ずっと三島のそばにいた。

 規則的な寝息がちゃんと続いていることを数十分おきに確認して、泣きたいような気持ちのまま、無事に朝が来ることを一晩中願っていた。



 

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