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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【後編 / 02】 蛹室にて

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 週末は憂鬱だ。

 父が休みのときは家の空気が地獄みたいでいたたまれない。そうでないときはそうでないときで、三島と二人きりで一日過ごさなければならない。


 今日は後者だった。家の中には俺と三島しかいない。憂鬱だった。

 朝からいつもの走り込みを済ませる。現象を落ち着かせるためのおまじない。母を奪われた今となっては、もはや意味のない行為だと思っていた。


 でも、三島の首を絞めたとき、わかった。

 母がいてもいなくても関係ない。俺はまだ人間でいたい。三島の思うようにはならない。絶対に。


 その決意を守るためにも、できることはすべてしなければならない。自分を律するのには慣れている。耐えなければならなかった。


 あの悪魔みたいな誘惑に、いつまで抗えるかわからない。それでも、諦めたら終わってしまう。それが怖かった。


 数キロの走り込みを終えて、額をぬぐって家に戻る。

 朝食はすでにできていた。食卓に三島はいない。台所を覗けば、水切りカゴに三島のマグカップが伏せてあった。どうやら先に〝朝食〟を済ませたらしい。


(……ほんと、もうちょっと食わせねえと)


 三島は、食事なんて最低限しか取っていない。きっと味覚障害のせいもあるだろう。なにも味がしないものを、無理やり詰め込んだって苦痛なだけだ。


 さらに毎朝のコーヒーだ。空きっ腹にそれしか入れなくて、胃が荒れないわけがない。食欲なんて余計に落ちるだろう。


 どうしたもんか、と眉間に皺を寄せる。いちおう、三島が唯一まともに食事を取るタイミングはある。俺と差し向かいで弁当を広げるときだ。あのときだけは、三島も普段より食べている。


(あれ、あんま続けたくねえんだけどな……)


 教室中の視線が集まって皮膚がぴりぴりするし、食事を終えて席に戻ると、友人たちの問いたげな雰囲気がいたたまれない。


 明らかに事情がありそうということで、表立ってつっこまれたことはない。それでも、興味本位の空気だけは痛いほど感じられて、俺はいつもなんとか話題をそらすのだった。


 ため息交じりにテーブルに付く。無駄にきちんとした朝食にも、すっかり慣れてしまった。

 今日は無味か過味かどっちだろう、と思いながら箸を取る。相変わらず、三島の料理は味のばらつきがひどい。


 味のない味噌汁と塩辛すぎるおひたしを交互に口に入れて、すべて平らげて。流しに皿を下げておく。どうせ後で三島が洗うだろう。


(そういや、三島はどこだろう)


 家の中にはいると思うのだが。また暇だからとあれこれ掃除でもしてるんだろうか。

 まあいい、とシャワーを浴びる。着替えを済ませて、今日はどの本を読もうかな、と考えた。そういえば、未読の本が減ってきていた。そろそろ本屋に行ってもいいかもしれない。


 つい、三島を連れて行ったら喜ぶかな、なんて考えていた。ベストセラーの小説を立ち読みしながら、きらきらした目で頬を上気させていたあの姿。


 思い浮かべてすぐ、ひどい気持ちになった。あの単純でわかりやすかった三島はもういない。彼の誠実は失われて、代わりに悪魔みたいなささやきが訪れた。俺の時間を止めてくれ。甘ったるい呼びかけが、耳にこびりついて離れない。


 振り切るようにぎゅっと目を閉じて、開けて。濡れた髪のまま階段をのぼった。本以外にも読むものはある。どうせなら面倒で放置していた、専門的すぎる英語論文にでも手を出してみようか。


 二階の廊下に出て、自室に戻ろうとしたときだ。ふと、ひとつのドアが開いているのが目についた。俺の部屋じゃない。その隣だ。


(隣って──あ)


 あの部屋が、なんの部屋なのか。それを思い出して、俺はすうっと血の気が引くのを感じた。

 慌てて駆け寄り、室内に踏み入る。入れっぱなしの空調の風が頬を撫でる。ラックまみれの部屋の真ん中で、後ろ姿の三島が立っていた。


「……三、島」


 ぽつりと呼びかける。三島が振り向く。その顔には静かな笑みが浮かんでいた。眼鏡ごしの瞳が細くなって、宗像、と俺を呼ぶ。


「やっと来たんだ。何日ぶりかな」

「あ……」


 何日ぶりかなんて、もう思い出せない。この部屋の存在すら忘れていた。いつだって空調が入れっぱなし、電気もつけっぱなしの、薄ら寒い飼育室──


「全滅してるよ」

「っ……!」


 三島がにこりと笑った。当たり前だよな、と笑い声。


「箱の中に囲い込んだ生き物を、世話もせずにずっと放置したんだ。死んで当然だよな」

「……あ……」


 俺は呆然と、飼育箱を見た。ばらばらと地に落ちて、丸くなった幼虫たち。明らかに死んでいる。

 成虫のカーテンは三島の手によって開けられていて、箱の中には蝶の死骸が散らばっていた。

 黄色と黒、警告表示と同じ色の、大量の翅たちが、箱の底に折り重なっている。


(そんな──)


 生き物を見殺しにした。身勝手に繁殖して、箱の中に閉じ込めて、それなのに世話することを放棄して、死ぬまで放置した。


 いずれ自分で殺すつもりの生物だったのに、その事実は俺の罪悪感をひどく刺激した。

 死ぬまで存在を忘れられ、関心なく放置される。ただ殺すよりひどいと思った。

 愕然としている俺を見て、三島が楽しげに笑う。


「もったいないことしちゃったな」


 なにがどうもったいないのか、言われずともわかっていた。こみ上げるのは嫌悪だ。三島の発言に対するものと、自分自身に対するものと。


 三島が、成虫の飼育箱を開けた。無造作に腕を突っ込んで、蝶の死骸をひとつかみ取り出す。見せつけるみたいに手を開いた。


 ばらばらと床に落ちる翅。警告表示の色。ひどい眩暈がした。

 この男に、俺はとっくに踏み込まれている。絶対に入っちゃいけない場所に、三島は容易に入り込む。俺のことをぐしゃぐしゃにする。

 顔を歪めて立ち尽くす俺に、三島はくす、と笑いかけた。


「ああでも、もう必要ないんだっけ」

「どういう……意味だ」


 あまりにも力ない返答に、三島はうん、と一歩踏み出す。靴下の足が蝶を踏む。

 近寄ってきた人影に、下からそっと覗き込まれて、淡い微笑みが俺を見つめる。ぞくぞくするのと同じくらい、もうやめてくれと思う。悪魔みたいな、甘ったるい声。


「お母さんも、知識も、マウスも蝶もなくったって。宗像には──俺がいるもんな」


 心底嬉しそうに微笑まれて、ぐらり、とした。足の裏が急に心許なくなって、心と身体が一気に揺らぐ。

 楽しげな三島の声は、刃物みたいに俺を刺した。腹を裂くマウスも翅をむしる蝶もいなくても、おまえには俺がいる。それはつまり、


(おまえ、自分のこと、そんな風に思ってるのか)


 とっくにわかっていた事実だった。それでも、心が痛かった。

 訪れたのは痛切な、悲しみに似た、痛いような切ないような深い情動。あの現象を打ち消すほど強い、名前を知らない強烈な感情。


「ちがう……」


 気が付けば、震える声が絞り出された。三島がぴくりと反応する。伺うような視線。震えながら口を開いた。


「おまえは、蝶とは違う」

「じゃあ、なんだよ」


 わからない。わからないけれど、三島は、三島だけは違う。おまえは俺に蹂躙されていい存在じゃない。殺されていい人間じゃない。


 三島はいい奴だった。愚かでも誠実だった。いくらごまかしても構わない、大丈夫というたった一言に操を立てて、恐怖に耐えるような男だった。俺のどうしようもない吐露に、わかるよと言ってくれた人だった。もっと幸福になるべきだった。


 泣きたいような気持ちになる。どうしてこんなことばかり起こるんだ。どうせ罰だというのなら、俺だけでよかったのに、なんで、三島まで。


 手を握りしめ、耐えている俺を見て、三島がやんわりと苦笑した。拳の上からそっと撫でられて、ぞくりとする衝動が押し寄せる。震えながらそれに耐えた。


 傷付けたくない。まだここにいたい。人間でいたい。どうしてかはわからない、それでも、俺は三島と一緒に、あちら側には落ちたくない。


「やっぱり、宗像にはまだ早いかな」


 あのときの、接近する電車に向かって黄色い線を踏み越えたときと同じ口調で、三島が言う。違うんだと思う。


(本当に、そういうんじゃないのに)

 どうして、わかってくれないんだ。


 どうしようもなく悲しかった。それでも現象は俺の中で渦を巻いていて、この男を加害したい、その欲望が、ずるずると俺を駄目にする。


 大切にしたいのと同じくらい殺したかった。この男の首に手をかけて、喉元に刃物を突き立てたら、どれだけすっきりするだろうと。そんなことを思う自分がいちばん、嫌だった。


 握りしめた拳を、三島が指一本ずつほどいていく。てのひらを重ね、指を絡めて、ゆっくりと手を握られる。こみ上げるのは哀切な感情だ。たとえ悪魔みたいな天敵でも、こいつは幸福になるべきだった。なのに。


「なあ、友達だろ。俺の時を止めてくれよ」


 おまえを信じてるんだ。ささやきは毒みたいに俺を痺れさせた。絶対に嫌だと思った。かろうじて入るぎりぎりの力で、三島の手を振りほどく。ほとんど無力な抵抗に、それでも三島は素直に手を引いた。


「ほんと、いくじなし」


 甘ったるい笑い声。眩暈がする。そういうんじゃない、言いたいのに、くちびるが動かない。

 俺は無力感に耐えて下を向いた。三島がまた笑って、後始末しようか、と俺を誘った。


 二人で、大量の蝶や幼虫、それからケージの中身を処分した。

 死骸とはいえしょせん蝶だ。哺乳類でも鳥類でもない。なにか特別な埋葬が必要とも思えなかった。庭先に埋めることも考えたが、数が数だ。現実的ではなかった。


 しょうがなく燃えるゴミに出すことにした。ビニールに大量に詰め込まれた生き物だったものと、彼らの暮らしていた残骸。見るだけで、罪悪感と自責の念が俺をひたすら打ち据える。


 量が量だったため、キッチンの奥にあるいちばん大きなゴミ箱に突っ込んだ。台所にこんなものを捨てるのはためらわれたが、三島が構わないと言ったのだ。


「どうせ俺しか使わないし、ここ」


 そう言われては返す言葉もない。俺は素直にゴミ箱に袋を入れて、蓋を閉じた。

 三島が踏み潰した死骸の鱗粉で、飼育室の床は汚れていた。それをすっかり拭き取って、手を洗って、ダイニングに戻った。キッチンに三島の姿が見えた。


 三島はゴミ箱の前に立っていた。横顔には淡々とした無表情が張り付いていて、彼は無造作にゴミ箱の蓋を持ち上げた。腰を曲げ、中身を覗き込む仕草。


 じっ、と眼鏡の奥の瞳が、中の死骸を見つめる。名前のない宝石みたいな、危なっかしい瞳。それがすうっと細くなって、三島は嬉しそうに笑った。ぞっとした。


「──やめろ」


 ダイニングのほうから、短く呼びかける。三島はふとこちらを向き、あの不思議な色の眼差しで俺を見て、笑って。ゴミ箱の蓋をぱたんと閉じた。


「うん。そうだな」


 なんの頷きかわからない相槌。痩せた手が、ゴミ箱の表面をそうっと撫でる。慈しむように目元が細くなり、三島は小さく息を吐く。

 それはまるで、同類を弔うような手付きだった。



 

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