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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【後編 / 01】 メフィストフェレス

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 それから、三島と俺、そして父の奇妙な同居生活がはじまった。


 ただ、同居とはいえ、父は多忙だ。帰宅は遅く、夕食をともにすることも滅多にない。ただ朝だけはちらほらと三人でいることがあって、そのたびに俺は死ぬほど気まずい思いでパンを口に運んでいた。


 父は新聞を広げて一言も喋らなかったし、三島は目を伏せて淡々とコーヒーを飲んでいる。俺だけがいつもいたたまれない気持ちで、父と三島と俺という、不自然なダイニングに縮こまっていた。


 当たり前のように三島が洗い物を担当し、父は夕食の有無だけを告げて家を出ていく。

 俺はなにもしていない自分を持て余しつつ、身支度をして三島と同じ電車に乗った。


 そうして数日が過ぎた。家でも部活でも三島とともに過ごす日々は、どこか息苦しくて、不安定で、甘いような怖いような、得体の知れない緊張に満ちていた。


 教室では〝完璧〟の形を保っている。部活は三島とふたりだし、家でさえ様子のおかしな三島と、寝るまで一緒に過ごしている。心休まる時間など一秒たりとも存在しない。俺はだんだん疲弊していった。



 久しぶりの雨、梅雨のそれにしては激しすぎる水の音が、窓の外でざあざあ響いている。

 がらんとした生物室の中、俺と三島はやや離れたところにぽつんと座っていた。


 生研部の活動は、ほぼ停止していた。

 最低限のマウスの世話だけして、他にはなにもしていない。下校時間を知らせるチャイムが鳴るまで、無言で椅子に座っているだけだ。


 室内に漂う、なんとも言えない緊張感。息が詰まる。

 俺は逃げるように襟元に手をやった。雨のせいもあるだろう、ゆるい空調しか入らない生物室はじめじめと暑い。


 ちら、と少し離れた三島を見やった。横顔がぼんやりと、どことも知れぬ場所を見つめていた。

 三島の怪我は少しずつ回復している。それでもガーゼはまだ取れないようで、治りかけ特有のどす黒い痣が痛々しかった。

 ヘアピンで留められた耳元から、きれいなピアスが覗いている。海の底みたいな青。ぞわぞわする。


 三島がなんのために、わざわざピンをつけているのか。うっすらとした予想はあるものの、深く考えたくはなかった。

 俺は視線を逸らそうとして、けれど身勝手な視線があの青に吸い付けられるのを、どうしても止めることができなかった。


 ぞくぞくと現象が動き出す。衝動をばらまき、欲望を掻き立てて、俺の底で黒いものが渦を巻く。

 あの青色を、親指で撫でて、優しくつまんで、できるだけゆっくりと引っ張りたい。まだ薄いかさぶたの残るピアスホールを、今度こそ引きちぎってやりたい。


 想像するだけで全身の産毛が逆立った。皮膚のいちばん薄い表面がなぞられたようにぞくぞくして、俺は自分を飲み込もうとする現象に、押し流されてしまいそうになる。


 ふと、三島がこちらを向いた。ばちっ、と視線が交わる。その途端――彼は淡い微笑みを浮かべた。

 誘うような、罠にはめるような、甘ったるい毒みたいな表情だった。


「どうしたんだよ、宗像」


 笑みと吐息にまみれたささやき。その声音からは、俺がなにをどうしたいのか、完全にわかっている、という意図が伝わってきた。

 目を背けたいのにどうしてもできなくて、俺はただ動物みたいに喉を鳴らす。三島がくっ、と笑った。


「すごい顔」

「……うるせえよ」


 楽しげな声にイライラする。だけど同時にぞくぞくするほどそそられる自分がいて、うんざりした。

 もう嫌だ、あっちに行きたい、楽になりたい、どうせ三島は拒否しない。それがはっきりわかるから、余計につらかった。


 ぎりっ、と手を握り込んで、俺を震わす現象に耐える。

 不条理で、理不尽で、ちっぽけな人間の力などまるで及ばない大きなもの。それでも、飲み込まれるわけには行かない。理由はわからない。もう母は戻ってこないのに、なぜ。


 喉がからからに乾いて、どうしても目が逸らせない。バカみたいだと自分でも思う。それでも、逃げることができない。

 三島が笑う。立ち上がり、椅子がかたりと鳴る音。


 三島が、ゆっくりと歩み寄ってきた。ぴくっ、と俺の肩が揺れる。逃げたい、と思うのと同じくらい、逃げたくない、という情動が襲ってきて、混乱した。


 すぐ隣の椅子に三島が腰を下ろす。ピンで留めた耳元を晒したまま、彼はやや上目遣いで俺を見上げた。ぞわぞわした。


 脳裏に蘇るのはあのときのことだ。

 崩れ落ちた俺が慟哭して、熱っぽい指が俺の顔を上げさせた、あのときの。薄く開いたくちびるから漏れた言葉まで思い出して、俺は苦々しく口を開いた。


「……あのときの、あれ。どういう意味」

「ん? どれだっけ」


 明らかにわかっている口調で言われて、苛立ちと抵抗を込めて三島を睨む。それなのに彼はどこ吹く風とばかりに微笑んでいる。ますます強く睨みつけた。

 ふ、と息を吐く音がする。三島が軽く肩をすくめた。やっぱりすごい顔、と小さな声。


「俺にしなよって言ったやつ?」

「覚えてんじゃねえか……」

「まあな」


 三島は軽く目を伏せて、くすりと笑った。そして視線を持ち上げる。

 眼鏡の向こう、危なっかしい、あの不思議な色の瞳が、じわりとにじんで揺れていた。


 眼差しが細くなって、三島の手がするりと伸びてくる。

 膝の上できつく握った手に触れられて、びくっ、と身体がこわばった。楽しそうな笑い声。


「俺が怖い?」

「んなわけ、ねえだろ……」

「そう」


 ゆっくりと手を持ち上げられる。

 握り込んだ指を、一本ずつ開かれて、三島の指がそっとてのひらに絡みつく。手を握られただけなのに、全身が囚われているようだと思って、身体中の皮膚がぞわぞわした。

 さっきからずっと笑みを隠さない三島が、そのまんまの意味だよ、とささやく。


「そのまま、って――」

「だから。そのまま」


 つい、と握った手を引かれた。抵抗したいのに、なにもできない。

 なすすべなく手を引かれ、ピンのせいであらわになった耳元に、俺の手が近付いていく。三島が微笑む。


「いいんだよ、引きちぎっても」

「っ……!」


 呼びかけは、まるで悪魔のようだった。

 語尾の掠れた、俺より少し高い声。震えそうになる。一瞬で欲望がこみ上げて、腹のいちばん底で、現象がぐるぐると喉を鳴らす。指先がびりびりと痺れて、じいん、となにかが背を震わせた。


 くちびるを噛み締めて、必死に耐える。どうして耐えているのか、理由がわからない。耐えるだけの根拠など俺にはもうとっくに残っていなくて、それでも、バカみたいな忍耐を続けている。


 三島が、しょうがないものを見るような目で俺を見つめた。やわらかな眼差しが、硝子レンズの奥で光っている。

 ざあざあと雨の音がする。外も中もこんなに湿気に満ちているのに、じっとりした皮膚感覚、それなのに喉の奥ばかりが乾ききっている。


「じゃあ、……手伝ってあげる」


 歌うような声がした。指先をいじられて、耳を摘まされる。その上から、痩せた手が重ねられた。

 ぴったりと触れ合った皮膚から、じわじわとなにかが浸透してくる。怖いような甘いような、毒みたいな、悪魔的なものが。


 三島はうっすらと笑うと、ゆっくりと、俺の手ごとピアスを引っ張った。ひくっ、と喉の奥が鳴る。

 少しずつ細くなるピアスホール。どくどくと心臓が鳴って、逃げたいのに続けたい自分が、俺をどうしようもなく混乱させた。


「やめろ」


 三島は聞き入れない。ただ淡々と、俺の手を操っている。


「ちがう――」


 今すぐにやめさせたい。ずっと続けていたい。もっとほしい。どろついた赤い色が、あの青を汚すのを、どうしても見てみたい。


「やめてくれ、」


 どくん、どくん、と全身が脈動した。

 ぶるぶると心臓の奥が震えて、欲望と拒絶と、恐怖と陶酔が、俺をばらばらにする。

 指先に勝手に力がこもりそうになる。三島の補助を超えて、ほしいままに振る舞いたくなって、でも――


「三島――ッ!!」


 ほとんど悲鳴、みたいな声だった。

 ばしっ、と三島の手を振りほどく。殴るような勢いで振り抜かれた手はかすかに震えていて、三島がぱちぱちとまばたきをする。

 耳元は――無傷だ。無事だった。


 はあッ、はあッ、と肩で息をする。心臓が、破れそうなほど脈打っていた。

 じいんとした余韻に身体中が満ちていて、ぞくぞくした痺れがまだ、ちっとも抜けてくれない。目を閉じてそれに耐えた。


「……」


 ふ、と吐息が聞こえた。うなだれたまま、そろそろと顔を上げる。

 三島は薄く目を細めて、つまらなさそうに俺を見下ろしていた。


「……いくじなし」


 それだけを言って、三島は淡く微笑んだ。

 本当に、一度も、見たことのない顔だった。


(この男は――どうしてしまったんだ)


 まるで別人だ。あの愚かで単純でわかりやすく、誠実で真面目だった三島は、もはやどこにも見つからなかった。


 ほとんど呆然と顔を上げる。自失したままの俺をよそに、三島はさっさと立ち上がって、なにやら準備をはじめていた。


「解剖。今日はどうするんだ」

「……っ」


 そんなこと、する気にもなれない。〝現象〟に余計な餌をやりたくなかった。これ以上ひどいことになりたくない。

 ゆるゆると首を振る俺を見て、ふうん、と三島は紙を取り出す。ぺらりとめくったそれは、解剖の手順書だった。


 それきり、三島はふいと身を翻した。準備室と生物室を行き来して、解剖道具を用意する。マウスのケージを取り出して、換気扇のスイッチを入れる。

 ぶん、という駆動音と共に、室内の空気がゆっくりと循環しはじめた。


「俺の話、聞いてたのかよ」


 今日はしないって言ったろ、と続けようとして。ぱちん、とゴム手袋をつけた三島が、すっとハサミを手にするのを見て絶句した。おまえ、と言いかけて、言葉にならない。

 三島がちらりと俺を見て、揶揄するように笑った。


 ケージの中に突っ込んだ手が、一匹のマウスを掴み出す。腹を上にして転がし、バンドで固定する。うごめく小動物の手足。三島が目を細める。


「麻酔は――いいよな」

「っ……」


 返事が、できなかった。

 三島は俺の返答など待っていないようで、うん、と小さな相槌を唱えている。「えーっと」と手順書を見る視線が、紙の上を滑っていった。かちかちと中空で動かしたハサミが光る。


 雨の音。じっとりした、水っぽい空気。息を呑む俺、静かな目の三島。



 ──その日、三島はひとりでマウスを解剖した。胃潰瘍はできていた。



 

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