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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【後編 / 01】 メフィストフェレス

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 気分が悪い。コンディションは最悪だった。

 あの解剖のあと、俺と三島はまったく無言のまま家路についた。同じ電車の中で視線を合わせずGに揺られて、傘と傘のおかげで少し離れた距離を歩いて、黙って家の鍵を開けた。


 そうして、簡単な着替えを済ませて、リビングとダイニングにわかれて座って、夕食が届くのをじっと待った。本を読む気にもなれなかった。

 テーブルの上に両肘をついて、組んだ手の上に額を置く。胸糞の悪さにじっと耐えた。


 思い出されるのは血の匂いと、ハサミが肉を裂いていく音。そして鋭く高いマウスの悲鳴だ。

 三島は麻酔を使わなかった。マウスの悲鳴は最初は耳に痛いくらいだったが、すぐに聞こえなくなった。


 あんなもの学術でもなんでもない。ただの悪趣味な露悪行為だ。

 わかっているのに、俺はどうしても、三島の行為から目をそらせなかった。嫌になる。


 腹を開かれ、ばらばらにされていくマウスを見て、俺の心はわずかしか高揚しなかった。

 それよりも、視界の隅でしきりに存在を主張するピアスの方が、よほど強烈に俺を魅了した。そのことがなにより堪えた。


(俺は、まだ――大丈夫でいられるのか)


 蝶を殺した。マウスを殺した。猫は殺さなかった。

 でも、俺はいずれ、三島を。


 血の匂いが充満する生物室で、こみ上げたのは間違いない加虐欲だった。

 すぐ目の前に残虐に潰されていく小動物がいたというのに、俺の注意は三島のほうにばかり向いていた。


 怖かった。自分がどうなってしまうか、どうすればいいか、まるでわからない。

 あの男を加害したい、その欲望の輪郭が、日に日にはっきりしていくのが、怖かった。


 永遠みたいな時間がだらだらと過ぎて、ポーン、とチャイムの音。

 はっと顔を上げる。カーテンが閉まっていた。どうやら三島が勝手に閉めたらしい。


 俺はのそのそと立ち上がると、インターホンを確認した。

 いつもの配達員だ。夕食の時間らしい。張り詰めた息を吐いた。玄関に向かい、デリを受け取る。


 ダイニングに戻ると、三島はすでに箸を並べていた。すっかり慣れた手順で、グラスが二つ並べられる。中身は麦茶だ。三島が勝手に買ってきたものだった。


「……食事、来たから」

「うん」


 言葉少なに準備して、対面に座って食事を取る。

 三島の箸は相変わらず、びっくりするほど進んでいなかった。ほとんどの料理に手を付けきれず、いつも半分以上残すこともざらだった。


 これ以上痩せたらぶっ倒れるぞ、と思って、でもこの男はすでに一度倒れている。そこまで思い出して、あのベッドの上で見上げてきた蕩然とした眼差しが蘇って、ぞくっとした。必死で振り切る。


 はあっ、と息を吐いて箸を下ろした。眉間に寄った皺、目の間をぐりぐりと揉む。

 疲れていた。家の中ですら気が休まらない。そんなのはずっと昔からだったけれど、三島が来てからはなおさらだった。


(俺が唯一安らげる場所は、もう――……)


 じわり、と苦い感情がこみ上げる。

 あの格子で囲まれた白い病室で、母の前に座っている間だけは、他の誰でもない、ただの宗像達也で、母さんの息子でいられた。息継ぎの間だけでも自由にできた。思ったことをそのまま話せた。


(でも、母さんは二度と戻ってこない)


 父は有言実行の人、やるからには徹底する人物だ。本気を出せば、母の居場所を隠すことなど造作もない。『おまえを監視している』という言葉だって本気だろう。下手したら家中にカメラがあってもおかしくない。まるで母の妄想みたいだ。


 現実にうんざりして、箸を握り直したとき。三島がかちりと箸を置く音がした。顔を上げる。三島の食事はほとんど減っていなかった。今日はとりわけ食が細い。思わず顔をしかめた。


「おまえ、もうちょっと食わないと――」

「なあ、宗像」


 ぽつり、とした声に言葉を飲み込む。

 三島はすっと顔を上げると、不思議な色の瞳で俺を見つめた。静かに言う。


「宗像って、俺のことばっか気にしてるよな」

「え……」

「こないだの怪我とか、俺のうちのこととか、食事がどうとか、ちゃんと寝てるかとか」

「それは」


 三島の言うとおりだった。嫌悪と拒絶はたしかにある。それでも、俺はなんだかんだ三島を気にかけていた。

 だってしょうがないだろう、三島の様子はどう見ても尋常じゃなくて、誰が見てもその豹変ぶりは明らかだったのだから。


 苦い気持ちで黙っている俺を見て、三島が小さく息を吐く。ふ、と頬のあたりに皮肉げな笑みが浮かんだ。


「あのとき、俺のために病院に行くのを止めたから、こんなことになってるのにな」

「……っ」


 半ば笑み混じりの、皮肉みたいな声に、ぐっと憤りがこみ上げる。

 なんでこの男は、わざと俺を逆撫ですることばかり言うのだろう。失言なんかじゃない、明らかに狙って放たれた言葉に、俺はじっと苛立ちを耐える。


 反応のない俺に、三島がつまらなさそうな顔をした。ますます嫌悪が大きくなる。そうだよ誰のせいだと思ってるんだ、怒鳴りたい気持ちを必死に抑えた。


 だってそんなのはただの八つ当たりだ。あの終わり方はたしかに三島のせいだった、でも。俺が母を取り上げられたのは三島のせいじゃない。契約をやぶったせいだ。


 ひたすらにくちびるを噛んだ。こんな怒り、正当でもなんでもない。俺はたしかに合理的になれない子供だけど、わかっていて理不尽を他者にぶつけることはできなかった。


 それでも睨むことだけは避けられなくて、俺は歯を食いしばって三島を見据える。苛立ちもあらわな視線、それでもなにかすることだけは駄目だと、テーブルの上できつく手を握りしめる。


 力の込め過ぎで白くなった俺の手を、三島の視線が淡々と見下ろした。つまらないものを見る目。ふ、と小さな声。


「ああ、そういうこと」


 納得したように三島が言った。にこ、とわざとらしい笑みが浮かぶ。


「もしかして。あのお母さんと離れられて、ほっとしてる?」

「な――っ」

「まあ、そっか。あんな人の面倒ずっと見るなんて、ろくなもんじゃないよな」

「ッ……」


 耐えろ。それだけを言い聞かせて、でも。

 三島が笑う。細くなった目、上がった口角から、楽しげな、からかうみたいな声が発せられた。


「よかったな、宗像」


 混じりっ気のない祝福、みたいな口調で言われて──とうとう、かっ、となった。

 ガッ、と椅子を蹴って立ち上がる。顔が熱くなって、食いしばった歯がぎりぎり音を立てる。


「クソが!! おまえに何がわかんだよ!!」


 だん、とテーブルを殴った。こっ酷い激情が心臓をぐちゃぐちゃにした。

 はっ、はっ、と息が短くなって、こいつのせいで、こいつさえいなければ、頭の中で思考がぐずぐず回る。


 こんな奴さえいなければ、もう少しでも、まともな終わり方があったかもしれないのに。なにもかもわかった上で、どの面下げて、笑って、こんな暴言を。


「ッ……!」


 気が付けばグラスを掴んで、思い切り投げていた。ほぼ直線の軌跡を描き、三島の頬をかすめたグラスが壁に叩きつけられる。水気混じりのけたたましい音。びしゃっ、と壁に薄茶色が飛び散って、ばらばらと破片が床に落ちる。


「……」


 その全てを受け止めて、三島は――黙ったまま座っていた。まったくの平常だった。

 治りかけていた頬の痣、その上にぴっ、と赤い線が走っている。みるみるうちにそこがじわりと滲んでいって、血が一筋、つうっと頬の上を伝っていった。


「あ――……」


 バカみたいにまばたきを繰り返して、現実をようやく認識する。

 壁を汚して伝い落ちる麦茶、砕け散ったグラスの破片、そして三島の傷。


(俺、は――)


 ふら、と一歩後ろによろめいた。座ろうとして、椅子が倒れてることに気付いて、かくりと身体が傾ぐ。俺はふらふらと姿勢を崩したまま、片手で顔を覆った。震える声が喉の奥から絞り出される。


「……悪い……」


 消え入りそうな声だった。それくらい、自分の行為に堪えていた。

 傷付けたいなんて、その欲望に流されたいなんて、思いたくはなかったのに。行動になんて移すつもりはなかったのに。


 けれど三島はとても静かな目で俺を見つめて、


「どうして」


 それだけを淡々と尋ねた。そして、眼鏡の向こう、あの不思議な色合いの目を細めて、よくわからない微笑みを浮かべた。ぞっとした。


 怖かった。この男は一体どうしてしまったんだ。

 三島がなにを考えているのか、ちっともわからない。ただただ得体が知れない。

 単純で愚かだったはずの男が、今の俺にはまるで正体のわからない悪魔みたいに見える。


 三島、と呼びかける声はあまりにもかすかで、返事などひとつも返ってこなかった。

 呆然と立ち尽くす俺を放って、三島は静かに立ち上がると、黙ってグラスの破片を片付けはじめた。



 

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