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父のぶんのデリを食べさせて、風呂に案内して、夜が深まってくる。
俺は早々に部屋へと引き上げた。団欒の気配などないリビングの、よそよそしい空間に耐えかねたとも言う。
だが、三島も俺のあとをついてきた。
なんでだよと思ったが、知らない家のリビングに一人で放り出され、家人がいつ帰るかもわからない状況の方が嫌なのだろう。当たり前だ。
俺はため息まじりに三島を部屋に入れた。客用布団を運び入れ、いつでも眠れるように整える。その間、三島はずっとベッドの上でぼんやり座っていた。
俺と三島で、話すことも特にない。
これが今までなら、あれこれ会話をしただろう。だが俺はもう、三島の前で自分を取り繕う気がなくなっていた。
三島だって俺の作った〝完璧〟を見抜いている。それどころか、俺の底になにが眠っているのかさえ、はっきりわかっているようだった。今さら、演技なんかする必要もない。
俺はため息まじりに机につくと、読みかけだった本を開いた。生物学の学術書。それからノートパソコンを起動して、関連の論文をいくつも表示させる。三島を放ったまま、ひたすら知識を詰め込んだ。
こんなもの、今さらなんの意味になる。もう母さんは戻ってこない。
父の言うことは絶対だ。子供の頃から、それを痛いほど叩き込まれて生きてきた。
母さんを取り戻すため、なにか行動を起こしたい。その欲求は、どうせ無駄だという強烈な無力感に、いともたやすく塗りつぶされた。
絶望と虚無感、そして背後で座っている男への、場違いすぎる憤り。
ぎりっ、と歯を食いしばった。くそ、と心の内だけで毒突いて、マウスを握る手に力がこもる。俺は努力して顔の力を抜いた。
背後のベッドに腰掛けた三島は、身じろぎひとつしなかった。息をしているかすらわからないほど静かだった。なんとなく、不安のような心許なさ。
放っておけばいいのに、俺はついつい振り返る。
三島は、膝を立てたまま、壁に凭れて座っていた。膝頭に乗せられた手、眼鏡の奥のあの瞳が、ぼうっと中空を見つめている。
そういえばうちに上げてから、三島は一度もタブレットを出していない。勉強どころか、本の一冊も取り出さない。普段の三島からすれば、明らかに様子がおかしかった。
「……予習とか、やんなくていいの」
ぼそっ、と声が出る。三島は視線だけを動かして、ゆっくりと俺を見た。静かなまばたき。硝子レンズの向こうでぼんやり光る眼差しが俺を見つめて、三島はそっと笑った。
「知識なんて、もうなんの意味もない」
「え――」
思ってもみない言葉だった。だって三島はあのとき、知識は俺を裏切らない、そうつぶやいた俺に、『わかるよ』と言ってくれたのに。
信じられない思いで見つめる俺を見つめ返して、三島は少しだけ目を細める。
「俺が知識を裏切ったんだ」
それはあまりにも細い声だった。今にもかき消えそうな言葉をようやく耳に聞き留めて、俺は「どういうことだよ」とつぶやく。
返事はなかった。三島はただ静かに笑って、なにしようかな、なんて歌うようにつぶやいている。
「ほんと、なにしよう。……文字のない夜は、きっとすごく長いから」
付け加えたような最後の文言は、どこか頼りなくて、心細い色をしていた。
なんとも言えない気持ちになる。心許ないような不安感、目の前の男が今にも倒れてしまいそうな、不安定で危ういものが、目の前で揺れているような。
「だ――」
大丈夫なのか。その一言を、かろうじて飲み込む。
こんな男にかけてやる言葉も、その義理も、俺は一つも持っていない。
あのとき三島を選ばなければ。筋違いの憤り、あの絶望に対する後悔は、俺の中にまだ新しい傷を残している。
「……眠かったら先に寝とけよ」
ぼそりとそれだけ告げた。三島はぼうっとした顔つきのまま「うん」と小さくささやいた。
これでいい、最低限言うべきことは告げた。あとは俺の時間だ。
俺は机に向き直ると、アルファベットばかりで構成された本をめくって、パソコンに目をやった。
安っぽい白い画面が、夜の部屋の中で、俺の頬をちかちか照らしていた。




