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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【中編 / 02】 境界を保つための

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 胸の底に穴が空いたような、ひどい虚無感のまま面会を終えた。

 空っぽの感情で廊下を歩き、来たばかりのエレベーターに乗ると、見覚えのある人影があった。三島。


「……三島」

「む、宗像じゃん」


 淡々とした目で三島を見つめる。俺はごにょごにょと挨拶じみたことを言う三島を無視して、彼の隣に身をもたせかけた。ゆっくりとドアが閉まる。


 そわそわとこちらを伺う気配。無造作に腕を組み、俺はほとんどなにも考えないまま、言った。


「……おまえ、さっき病棟で、俺のこと見てたろ」


 びくっ、と隣の肩が跳ねる。あまりにもわかりやすい。


「あ、や、やっぱ宗像だったんだ。似た人いるなーって、思ったんだ……」


 おどおどとした口調とわざとらしい言い訳に、今日ばかりは腹も立たなかった。そんなことは、もうどうでもよかった。


 俺は黙ったまま、ちら、と三島の方を見る。眼鏡の奥で揺れている、怯えたような瞳。無意識に加害を誘う、自分だけは絶対に悪者の立場になろうとしない、そんな卑怯な人間の。目元が歪む。


「──……っ」


 ──おまえみたいな人間、俺はいちばん嫌いだよ。


 そう言いかけて、でも。

 それより先に三島が、思いつめたように叫んだ。


「お……お父さんには黙ってるから!」


 ぴく、と組んだ腕が痙攣した。言いかけた言葉を飲み込む。

 ごちゃごちゃした思考が頭の中をひたすら回った。今日の面会は『正式』だとか、おまえに口を出される謂れはないとか、でも父親にあれこれ言われたら面倒なのは本当で、これからも俺が戦い続けるのなら、トラブルの芽は積んでおくべきだ、とか。


 だから俺は、あらゆる言葉を飲み込んで、


「──……頼むわ」


 ただそれしか、言うことができなかった。

 ちょうどそのタイミングで、電子音と共にドアが開く。外の西日が差し込んでくる。


 俺はかすかに目を細めると、エレベーターの外に三島を誘った。

 振り返った先、強烈に差し込んだ光を浴びた三島は、ためらうように目をすがめていて、なにを考えているのかよくわからなかった。どうでもよかった。



 空っぽの感情のまま、バス停で三島と並んでバスを待った。

 長ったらしいベンチの端と端にふたりで腰掛けて、三島がちらちらと俺を伺うのを、完全に無視して過ごした。


 本当なら、もっと笑うなり話しかけるなり機嫌を取ってみせるなり、するべきだった。

 でも今の俺は三島の前だと言うのに、自分を取り繕うことが、まったくできていなかった。


 果てのない、だらだらした沈黙のすえ、一台のバスがロータリーを回ってくる。駅には行かないやつだ。ただあれは〝カメラ〟を買う家具屋に行くバスだから、たまに使っていた。


 三島が逃げるように腰を浮かせたのを、言葉だけで止める。別に勘違いで乗ってもらってもよかったのだが、さすがに駅からまったく正反対のバスに乗せるのはためらわれた。


 三島はそうなんだ、とだけ言うと、おずおずとベンチに戻る。ちらちらと伺う視線をされて、本当なら俺はそれを無視するべきだった。でも、胸のうちに満ちた虚無感みたいなものが、俺の口を勝手に動かした。


「……たぶん、見てたと思うけど。うちの母親、ここに入院してんだ」

「そ……そうなんだ」

「そう」


 他に言うべきこともない。母の存在そのものは、俺の弱みにはなり得ない。それでも、あまり大勢に知られたいことでもない。ただ、相手は三島だ。こんな奴には吹聴する友人もいないだろう。


(まあ、いいか……どうでも)


 薄曇りごしの西日をさえぎり、目の前でバスが口を開ける。空気の漏れる音。俺はただ座ったまま、顔に落ちた影を感じながら、黙っていた。


 思い浮かぶのは母の顔、あの春に見た、なにより大切だったはずの思い出だった。それからたった今見てきた、なにを言ってるのかわからない、という、不思議そうな表情も。心臓の奥が痛い。


(ほんとうに……大切な、記憶だったのに)


 どうしてこんなことばかり起こるのだろう。

 俺はいつまで戦っていればいいのだろう。


 母はもとには戻らない。あの光景は二度と戻ってこない。

 そんなことはわかりきっていて、それでも、手放すことができない。落ちるわけにはいかなかった。


 ずっと戦い続けなければならない。

 ひとりでも、苦しくても、痛くても泣きたくても、絶対に外に出してはならない。


 倒れたら終わりだ。俺は完璧じゃなきゃいけない。

 まだここにいたい。たとえ戻らなくても傍にいたい。どうしても失いたくはなかった。


 バスのドアが閉まった。プシュー、と音を立て、傾いたバスが戻っていく。


「……知識は、俺を裏切ったりしない」


 勝手に言葉が漏れていた。ほとんどおまじないのような、呪文のような、今となってはただ、すがりつくためだけの言葉だった。


 たとえ母の記憶からあの約束が消えたとしても、もうとっくに、俺の周りには誰ひとりいなくなっていたのだとしても。知識は俺を裏切らない。それだけは、まだ俺を守ってくれる。そのはずだ。


 すぐ隣で、三島が小さく息を呑む音がした。でも俺は、彼のほうを向いてなにかを言ってやるだけの気力が、ひとつも残っていなかった。


 出ていったバスの向こうから雲間が途切れて、鋭い西日が目を焼いた。

 三島も、俺も、ずっと黙ったままだった。無性に苦しかった。



 

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