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ぶつっ、とクチクラが構成する外骨格がちぎれる感触。
はらはらと指先から落ちていく、黄色と黒の鮮やかな色彩。
身体の一部を失い、痛みにもがく三対の脚。
早朝の読書と走り込みのあと、俺はどうしても耐えきれなくて、溜まった蝶の〝処分〟をしていた。
今朝の父はずいぶん早くの出勤だったから、安心して行為に没頭することができた。
最近はずっと蝶殺しをやっていなくて、成虫の数が増えすぎていた。それこそ、三島がいぶかしむほどに、だ。
飼育箱はすでに限界を超えていっぱいで、蝶と蝶がぶつかりあって怪我をすることもしょっちゅうだった。
(だから──仕方ない)
これは駆除だ。増えすぎた蝶を減らしているだけだ。
無責任に放虫するわけにはいかないから。飼育箱の中身を減らさなければ、羽化した次の成虫が入れないから。
完全に薄っぺらい欺瞞を、何度も言い聞かせる。ぶつぶつと翅を千切り、大量の蝶を地面に落としていく。
腹の底でうごめくのはあの〝現象〟だった。
日を追うごとに、現象がゆっくりと、俺の中で大きく、重たくなっていく。
凶暴で獰猛なその発露に、なんとか抗いたい、負けてしまいたくない。そう思う一方で、もうどうでもいい、と思う自分もいて、己の弱さにうんざりした。
なんのために頑張っているのだろうと思う。それでも、戦うのをやめることはできない。
たとえ母が俺を二度と守らなくなったとしても、俺は母を諦めることはできなかった。
衝動に負けたくない。現象を自由にさせたくない。
蝶なんか殺したくないし、マウスの通電だってやりたくない。人なんてもってのほかだ。
それでも、俺は他にやり方を知らない。うまい方法も、上手ななだめ方もわからない。どろどろの内面を拭い去るには、誰かの犠牲が必要だった。
意識が飛ぶほど没頭して、ちぎって、むしって、踏み潰して、蹂躙をやりたいだけやり終える。こんな風に感じたくもないのに、ものすごくすっきりする。泣きたくなる。
もうこれ以上はないくらい破壊の限りを尽くして、やるだけやって、ようやく行為が終わった。
泣きたいような虚しいような気持ちで、ぼんやりと蝶の翅を見下ろす。気が付けばやわらかかったはずの朝日が少し強くなっていて、すっかり時間が経っているようだった。
ちらとスマホを見ると、急がないと遅刻する時間だった。普段なら走り込みだけなのに、今日は読書もしていたから、時間の感覚が掴めなかったのだろう。
あの面会を終えてから、俺はさらに貪欲に知識を求めるようになっていた。母がああなってしまった以上、今までよりずっと多くの知識を詰め込まなければならない。だってもうそれしか、俺を守ってくれるものは存在しないのだから。
知識は俺を裏切らない。誰に奪われることもない。たとえ俺の傍に母がいなくなってしまっても、もう二度と戻ってこなかったとしても、これから一生、誰も俺を守ることも、傍に立つこともないのだとしても。
知識は、人類を人類たらしめる理性は、積み重ねた叡智の結晶は、きっと俺を守ってくれる。こちら側に引き戻してくれる。
(だって他にはもう、俺を守るものは残っていないのだから)
それでも結局、このざまだ。圧倒的に知識が足りない、俺を引き留めるものが足りない。
鱗粉まみれの指先をこすりあわせ、ばらばらの蝶をぼんやり見下ろして、ため息をついた。時間がない。遅刻なんてしたらすぐに父にバレてしまう。急がなければ。
「今日……父さんが帰るのは、遅いはず」
たしか日付をまたぐ可能性が高いと言っていた。だったら、学校が優先だ。遅刻はまずい。これを土に埋めるのは、帰宅後、父が戻る前に済ませてしまえばいいだろう。
本当なら、急いででも、簡易的にでも、死骸を隠すべきだとわかっていた。父は最近、俺をかなりはっきり疑っている。普段より数段上の注意が必要なはずだ。
それでもこんな迂闊なことをしているのは、どうしてなのか。浮かんだのは母の、心底不思議そうなあの顔だ。俺の言っていることが微塵も理解できない、というような瞳。
(俺は、いつまで……)
こみ上げた自暴自棄が、俺を愚かにさせていることがわかる。疲れていた。なにか正しい理由が俺を打ちのめして、もういいんだとトドメを指してくれるのを待つような気分だった。そんなことは、絶対にあってはならないのに。
俺はぐったりした気分のまま、蝶の死骸から目を背けた。足早に裏庭を後にした。学校に行こう。死骸の処分はあとでいい。今はもう、このむごたらしいものを見ていたくない。
足早に窓へ戻って、室内に入った。
窓の鍵を閉める指先が鱗粉でざらりとしていて、一刻も早く手を洗いたい、と痛烈に思った。




